TOP | HOT | TV | CINEMA | BOOK | DVD |
A DOUBLE EDGED SWARD
THE FILMS OF SHINTARO KATSU & RAIZO ICHIKAWA
日本映画黄金時代(昭和30年代/1960年代)に活躍した、大映の二枚看板スター勝新太郎と市川雷蔵の主演映画9本が10月12・13・14日の三日間、ハリウッドで上映された。
上映会の会場となったのはエジプシャン・シアター、1922年の建造、歴史的建造物の指定も受けているハリウッドの名所の一つ。17日には開場80周年を記念して、80年前の柿落としに上映されたダグラス・フェアバンクス主演「ロビンフッド」を上映する予定。さすが、ハリウッド!!と大向こうから声をかけたくなる。 もっとも、80年の歴史を誇るといっても、数年前に関係者の尽力で往時の姿を取り戻すまでは、薄汚れた建物に過ぎなかった。現在は「アメリカン・シネマテーク」の運営で内外の名作・旧作を上映している。ちなみに、今回の上映会のスポンサーは国際交流基金、つまり日本国民が支払った税金を元に今回の上映会が開催できたわけ。 |
日本国民のみなさん、本当にありがとうございます。m(_ _)m
(でも、税金がこのように海外での日本映画祭開催にも使われているってことご存知でした?)
今回の上映会の主役・勝新太郎、市川雷蔵の二人は、生まれ(昭和6年/1931年)もデビュー(昭和29年8月公開「花の白虎隊」)も同じながら、天才・勝新、永遠の美男・雷蔵。悪役と美剣士という全く正反対の方向ながら、ともに本人たちだけでなく、作品のそのものの質が高い。
それは、桂離宮の壁を塗れるような職人はだしのスタッフを抱えていた、当時の大映京都撮影所に負うところが大きいと思う。しかし、例をあげて論じれば役所広司に人気があるならば、彼が演じやすいように脚本を書くため、何をやっても役所広司でしかない。という現在のお寒い映画界の事情が、製作から40年を経てもなおこれらの映画が残りつづけざるを得ない状況を作り出していると思うし、33年前(1969年7月17日)に37歳でガンで他界した市川雷蔵の主演作が今でもなお観客の喝采を浴び、DVD化されていることが如実に示していると思う。
以下が上映9作品の邦・英タイトルと監督名、製作年であるが、親しくしている田中徳三監督を招聘したく、お手紙を差し上げたところご高齢(満80歳)と健康に自信がないとのことで固辞され、代わりにお手紙をいただいた。これを英訳し、アメシネのデニス・バルトーク、クリス・Dに渡したところ、非常に喜ばれ上映に先立って観客に披露してくれた。
「勝新太郎、市川雷蔵に想いをこめて」 田中徳三 |
かつて、市川雷蔵、勝新太郎は日本映画界の大スターでありました。今回その二人の作品が、エジプシャン劇場で上映されるとは、感がい深いものがあります。なかでも「眠狂四郎」と「座頭市」は、市川雷蔵と、勝新太郎の代表作でもあります。今は亡きこの二人は、遠い所からアメリカの反響を、いろんな想いでみつめていることでしょう。
私にとっても、勝新太郎の「座頭市」は想いで多い作品であります。盲目のやくざで、居合抜きの名人、しかしばくちも女も好きという型やぶりのヒーローが、「座頭市」です。そんな「座頭市」を、りくつなしに楽しく観ていただければ幸いです。
映画祭の成功を心から期待しております。
ポスターやスチール等は、エントランス脇にディスプレーされている。ちなみに勝新の分はクリス・Dの雷蔵の分はみわのコレクションである。
Friday, October 11 / 7:00 PM
SWORD OF FIRE/BURNING SWORD OF KYOSHIRO NEMURI
「眠狂四郎炎情剣」 シリーズ第5作 三隅研次監督 65年
9:00 PM Double Feature (New Print!!)
