新内をふんだんに

伊藤 歌舞伎ものの映画化は、もうちょっとないだろうと云うけれど、なんぼでもあるよ。

寿海 ありますでしょうね。

伊藤 私はこの人に(雷蔵をさして)「尾上伊太八」などをすすめているんです、もうやってもいいだろう。あまり二枚目のいい男ばかりじゃなしに、そろそろそういったものを開拓しておかないといけないんじゃないかと云ってるんです。会社ではあんな暗いものをといっていますがね。

寿海 現代ですからね、あれは、それに、暗くもないんですがね。

民門 尾上伊太八には、やはり実説めいたものはあるんですか。

伊藤 あるんです。

寿海 岡本(綺堂)先生がだいぶ調べて書かれたらしい。

伊藤 あれの新内はよろしいですね。新内といえば、こんどはふんだんに新内を使いました。はじめは長唄で考えましたが、旅から旅へ流して歩くのに、長唄では哀感が出ないでしょう。

寿海 やはり新内のようにはいきませんでしょうね。

伊藤 するとこんどは、ぴったりいきすぎましてね。“めぐる縁の糸車・・・”と云うとお富が、あッ、あの新内屋さん来たよ、呼んでおいでと、ぴたっとはまるんだから。(笑)

寿海 お富が、新内を聞きながら、自分も弾きますでしょう。あのくだりはなかなかいいと思いましたよ。

伊藤 あれをやっておかないと、玄冶店でゆすりの合いの手に新内が入ってましょう、あれがきかなくなるんです。玄冶店に新内の稽古所を作ったんです。そして、安がかけ合いに入っている間、与三郎は外で待っている。その間、ずっと新内が流れているんです。与三郎が中へ入ったところで、都合のいい新内がつながるんです。新内のいいのはみな使います。千両幟と明烏と蘭蝶ぐらいでしょうあ、われわれが耳に聞きかじっているのは、近所に稽古所を作っておきますと、しがねえ恋の・・・で、ツツンと入ってもおかしくないんです。

民門 舞台の場合も、なんとなく新内が入りますが、あれもどこか近所でやってるんですか。

寿海 いいえ、合い方として使ってるだけです。強請にはたいてい新内を使いますね、部隊では、弁天小僧でもそうですし、強請にはのるんです。昔の人がいろいろ考えたんですね、長唄の下座じゃうまくありません。

伊藤 義太夫の太じゃのらない。

民門 新内というのは不思議なものですね、節というのは一つしかないんですね。

寿海 そうなんです、それをいろんなふうに使ってますね。

伊藤 われわれの年代にならないと感じないのかもわかりませんが、なんか遊蕩気分をそそります。

寿海 吉原では新内を禁じたといいますね、女郎が死ぬ気になってはいけないから。

伊藤 それに心中ものにいい曲がありますからね。(笑)

民門 雷蔵さん、高島屋さんとこに出てた加賀太夫(七世)は知らんでしょう。

雷蔵 そら知りません。(笑)

寿海 これはもうほんとうに新内がうまかった。あんなのは、新内にないでしょうね。うまかったですね。

雷蔵 ちょっと習ってるんだけど、新内てのはむつかしい。だいたい三味線は間がむつかしいんですね。新内の歴史というのは古いんでしょう。

伊藤 二百年くらい前かな、鶴賀新内という人が始めたから、新内節なんだ、義太夫という人が始めたから義太夫節、豊後が始めたから豊後節と始めた人の名で呼ばれている。

雷蔵 なるほどね。長いから長唄。

伊藤 端しょっているから端唄。

昔話は面白い

民門 高島屋にはいい作者がいたもんですね、岡本綺堂なんかがいないと、どうなってたかわからないですよね。どんな因縁で書くようになったんですか。

寿海 よくは知りません。私の知っているのは、高島屋が洋行から帰って、川上音二郎さんの革新劇と一しょにやってた頃に、どういう経緯からかは知りませんが、岡(鬼太郎)さんから綺堂さんに頼まれたのが、「維新前後」です。綺堂さんという人は、稽古場へはぜったいに来られないし、来ても口出しなさらない、みんな注文は岡さんに云って、岡さんがダメを出すというふうでしたね。

伊藤 青山青果先生もそうでしたよ。

寿海 今になって考えますと、綺堂さんは一座の役者はみんな知っていて、ですから計算ずみで、書いたものに自信があったんですね。

伊藤 高島屋のまわりには、松居松葉先生もおられたし、みんな、寄ってたかって生かすようにしたんでしょうね。

雷蔵 洋行するまでは、えらい大根だったそうですね。

伊藤 その後もしばらくはだめだったよ。

寿海 自由劇場をやりだしてから、左団次という名前がグッと出てきたんだよ。

雷蔵 しかし、どうして外国へなんか行く気になったんでしょうね。

民門 先代の追善興行をやって、その金をみんな持って行ったんですってね。

寿海 ずいぶんあった借金をほっておいて行ったんですが、どうしても行きたかったんでしょうね。向うでもずいぶん勉強してきたんですよ。

伊藤 あの当時、洋行するなんて、度胸もたいしたもんだよ・・・。この話はしだすときりがないよ。(笑)高島屋のことは、一晩やそこら話したって追っつかないもの。

民門 雷蔵さんには悪かったですな、古い話ばかりで。

蔵 しかし、知らない時代の話というのは面白いですね。

伊藤 そんなことないだろう。

雷蔵 ほんとですよ。

民門 だから伊藤先生には、どうぞ「花中舎独語」を書いてくださいと、いつもお願いしているんですよ。(笑)

「時代映画」昭和35年7月号より

 

昭和二十六年九月大阪歌舞伎座「東西合同大歌舞伎」番付より  与三郎:寿海、お富:富十郎、蝙蝠安:訥子