『眼』
さて、最後に、人間の一番大切な機関である眼はどうでしょう?たとえ他の部分がどんなによい相をしても、(こういう例は殆どありませんが・・・)眼の相が悪いと意味を失うといっても過言でないくらいです。昔から、眼は口ほどにものをいいといわれてますが、むしろ、口よりもその人を表わすものです。
まず第一に、雷蔵さんの眼を見て感じるのは、そこから発する純粋なキレイな光です。この光を、専門的な言葉で書くと、“神和”といって、意味も“平和を好み同情心深く、人と親しみやすい”といわれるくらいですから、ファンの皆さんと共に、この美しい和やかな光の永久に消え失さんことを祈りたいと思います。
眼の下に、その大小はあっても、ここにふくらみのあるのに気付くでしょう。雷蔵さんのを見てください。そう、豊かですネ。人の苦労を黙って見ていられないといった隠匿をほどこす温い心根を見せているのです。雷蔵さんの子供はみんないい子供が生れるという意味もこれにはあります。
眼はまた恋愛運を占うにも一番大切な処です。特にその場所は目尻です。雷蔵さんのを見るとやや上り気味ですネ。そして、この目尻の部分が少し窪んでます。これらは、恋愛結婚について非常に理想が高いことを示しています。それ故、ある意味では、結婚は遅くなります。と同時に、めったに恋愛をしないというタイプです。そして、結婚は、案外見合いの形式をとるかもしれません。見合い→恋愛→結婚のコースをとるようです。
それというもの、好きな人がいても、決してそれをはっきりと表現しない性質ですから、人にお尻を叩かれてやっとみこしを上げるという、消極性のためです。
この雷蔵さんの眼のように、黒目勝ちなのは、心の素直なこと、人間的に真面目であること、生活(広い意味の)に対して真剣であることなどを示しているので、“神和”を加えた雷蔵さんの眼は、全く素晴しい相といえます。
『瞼』
最後に、瞼はどうでしょう?雷蔵さんの瞼は、くぼんだ瞼です。このような瞼の人は、一本気な性格の人です。仕事にも女性にも、こうと思い込んだら自分を失うまで打ち込むような激しさ持っています。
いずれにしましても、歩むに従い、年を経るに従い、市川雷蔵さんの将来は、いよいよ明るく、いよいよ希望に満ちているものといえましょう。(56年3月10日発行 平凡・スタアグラフ「市川雷蔵集」より)