ZATOICHI ENTERS AGAIN/NEW ZATOICHI STORY
「新・座頭市物語」 シリーズ第3作 田中徳三監督 63年
ZATOICHI, THE FUGIIVE/ZATOICHI: A CRIMINAL JOURNEY
「座頭市兇状旅」 シリーズ第4作 田中徳三監督 63年
Saturday, October 12 / 5:00 PM
SAMURAI VENDETTA/Chronicle of Pale Cherry Blossoms
「薄桜記」 雷蔵、勝新共演作 森一生監督 59年
8:00PM Double Feature
SCAR YOSABURO
「切られ与三郎」 雷蔵主演歌舞伎シリーズ第2弾! 伊藤大輔監督 60年
THE LONE STALKER
「ひとり狼」 股旅映画の真骨頂!池広一夫監督 68年
Sunday, October 13 / 5:00 PM
ZATOICHI: FIGHTING JOURNEY
「座頭市喧嘩旅」 シリーズ第5作 安田公義監督 63年
7:00 PM Double Feature
DESTINY’S SON
「斬る」 宿命の子・信吾は剣に生きた! 三隅研次監督 62年
SECRETS OF A COURT MASSEUR
「不知火検校」 勝新の悪の魅力が沸き立つ! 森一生監督 60年
三日間とも観客数は100名を切るくらい、日系人を含むアジア系ばかりでなく、人種も多岐にわたっているように見える。老若男女が40年前に製作された時代劇を観るためにここに集まっているかと思うとありがたく、自然に頭が下がってくる。
アメシネ・スタッフ中一番の日本映画通・クリスの司会で上映は始まった。彼には、いつか日本のヤクザ映画の本を書きたいという夢があり、日本映画それも時代劇を含むヤクザ映画のエキスパートでもある。まず眠狂四郎シリーズについての解説、シリーズ12本中でも監督・三隅研司、脚本・星川清司、美術・内藤昭、このコンビの作品ならば水準以上の出来であること。簡単なストーリーの紹介後に、田中徳三監督からの手紙を観客に披露して、いよいよ上映開始!!
「眠狂四郎炎情剣」 眠狂四郎を映画・TV・舞台等で演じた役者はこれまで数々あるが(平幹二朗、江見俊太郎、田村正和、舟木一夫、片岡孝夫等々)悪の要素が清潔感を感じさせる雷蔵の狂四郎は、奇妙奇天烈とも言える円月殺法をそして、キザなセリフ(例「雪よりきれいな俺の身体に触れようとは無礼千万だぞ」等)を不思議と納得させてしまう。それは、その中心に雷蔵がいるからであり、雷蔵の持つ、現代性−これはハリウッド映画の持つ粋に通じるような気がするが、古風な新しさとも呼ぶべきものが雷蔵にあり、それが大映京都撮影所のスタッフに支えられて発揮された。そのため雷蔵映画は永遠に残らざるを得ないのだと思う。
さて、この第5作目の眠狂四郎シリーズだが、シリーズ4作「眠狂四郎女妖剣」から引き続き、エロチシズムを前面に押し出している。武家の未亡人、暴利をむさぼろうとする政商、役得とばかりに利得を独り占めしようとする家老、それらの対極に可憐な働き者の娘を配し、狂四郎の活躍を描く。これが観客に受けないわけがない。その上、山寺の長い回廊(京都・永観堂)での果し合いには拍手を送りたくなる。
シリーズ第3作「新・座頭市物語」続く、第4作「座頭市・兇状旅」では、座頭市が背負っていたしがらみから解放された上に、キャラクターも確立。勝新の工夫した殺陣の数々を見ることができる。よく考えるとこの盲目の主人公も超人的な剣士であるのだが、勝新のキャラクターのおかげかユーモラスで人間くさく、どこかしら善人らしいところもある愛すべき人物として描かれている。
座頭市シリーズ(62年〜89年までに26本製作された)は大映子飼の監督(森一生、三隅研司、田中徳三、池広一夫、安田公義、井上昭等々)から、山本薩夫、岡本喜八といった一癖もふた癖もある監督がメガホンを握り、最後は勝新自身が監督している。
