狂四郎にとって祖父にあたる主水正との出会いも印象的だ。墓参の帰途、七十あまりの白いあご髯の老人に「血の匂いを、剣風にのせていなさる」と殺気をいましめられ、お茶に誘われる。楽水楼としか名乗らないこの老人、実は主水正の隠居姿だった(第四話)。
この作品は一話一話に起承転結が設定され、読み切りの形になっている。しかし、百話を通して読むと、連鎖状に大きな政治闘争が背景として見え隠れし、狂四郎をめぐる女性関係、敵対関係も波乱のある展開をして、九十四話あたりから多くの登場人物たちとの葛藤が終息に向かうという、長編小説にもなっている。この二重構造がもたらす物語の奥行きの深さ、主人公の行動範囲の広さや気ままさ、多様な登場人物の出没のしかたに、物語の自由を獲得している作者の力量を感じる。たとえば、狂四郎が旅に出れば、街道筋や旅先の土地の風物が描かれ、大塩平八郎、鼠小僧次郎吉、河内山宗俊などなじみの人物も登場する(ただし次郎吉は準主役的な活躍をするのだが、なぜか映画には登場していない)。
時は十一代将軍家斉の治世、文政十二年から天保四年にいたる時代、老中の水野出羽守忠成一派の放埓な政治に対抗して、変革の志を持つ水野越前守忠邦が西丸老中として台頭するが、その知恵袋的存在で側頭役武部仙十郎の隠密的存在として狂四郎は活躍する。そのため水野忠成の老臣土方縫殿助の配下にいる隠密や甲賀忍組、政商備前屋の抱える剣客、家斉の娘高姫が放つお庭番たちを敵にまわして、狂四郎は生命を賭けた決闘を繰り返す。宿敵のロマン派的隠密・白鳥主膳との闘いは圧巻だ。第百話では死地に乗りこんで銃撃をうけるが、それまで敵対していた甲賀首領に助けられる。
そもそも、ちゃんばら愛好者が何よりも喜んだのは、円月殺法という剣技が創造されたことだった。作者は書く・・・“剣の道は(略)円転流通、循環変動、あたかも環に端がないごとく、天地自然とおのれ自身を交一させて、現実を円成する、と師より教えられた時、狂四郎は、不逞にも、それを心とせず、腕の技にしたのである。(略)敵の闘魂をうばい、一瞬の眠りに陥らせて一刀で斬り下げる”。
この立ちまわりを実現してみせたのが市川雷蔵である。十二作中、立ちまわりでもっとも楽しめたのは『眠狂四郎無頼控・魔性の肌』(昭和四十二年大映、池広一夫監督、高岩肇脚本)で、もっとも味わい深い作品は『眠狂四郎勝負』(昭和三十九年大映、三隅研次監督、星川清司脚本)だった。
ところで、眠狂四郎という剣士像の原型はニヒリスト、中里介山の巨編「大菩薩峠」の机竜之助であると指摘する向きが多いが、“浪人の
肩尖りけり
秋の暮”という句を詠んだり、「女を犯すことには慣れている男だと観念してもらいたい」とか「俺の顔に照り映える月の光が、おぬし、この世の見おさめだぞ」とかいうせりふを吐く侍は、スタイリストといったほうがいいのではないだろうか。
シリーズ第三作/『眠狂四郎円月斬り』(昭和39年大映、安田公義監督、市川雷蔵主演) |
宣伝コピーには“女も頂く、命も貰う!/愛も知らず、情けも知らず、冴えて冷酷、円月殺法”とあった。 |
註:
寺田博(1933〜2010)
日本の編集者、文芸評論家。長崎県に生まれる。早稲田大学教育学部卒。61年河出書房新社に入社し、62年に復刊された「文藝」の編集者として井伏鱒二や瀬戸内晴美はどを担当。編集長に就いた。79年には作品社設立に参加し、翌年文藝雑誌「作品」を創刊し、編集長に就いたが7号で休刊となる。81年には福武書店に入社し、「海燕」創刊編集長などを務めた後、退職。中上健次や島田雅彦、吉本ばなな、小川洋子など才能ある多くの新人作家を発掘して文学界の名伯楽と呼ばれた。2010年3月5日、結腸がんで死去。(Wekipediaより)
|