市川雷蔵主演の「眠狂四郎」は、勝新太郎主演の「座頭市」と並ぶ、大映の顔ともいうべき代表的シリーズの一つである。

 忍者の過酷な生態を描いたハードボイルド時代劇「忍びの者」シリーズ、『薄桜記』『大菩薩峠』『斬る』『新選組始末記』など、さまざまに侍を演じた作品群、軽妙洒脱なコメディセンスが光った『濡れ髪剣法』に始まる「濡れ髪」シリーズ、『沓掛時次郎』『中山七里』『ひとり狼』などの股旅もの、さらには雷蔵の出自である歌舞伎の世界に材をとった『切られ与三郎』『弁天小僧』『お嬢吉三』 − 市川雷蔵という俳優のフィルモグラフィをざっと見渡せば、時代劇に限ったところでも雷蔵=狂四郎ではないことが一目瞭然だが、それと同時に「眠狂四郎」が彼の代表作であることに疑いを差し挟む余地がないのも事実。狂四郎=雷蔵というイメージは、確実にある。

 「眠狂四郎」は雷蔵以前にも鶴田浩二の主演で映画化されているし、雷蔵以降も映画では松方弘樹、テレビでは江見俊太郎、平幹二朗、田村正和、片岡孝夫など、多くの俳優が演じてきた。本稿の趣旨から外れるので個々の狂四郎像について言及は避けるが、大雑把に言い切ってしまえば、いずれも雷蔵の打ち出した狂四郎像を凌駕するには至らなかった。というより、雷蔵の佇まいによって「映像の狂四郎」が決定されたと言って過言ではない。

 しかし、今でこそ狂四郎=雷蔵という認識に異を唱える者はないが、その誕生において「雷蔵/狂四郎」には、順風満帆とは言い難い紆余曲折があった。それらについて言及する前に、まず原作について簡単に触れておきたい。

 虚無を抱いて無頼に生き、冷酷非情に女を犯す円月殺法の使い手 − 眠狂四郎は、作家・柴田錬三郎によって生を受けた戦後時代劇小説を代表するヒーローの一人である。

 1956年5月、「週刊新潮」で第一弾「眠狂四郎無頼控」が連載を開始するや、瞬く間に読者の圧倒的な支持を受けた。では、何をしてそこまでの支持を得たのか?

 とりあえず、週刊連載という性質上、筋立てよりディテールの面白さがものを言うのは明白。その意味で、「眠狂四郎」の成功は、そのキャラクター性に負うところが大きい。

 作者は、まず最初にストーリーではなく、主人公の名前を考えることに腐心したという。以下は、作者自身による「眠狂四郎の誕生」というエッセイからの抜粋である。

 「大菩薩峠」を読んだ人は、さまでは多くないであろうが、「机竜之助」という名前は、だれでも知っているはずであった。机は、すくなくとも、小学校へかよった者なら、毎日、それに就いているからである。人間の日常にとって、絶対に欠かせぬものはないか?・・・そうだ、人間は、毎夜、睡眠をとらなければならない!眠だ!私は、悪党の姓を「眠」とつけた。悪党である以上、その名も、異常でなければなるまい。狂っている奴だ。

 ゆえに眠狂四郎、当然、次はその中身が問題になってくるのだが、そこについては、76年6月22日の読売新聞で次のように述懐している。

 私は、この名前をつくりあげると、おのずと、その人物像が、脳裡にうかんで来た。こうして、一ヵ月後、私は「眠狂四郎無頼控」第一話を、麻生吉郎(新潮社)に手渡した。しかし、その第一話は、かなり狂四郎像が甘かった。S氏が、電話をかけて来て、「あまり面白くないですね」と、ずばりと言った。私は、用意していた別の話を書いて、渡した。いきなり、女を犯す悪党ぶりを披露したのである。これが、受けた、私自身、あっけにとられるほど、受けた。

 これが、主人公が連載開始早々にして女を犯すという、前代未聞の時代劇ヒーロー誕生の顛末である。ルックスについては「異人の血でも混じっているのではないかと疑われる程彫りの深い、どことなく虚無的な翳を刷いた風貌」とあるが、これは転びバテレンに犯された武家の娘から生まれた不義の子という呪われた宿命に起因する。

 必殺技は円月殺法。第一話のラストで「眠狂四郎の円月殺法をこの世の見おさめにご覧いれる」という台詞とともに、下段に構えた狂四郎の愛刀無想正宗が左からゆっくり弧を描き、敵を打ち倒すのである。

 以降、柴田錬三郎は「眠狂四郎」を20年以上にわたって書き綴り、「独歩行」「殺法帖」「孤剣五十三次」「虚無日誌」「無情控」「異端状」などの作品を遺した。