翌12日は森一生監督の代表作であり、勝・雷蔵の本格的共演作「薄桜記」からスタート。この共演に先立ち、二人は「時代映画」昭和34年10月号で対談をしているのだが、
市川:今度の「薄桜記」で僕のやる丹下典膳というのは、一応面白い性格になっているね。併し、それをどういう 風にやるかというのは、なかなか難しいな。僕はまだ、そう本もよく読んでないしね。具体的には、まだよ く考えてないんですがね。まあ、大ざっぱに言えば前半は甘くね。後半はね、本に書いてある通り、秋の大 気が草木を枯らすという雰囲気らしいからね。片手をなくしてからの丹下典膳の心境は。
勝:シナリオでは、安兵衛と、典膳の、武士の友情ということもあるけど、やっぱり、典膳と千春の愛情だろうね。
市川:いや、やっぱり、二人の友情を主に書いてありますね。まあ、こじつければ淡い三角関係みたいのもあるけ どね。悲恋映画みたいになっているね。
勝:会社としては、陰と陽というのを狙ったんでしょうがね。安兵衛は陽にはなってないね。どうも安兵衛の性格 というのはちょっと言えないな。随分たくさん、出場はあるんだけど。
市川:でもね、僕が感じた典膳と安兵衛は明暗ではなくて、柔と剛という感じ方の方が良いと思うね。そして典 膳自身から言えば、前半は明にして、後半は暗と、明暗に分けてねわかりやすく分ければ。
勝:典膳は「堀川波の鼓」だね。
市川 :うーん。もうちょっと、あれの近代人だな。
よく言われているところでは、この作品で勝新がもう少し工夫して演じれば、かなり堀部安兵衛のウエートが重くなったはずなのだが、観客には、おひなさまが典膳と千春の真実の愛のしるし=青春のシンボルとして理解され、典膳・千春のラブ・ストリーとして観られたのではないかと思った。ただし、「生類憐れみの令」−お犬さまにはかなり驚いたようで、具体的な映像で歴史を説明するということから考えれば観客に江戸時代の将軍の権威を見せつけたことになろうか。おもしろいエピソードが残されている。勝新が伊藤大輔監督に「この映画どっちが主役なのか」と尋ねると、伊藤監督は「うまいほうが主役だ」と答えたという。
巨匠・伊藤大輔の脚本・監督による「切られ与三郎」は、58年に同じく伊藤大輔監督作品「弁天小僧」に続く雷蔵歌舞伎シリーズ第2弾である。(ちなみに、第3弾は「お嬢吉三」)有名な源氏店のゆすり場はさらりと描かれ、原作「世話情浮名横櫛」にない旅回り役者一座のエピソードでは、純情一途の娘だったかつらの変節ぶりに観客からどよめきが生まれた。やはり、「女は怖い?」というのは万国共通かそれとも「女は男で変わる?」だろうか。最期の義妹金との顛末には伊藤大輔らしい哀感が漂い、いつもながらほろりとさせられた。
3本立の最後の作品「ひとり狼」は雷蔵晩年の傑作と言われ、亡くなる前年の作品。クリスの前説でも股旅映画についての説明があり、好きな監督の一人に池広監督を挙げるくらいなので、彼の説明にも熱がはいったのだが、そこで語られるヤクザの作法については、「日本経済新聞」に載った渡辺武信の文章を借りるのがてっとり早い。
ー ヤクザは、旅をして同業の親分の家で仁義を切れば食事と宿にありつける。いわゆる一宿一飯の恩義だが、ケンカの助っ人を頼まれても断りきれず、命をかけるはめになることもある。「ひとり狼」には、その一宿一飯の恩義を得た場合の食事の作法が描かれている。中年のやくざとその弟分(長門勇、長谷川明夫)は、ある親分の家で同業者と宿を共にする。そうとは知らないが、彼は人斬りの伊三蔵(市川雷蔵)という有名な人物である。夕食には飯と汁と焼き魚が供される。三人がご飯を二杯ずつ食べると飯櫃が空になる。二人組みの弟分が「お代わりをもらってきましょうか」と言うと、兄貴分が「一宿一飯の旅人は一汁一菜、飯は二杯と決まったもんだ」とたしなめる。黙々と食べ続けていた伊三蔵は、食べ終えると、残った魚の骨を懐紙にはさんで懐にしまい、空になった皿の上に汁椀と飯茶碗を重ね、奥に向かって「ごちそうさまでした」とあいさつする。その礼儀正しさには、弟分をたしなめたばかりの兄貴分ですら感銘を受けるのだった。 ー
