三つの名スピーチ集
披露宴は、勝新太郎と玉緒のときと同じように、第一次と第二次のダブルヘッダーで行われた。
第一次の会場は二階のバンケット・ホールで、料理はフルコース。出席者も大映のスター達はいうまでもなく、歌舞伎界、政界、財界、文壇と豪華をきわめた顔ぶれ。
(大映俳優)長谷川一夫、勝新太郎、中村玉緒夫妻、山本富士子、若尾文子、林成年、橋幸夫、(監督など)吉村公三郎、田中徳三、白坂依志夫夫妻、(歌舞伎界)新団十郎、猿之助、中車、蓑助、勘三郎、扇雀、歌右衛門、友右衛門、(作家)久保田万太郎、舟橋聖一、吉屋信子、三島由紀夫、(政界)大野伴睦、藤山愛一郎、河野一郎、岸信介、川島正次郎、田中角栄、(財界)堀久作、大谷博、城戸四郎、大蔵貢、萩原吉太郎、(その他)花柳寿輔、同若葉、杵屋勝東治、等々。
披露宴は定刻六時に、時の人高橋圭三の司会で始まった。媒酌人の藤山勝彦氏が型通り新郎新婦を紹介したあと、川島正次郎が雷蔵の父寿海の後援者として、河野一郎氏が恭子さんの父代わりである永田社長の友人として、新団十郎が市川宗家として、それぞれ祝辞をのべる。
つづいて指名されたのは、作家の吉屋信子さん。
「私は恭子さんが三つのころからよく知っていますが、戦争中火に追われて、親子二人で三越の中へ逃げこんだことがありました。そのとき飛びこんできて恭子さんを助けたのが、今日の市川雷蔵さん−というふうにいけばよかったのですが、実はそうではありませんでした。その後、恭子さんは苦労をかさねられて、りっぱなお嬢さんに成長されたところへ、突然、雷蔵さんが現われて、恭子さんをさらっていってしまいました。雷蔵さんという人は、よくよく徳のある人だと思います」
新郎の友人代表として祝辞をのべたのは、やはり作家の三島由紀夫氏−
「婚約発表の直後に、お二人が京都でいっしょになったことがあります。実は私、二人きりになったとき雷蔵さんがどうするのか、興味をもって注目していたのですが、彼はやおら新聞をとりあげて読み始めました。雷さんもぼくも戦中派ですが、これは戦中派の喜び方をよくあらわしていると思います。それにしても、これが新聞でなくて電話帳だったら、ことはおだやかでなかったと思います」
最後に新婦の友人代表として日本女子大の同級生の杉山瓊子さんが立って、
「学生時代に恭子さんのお宅にうかがいましたら、今日は私がお料理するわ、とおっしゃって、できあがったのはユデタマゴのミジン切りのマヨネーズあえでした。それが今ではフランス料理も日本料理も、大へん腕をおあげになり、うらやましく思っております。聞くところによりますと、雷蔵さんはお昼のお弁当におかずを六品もっていらっしゃるそうです。そこで私からのお願いですが、一週間のうち一日か二日は四品しかない日もあるかと思います。でも、それには必ず愛情という調味料が加えてあるはずですから、どうぞ満足して召し上がっていただきたいと思います」
つづいてウエディング・ケーキのカッティングがあり、そのあと雷蔵の“義弟”の橋幸夫が「おけさ唄えば」をプレゼントする。
新婦が色直しをしているあいだに祝電が披露される。
祝電は約200通。読み上げられ名前の中には、作家の吉川英治氏や山崎豊子さん、横綱大鵬、中村鴈治郎、香川京子、井上八千代、花柳章太郎、水谷八重子、同良重などのほか阪神タイガース、日本女子大児童科一同などという変りダネもあった。
恭子さんが一回目の色直しのブルーの和服から白の和服に着かえて再び会場に姿を現わしたところで、大野伴睦氏の音頭で一同乾杯。
8時15分、第一次披露宴はお開きになった。
実感あふれるお富士さんの祝辞
新郎新婦をはじめ、媒酌人夫妻、親せき一同は、第一次の客を送り出すと、そのまま一階の第二次の会場に移る。ここでも媒酌人の新郎新婦紹介、ケーキのカッティング、秋山安三郎氏(劇評家)の音頭で乾杯と、同じ順序がくり返される。そのあと新郎新婦は、カクテル・パーティ式の会場を一巡して、淡島千景、長門裕之夫妻、川崎敬三、小林勝彦、吉田正といった来客の一人一人にあいさつして回り、9時45分に退場していった。
そこでわれわれも、近く結婚式をあげる山本富士子の、実感にあふれたお祝いのことばで二人を送り出すことにしよう。
「恭子さんには今日はじめてお目にかかりましたが、心のやさしい方のようでした。雷蔵さんは考え方がはっきりしていて、信念を通す人ですから、恭子さんもそういう雷蔵さんに積極的に寄りそっていかれるでしょう。ですから、堅実ないい家庭が生れるのではないでしょうか。今日ここで勝さんと玉緒さんのご夫妻にお会いしましたら、一人の男性と一人の女性が、多勢の中から選び合って結ばれるというのは実に不思議だなア、といっておられましたが、私もそう思いました。縁あって結ばれるのですから、その縁を大切にしなければいけませんわね」
(1962年4月15日号より)