私は、歌舞伎の時からお酒が好きで、よく飲みましたが、それだけにとんだ失敗もありました。
九団次さんが亡くなられて初七日の折、故人もお酒が好きだったので、きっと喜ぶだろうということで大盤振舞いのにぎやかさ、私も誘われるままつい度をこしてしまい、大将軍の家へ帰ったときは、若旦那のお世話をするどころかこっちが面倒をみてもらう状態で、一時間近くもトイレに入りきりでした。部屋の方から若旦那の声がして、「おせきさん何してるのやろ、一時間も便所に入ったきりやで、大丈夫かいな、森本君みてきたり」。私はとんだ失態を演じて、翌日謝まるのに大変でした。それ以後は絶対に飲ませてもらえず、宿泊のロケなどで、夜になってみんなが「おせきさん一ぱいどうや」といっても、「おせきさんに飲ませんといて、この人に飲ませたらえらいことになるんや」という情けないことになり、そのときほど若旦那をうらめしく思ったことはありません。
大将軍の家の玄関で(近代映画56年5月号より)
大将軍の家は一年足らずで引越し、鳴滝の新居へ移りました。越してからは電話がひっきりなしにかかり、若旦那は几帳面な性格の頭のきれることは大したもので、私は電話の受け答えに気をつかったものです。変なことをいおうものなら、「あんた、あれ何いうてんの、あんなことしゃべったらあかへんやないの」と叱られるのもしばしばでした。
足腰が弱いからと自転車を買って暇をみては乗られたのですが、ふらふらして見ている方が危なっかしいので、もしものことがあっては大変と、「一人で大丈夫ですか、ついて行きましょうか」というと、「何でついてこんならんの」と叱られた。危なくて見ていられないのでともいえもせず、ひやひやと見送るだけでしたが、長続きせず、一か月も立たないままお手伝いさんの買物用に早替りしてしまいました。その後、ボーディビルの器具を買ったのですが、これも一か月足らずで物置の中で眠ってしまいました。