企画という仕事の性質上、俳優さんと話す機会は多いが、一番気のおけないのが雷蔵君です。若いという事もあるが、明朗率直なのところが、気持がいい。言いたい事を言いたいようにズバリというのがくせで、モタついたり、廻りくどい表現はしない。こっちが隙のあるのに気が付かないでいると、鋭く、虚をついて来る。しまったと思った時は、あとの祭で、彼のどうどうたる弁舌を、まかせてもらう他に手がないのです。

 樹木一本ない広い野原で突然強烈な夕立に出逢ったと同じ様な災難であきらめることにしてはいますが、その代わりこっちも理のある場合には言われっぱなしに引っこんではいません。遠慮会釈なく、雷蔵君をやっつけ、つるしあげ、大いに斗争します。話合いがすんでしまえば、あとはすっきりしたもので、お互いに後味の悪い思いをしたことは一度もない。そういう意見の交換も、スクリーンの彼の様に、気品のある、いや味のないものだから、全く気持がいいわけです。それというのが仕事熱心のさせることなのです。

 撮影の合間にひま出来ると、私の部屋の若い人達を相手に、企画の相談、映画の批判、脚本の研究などと、多彩な話が始まる。私が直接の話し相手にならず、そばから見ているだけでも、頼もしくなる話が高潮して来ると、撮影開始の知らせがあってもなかなか腰があがらない。引き上げぎわに、いつも私が「次回の御高説はいつ拝聴できます」と聞くと「いやいや恐縮です」と彼が答えるのが例になってしまった。

 歌舞伎畑から来た人にこんなに、こだわりのないさっぱりした気質は珍しい。いつまでも持ち続けて、いつまでも、若く、明るい演技を見せてほしい。

(筆者は大映京都撮影所企画部長)

(よ志哉6号より)