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『雷蔵好み』+村松氏インタビュー
村松さんに会うため京都から東京へ向かう新幹線車中で、
手にとった車内誌"ひととき"↓。
偶然にもこれからお会いする村松さんが特集を書いている。そのタイトルは、
『小田原の不思議』ムムム・・・もしかしてこれから伺えるお話は『雷蔵好み』ではなくて
"雷蔵の不思議"かもしれない。
今なぜ雷蔵なのか、今さらなぜ雷蔵なのか、それは雷蔵の不思議がもたらすのかもしれない。その不思議を追求したのが、村松さんの『雷蔵好み』なら、雷蔵不思議ワールドを探りながら、お話を伺ってみたい。
− インターネットで検索してみると、いろいろなところで雷蔵ブームがおこっているようですが、このブーム誰かが仕掛けたわけでもないと思うのですが・・・自然に沸き起こってきたとしたら、なぜなのでしょうか?
雷蔵のとらえかたはいくつもできると思う。いくつもの面のある雷蔵は、今では稀有な存在であるといえる。たとえば150本以上もの映画を撮っているが、それらの映画を観るとイヤイヤで演っているというより、楽しそうに演っているように見える。
あらゆる作品に自分の出る価値をどこかに見出して演じている。つまり、役者としてどんな役でもつかまえて自分のものにできる自信があったのだと思う。そんな役者だからこそ今になってクローズアップされているのだと思う。
− そんな雷蔵を培ったのは、歌舞伎出身だということだからでしょうか?
歌舞伎役者はいろんな役を演るのはあたりまえで、その上歌舞伎の世界は、主役だけではできない。脇を固める役者や衣装等々全部がいて成り立つ世界。模様の中の一つ一つが大事だということを、雷蔵は知っていたと思う。たとえば、武智歌舞伎時代では誰もが武智さんに心酔し、その口吻まで真似ていたというのに、雷蔵一人冷静で、誰の色にも染まらず、自分の世界をいつも持っていた。天才といえるんじゃないかな。
目立ちたい、光りたいという人ではなく、光ることにどんな意義があるのかいつも考えていた人なのではないか。
− それは、出自にかかわってくるのでしょうか?
出自についても、いまでこそよく知られているが同時進行で映画を観ていた時は全く知らなかった。出自が雷蔵に陰翳を与えていたのだろうけど、それだけが雷蔵の不思議を探り出すよすがではなくて、それもひとつの手がかりに過ぎないと思う。それくらい雷蔵は観るたびに、いろいろなことに気付かされる。時間が経ってからやっと気付いたとか、観る側が歳をとったということなのだろうけれど。今の役者にそんなわかり難さはなく、例えば、役所広司に人気があるならば彼が演じやすいように脚本を書くから、何をやっても役所広司でしかない。ほんとうに、今いちばんいない役者だ。
− そうですね、ほんとうにその通りです。150本以上の作品を残していてそのそれぞれが実に多彩なのです。
自分の得意なジャンルの中で演じるのはごくあたりまえ。それが本来の自分とは違う環境に身をおいて、苦手なジャンルの作品を演じてみせるというのは、凄いエネルギーだと思う。しかも、そのエネルギーを決して萎えさせなかった。例えば「炎上」に出演する際に、ファンクラブの会報誌に、自分のイメージと違うがこの映画に出ることを懇切丁寧にファンに訴え、次はみなさんにとって楽しい作品に出ることを約束する。こんな気の使いかたをする雷蔵のような役者が今いるだろうか。
− 時代劇全盛期に雷蔵が大映で映画を撮っていたことについては
大映独特の時代劇セットの中で、完璧な衣装に照明、カメラワーク。そんな中で芝居をしていた長谷川一夫の後継者と見られながら、雷蔵は決して古風な時代劇役者ではないんですよ。といって完全な現代的なものでもなく、いいかえれば新しい古風なんですよ。
よく考えれば、悪の要素が清潔感を感じさせる雷蔵の狂四郎が描く円月殺法が不思議でないのは、その中心に雷蔵がいるからなのですよ。雷蔵の持つ、現代性これはハリウッド映画の持つ粋に通じるような気がします。こんな役者は、ほんとうにどこにも居ない。だから雷蔵は永遠に残らざるを得ないんですよ。
− 「雷蔵好み」を書き上げて今、いちばん思うことはなんですか?
全盛期の凄さということですね。あらゆるジャンルに共通することですが普通にやっていること、なんでもなくやっていた事が、全盛期では
もの凄いことだらけだったということです。でも、その全盛期に生きているときは何気なく過ごしていて、あとから振り返ると、それもその時代を駆け抜けた人を通じて見るとよくわかることなんですよ。
− この本が出れば、雷蔵研究のエキスパートとみなされるのではないですか?
とても、とても研究の対象になるような本ではないですよ。全部自分流のたわごと。推理して探っているようですが、ほんとうのところは雷蔵に聞いてみなければわからないわけで、追求しつづけると結構わからなくなってくるんじゃないかな。でも、力は入りましたよ。これを書き終えて、疲れからか入院したくらいですから。
** 力を入れて「雷蔵好み」を書かれたことに間違いないと思った。お身体のほうはもう大丈夫のようで、お会いした日もなかなかダンディーな装い。秋の一日にふさわしい方とお会いできて、みわも雷蔵さんの縁につながる不思議をかみしめながら、小倉へと向った。しかし、この日はほんとうに強行軍で、新幹線車中滞在時間の長かったこと・・・・一人で感心する。 **