トップシーンはもくもくと歩く伊三蔵の後姿、そしてラストシーンは雪の中を歩く伊三蔵の横顔。この姿は観客に印象的だったようだ。雷蔵の折り目正しい演技、プロに徹する厳しい生き方、愛を渇望しながらも旅から旅へとさすらわなければならない伊三蔵の姿は観客の共鳴を呼び、エンドマークとともに拍手が起こった。今晩の三作品のなかで、拍手が起こったのはこの作品だけだった。嬉しかった。
日曜日の午後5時から上映される映画に100人弱の人が詰め掛けるのは、やはりアメリカの観客でも時代劇に喝采を送るということなのだろうかと考える。
一人の観客と話し合ったことだが、彼の質問は「現在でも今回上映されたような作品が製作されているのか」ということだったが、これに「ほとんどない、時代劇は年に1−2本製作されればいいほうだ」と答えると「それは淋しいね」という返事だった。「アメリカの西部劇だって、いま1年に何本製作されているの」と反対に聞き返すと、「同じだね。それに、ジョン・ウエインはもういないしね」と言うので、ついつい「雷蔵は33年前に、勝新も5年前に亡くなった」と話してしまい。お互いに寂しさを噛みしめてしまった。なんだか、同病相憐れむみたいで、いくら大作アメリカ映画が世界中のマーケットを席捲しても、建国当時のアメリカ開拓者精神を描く西部劇が新作として出現しないのは、映画好きには寂しいことなのだろうと思う。
さて、最後の3本のうち「座頭市喧嘩旅」だが、座頭市に対する強力なライバルがいないのでちょっとつまらない。初期の頃と比べ、製作が進むにつれてスーパーマン化していく座頭市だが、あくまでアウトローという性格を失わずに座頭市らしくその個性的な殺陣を見せてほしい。シリーズ映画はどうしてもマンネリ化するものだが、ライバル役やからむ女優、悪役の親分たち等々に個性の強烈な役者を配すれば、マンネリ化を防げるのではないかと思う。勿論、チャンバラ映画である、殺陣やラストの大立ち回りシーンに工夫をこらすことは言うまでもないことだが、この後の第8作「座頭市血笑旅」では三隅研次監督の演出も冴えて傑作の呼び声が高い。
三隅研次監督、市川雷蔵主演“剣三部作”(他の二作は「剣」「剣鬼」)のひとつ「斬る」は、暗い出生の秘密と、斬ることの宿命を背負って剣に生きる、孤独な若き剣客の姿を浮き彫りにした異色作品。柴田錬三郎の原作と雷蔵の演技を、三隅研次がうまく結びつけている。伝奇的な要素を取り入れて見る人の意表をつくのも、この作品の魅力のひとつといえる。なお、71分という短い時間に、雷蔵の迫力にみちた殺陣を中心につづられていく内容は、ベテラン・シナリオライターの新藤兼人の脚色に負うところが大きい。
また、雷蔵が敵を文字通り真上から一刀両断するシーンでは、人間がまさしくまっぷたつになる。いつもながら観客がどよめくシーンだ。観客もトップシーンの腰元に扮する藤村志保の殿様の愛妾惨殺シーンから、画面に引き込まれ、水もしたたるような美剣士ぶりを見せる市川雷蔵扮する信吾に魅せられ、彼の波乱に満ちた孤独な剣客の半生に見入っているように見えた。雷蔵の虚無的なキャラクターは、翌年からスタートする“眠狂四郎”シリーズに受け継がれていった。
勝新太郎が白塗りの長谷川一夫的キャラクターから脱却し、その個性を初め見せた作品として名高い「不知火検校」はピカレスク時代劇の佳作としても語られているが、“座頭市”しか知らない観客には少々驚きを持って迎えられたようだ。勝新扮する徳の市は意地汚く貯めこんだ金を元手に、悪行の限りを尽くす。その上、金を貸した相手の弱みにつけ込み、挙句は師の検校を殺して検校の地位を手に入れる。この作品があったからこそ、後の“座頭市”が生まれたともいえる作品。
三日間の上映が終わり、来年も同じような上映会が開催され、多くのアメリカの観衆に、日本映画黄金時代のプログラムピクチャーと呼ばれる作品を観てもらう機会を、基金の助力のもと提供できたらと願うのみである。(国際交流基金・東京本部へ提出報告書より)