雷蔵君と二人三脚

 この原稿を書く前に「時代映画」誌で雷蔵君の出演作品を調べてみたら、なんと『忠直卿行状記』までの全作品七十五本の内、僕のシナリオが実に二十三本も有る。これに『花くらべ狸道中』と次の『濡れ髪』ものを加えると、七十七本の内の二十五本となり、約三分の一という事になる。僕もシナリオを書き出して三十五年になるが、一人のスターにこれ程長く、そして沢山の作品をつき合ったことはない。本当にこれでは二人三脚、お互いに御苦労さまでした。と言いたい所です。

 時代劇のスターには舞台出の人が多いが、大体歌舞伎畑の人には、如才なくて、応待にもソツがない。所謂、外ヅラが良くて、内ヅラが悪いという人が多い。いつも愛想がよくて、ニコニコしているが、案外シンは冷たくて、打算的だというタイプが多い。その点、雷蔵君は全く類を異にしている。言いたい事はストレートに言うし、人の顔色を見るような事はない。イヤなことはイヤとハッキリ言うし、一旦引受けた事は途中で曖昧にそらしたりするような事は絶対にない。

 僕は雷蔵君とは作品の上でのつき合いこそ多いが、私生活の方は余り知らないので、いつも遠くから眺めている形だが、その遠くから見た彼は、孤独な、やや淋しい翳がる。それをカバーしているものは、彼の青年らしい一途な正義感のようだ。此の点は余り知られていないようだが、青年雷蔵を支えているものは彼の正義感であり、現代の若い人としては一寸珍しいと思う。

 いつか浅沼さんの事件のあった時、僕が「あんな事があると、また時代劇の影響云々をやられそうでツライね」と言うと、彼も「私もそう思います」と即座に同意したが、こういう折にも彼の並々ならぬ感受性の鋭さが窺われる。

 雷蔵君はよく錦之助君や橋蔵君と比較されるが、此の三人はそれぞれ違った長所がある。雷蔵君が他の二人と異なっている所は、知性と、一抹の憂愁を漂わしている点にある。雷蔵君の魅力は、ファンから見れば、その笑顔にも、立廻りにも、颯爽たる演技にも、その他いろいろ有るだろうが、煎じ詰めると此の二点に絞られて来るようだ。

 『忠直卿行状記』を彼が前から演りたいと言っていた気持もよく判るし、また、そうした彼なら必ず成功するだろうと思う。先日、助監督諸君の座談会で、雷蔵君の好むものが『炎上』だの『忠直』だの、どうも暗い、ものが多いのじゃないか、という話が出ていたが、暗い運命的なものは、観客に与える感動も強いし、演技者として意慾を燃やすのは当然だし、別に気にすることはない。実際に彼は『濡れ髪』もののような軽快な演技もうまいし、彼のいい所はどんな崩れた役を演っても、気品を失わない点である。

 とまれ『大菩薩』『忠直』と重い、暗いものの続いた雷蔵君も、今度は『狸』『濡れ髪』と軽い、明るい物が続く訳だが、どうか期待して頂きたい。僕も二人三脚、二十五回目ともあれば、奇想天外な、底抜けに面白い、『濡れ髪』をお目にかけるつもりである。

八尋不二氏

(筆者はシナリオライター)

(よ志哉20号 60年11月26日発行より)