前回は『眠狂四郎』シリーズについて紹介したが、当然のことながら市川雷蔵は『狂四郎』だけの俳優ではない。

 1954年に『花の白虎隊』でデビューし、1969年7月17日、37歳の若さでこの世を去るまでに出演した映画の本数は、実に158本を数える。わずかな助演作品とオールスター作品への顔出しを除けば、そのほとんどがいうまでもなく主演作で、その大半が時代劇である。

 1冊の書籍ならいざ知らず、雑誌の4ページの記事で、それらの全てについて触れるのはあまりに無謀なのだが、ちょうど今年の8月より三ヶ月にわたり、市川雷蔵主演作品のDVD17タイトルが発売されるので、今回はそれらの中から11本の純然たる時代劇をサンプルに、雷蔵作品と大映作品の魅力について触れてみよう。

 市川雷蔵は歌舞伎の出だ。1931年誕生ののち、翌年に市川九団次の養子に入り、46年に三世市川莚蔵として初舞台を踏む。51年、市川寿海の養子となり、同年八世市川雷蔵を襲名。54年、大映に招かれ映画界入り、『花の白虎隊』でデビューを飾るのである。

 歌舞伎ではあまり役に恵まれなかったものの、映画の世界で本領を発揮した雷蔵は、瞬く間にスターダムにのし上がり、やがて大映を支える看板スターとして活躍するに至った。ということは、本誌読者であれば先刻ご承知のことと思う。

 そんな雷蔵には、歌舞伎に材を取った作品が何本かあるわけだが、今回、その内の二作品がDVD化される。『弁天小僧』と『切られ与三郎』、ともに名匠・伊藤大輔の監督作品だ。

 まずは58年公開の『弁天小僧』より。この作品は、三世歌川豊国が描いた錦絵「白波五人男」を基に、河竹黙阿弥が書いた「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」という世話物の映画化である。

 戦前より数々の名作時代劇を残してきた伊藤大輔が、徹底した様式美をもってフィルムに歌舞伎の世界を描き出したが、中でも白眉なのが、最も有名な浜松屋強請の場面。これを、追いつめられた五人男たちが江戸を離れる前の最後の大仕事の相談をする場面に、実際に舞台に仕立てて挿入する手管が実に見事である。

 「どこの馬の骨か知るものか」、娘に化けた弁天が、その正体を見破られ、もろ肌晒して啖呵を切る − 「知らざぁ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残した盗人の・・・」

 この場面は、雷蔵の養父・寿海がアドバイザーとして参加し、かつら、小道具に至るまで微に入り細に入りこだわって作られた。

 ちなみに、雷蔵は62年の井上梅次監督作『女と三悪人』でも、役者くずれの芳之助役でふたたびこの場面を演じている。それほどに似合いの一幕なのだが、シチュエーションの違いから全く異なる味わいに演じ分けているあたりに、表現の幅がうかがえるので、興味のある向きは見比べてみるのも一興であろう。

 また、ラストの捕物の大立ち回りで、生き別れの父と名乗りを上げずに別れを告げる場面は、雷蔵の情感溢れる演技も見事だが、それ以上にカメラワークからセット、照明に至るまで、大映京都撮影所の力が嫌が応でも感じられるスケール感溢れる画面に仕上がっている。

 一方、60年の作品になる『切られ与三郎』は、脚本も伊藤大輔自身が担当。伊藤は監督としてのみならず脚本家としても定評があり、事実、手掛けた映画脚本は監督作の倍以上にあたる200本。本来は小悪党の与三郎の人物像を情に篤い、悲運の男に書き換え、これが主演の雷蔵に見事にフィットした。

 与三郎を翻弄する悪女のお富とかつらを、それぞれ淡路恵子と中村玉緒が好演。また、本作オリジナルの設定で義妹のお金を登場させ、与三郎とお金の悲恋を描き、これを様式的な映像の内に完璧なメロドラマとして描いた。

 映像面では、またも伊藤の手腕が冴え渡り、特にお富が与三郎を口説き。唇を重ねるまでの場面や、かつらが情夫を殺し、与三郎に連れて逃げてと縋る場面の光と影が生み出す陰影の妙には、目を見張るものがある。

 照明は『弁天小僧』同様、中岡源権が担当、カメラマンの宮川一夫と美術の西岡善信も二作を通じての参加であり、ともに当時の大映京都が誇った、センスと技術水準の最高峰が堪能できる傑作であることは疑う余地もない。

 また、いずれもラストが、ロングショットに御用提灯が乱れ舞う捕物で盛り上がるが、これはいうまでもなく伊藤大輔の十八番である。