1954年11月1日(月)公開/1時間40分新芸術プロ映画/白黒スタンダード
併映:『若い人たち』(吉村公三郎/音羽信子・日高澄子)
製作 | 福島通人・樋口大祐 |
監督 | 冬島泰三 |
原作 | 旗 一兵 |
脚本 | 舟橋和郎 |
撮影 | 太田真一 |
美術 | 川村鬼世志 |
照明 | 藤来数義 |
録音 | 杉山政明 |
音楽 | 上原げんと |
出演 | 美空ひばり(お夏)、香川良介(但馬屋九右衛門)、河野秋武(勘十郎)、堺俊二(与助)、三条美紀(お蔦)、柳永二郎(近江屋甚兵衛)、山茶花九 |
惹句 | 『好いて好かれた清十郎さまに、歌うお夏の恋模様!』『ひばりのお夏!雷蔵の清十郎!哀艶の情緒と歌で描くご存知恋模様』『お夏可愛や、清十郎憎や、恋にやつれた二人旅』『ひと目逢いたい清十郎様に・・・・お夏可愛や恋の歌!』『待ってました!日本一の恋模様!ほっとため息の出る初顔合わせ!』 |
★ 物 語 ★★ かいせつ ★
新芸術プロ出演作品。全作品中、他社出演はこの作品のみ。戦前に林長二郎・田中絹代が主演、戦後は市川右太衛門・高峯三枝子でリメイクされたもの。三回目の映画化。
冬島泰三監督 「今までと違って、これは若く明るく唄うお夏です。多少アプレ的なお夏といった方がいいかもしれません。映画の中で速いテンポの中にも江戸情話の雰囲気がいくらかでも出れば成功だと思います。あくまでも、ひばりのもだから、やはり、ひばりらしく描くつもりです。また、共演の市川雷蔵も、ひばりと共に私には初めての人ですが、若い人たちに受ける、非常に甘い新鮮なコンビを期待しています。」
近来、増々その演技力と共に、得意の歌謡に進境を見せ、唄うスターとして揺るぎない王座を保つ、美空ひばりが、甘い歌の数々を聞かせ、『幽霊大名』で好評の関西武智歌舞伎の俊英、市川雷蔵が、水もしたたる様な男振りを発揮する艶麗浮世草紙篇。
時代劇悲恋ものとして余りに有名な物語を、ぐっと楽しく趣向を変え、唄と乱闘を随所に盛っている。原作旗一兵、脚本舟橋和郎で、冬島泰三の監督作品。
美空、雷蔵のお夏清十郎の他、助演陣に、香川良介、河野秋武、柳永二郎と達者な顔を揃え、三条美紀が妖艶な役どころで花を添える。更に川田晴久、堺駿二の爆笑二人組はこの映画の明瞭な性格を如実に語るものであろう。
撮影太田真一、照明藤来数義、録音杉山政明、美術川村鬼世志、音楽上原げんと、と最高スタッフで、主題歌はコロムビアレコード。新芸術プロ作品で、皆様の新東宝が贈る青春恋愛時代劇の異色篇である。(公開当時のパンフレットより)
米問屋但馬屋の手代清十郎は美男子で働き者。但馬屋の娘お夏は気丈な娘で、清十郎を心から慕っているが、表面は主従の気持ちを崩さない。ある日、但馬屋に米の買付金五百両がお奉行から届くが、商売仇の近江屋は但馬屋の手代勘十郎をそそのかし、その金を盗み出し、清十郎に濡衣をきせ、その上、策略を用いて但馬屋を倒産させてしまう。島流しの刑に処せられた清十郎は、この報を知り、流刑場を脱出し、窮地に追い込まれたお夏と但馬屋を救いに行く・・・・。
監督も苦笑の『お夏清十郎』
新東宝でシルバーウィークに公開する 新芸プロ作品『お夏清十郎』は、美空ひばりと市川雷蔵の顔合せ、冬島泰三監督のメガホンで快調なクランクをつづけているが、『お夏清十郎』は戦前長谷川一夫と田中絹代、戦後は市川右太衛門と高峰三枝子の顔合せで映画化されたことがあり、今度で三度目。内容はいまさら紹介するまでもなく、米問屋の娘お夏と番頭清十郎との恋物語であるが、今度の映画化に当って冬島泰三監督は、
「お夏清十郎といえば、広く一般に知れわたったものだけに、いままでのものと趣きを全然変えるというわけにはいきませんが、ひばり主演ものなので、長谷川、田中の顔合せで製作したものとは違ってくるでしょう。いってみれば、アプレお夏とでもいった女性が登場することになるでしょうが、かえってこの方が現代の人たちに受けるかも知れないと思っています。明るくテンポもはやくして作るつもりで、若々しい現代劇調のものにしたいと考えていますが、そのなかに江戸情緒といったものがにおえば成功だと思っています」と語った。
ところで、このセット撮影風景をのぞいてみると、物語の性質上ひばりのお夏と雷蔵の清十郎との情緒テンメンといった場面がおおいのだが、お二人ともラブ・シーンとなると妙に照れて、冬島監督の意図する情緒がなかなか出ず、スタッフの連中をじれったがらせている。
「もうちょっと、ひばりちゃん甘えるようなシナをつくって」と冬島監督から注文が出ても、「だってぇ・・・」といいながら、日ごろ活発そのもののひばりがおおいに照れ、やっとひばりの方に甘さが出てきたと思うと、今度は相手役の雷蔵が照れて棒をのんだような堅さ。これには冬島監督も苦笑して、「ひばりものははじめてで、アプレお嬢さんかと想像していたら、実際はその反対に大変な純情娘さんだねぇ」と感嘆すれば、これをきいたひばり、「あら、失礼しちゃうわ。まだこれでも私、恋愛したことなんかないのよ」
ひばりは今年で十七、雷蔵は二十三という若さで、まだ恋愛の経験が全然ない二人を取組ませたのがどうやら失敗の原因で、「せめて男の方を、恋愛経験者にすべきだったな」といってもあとの祭。(デイリースポーツ・大阪版 10/20/54より)
『お夏清十郎』といえば、戦前松竹にて犬塚稔で林長二郎と田中絹代の主演で作られ、当時のファンをうならせた艶ものの代表作であるが、戦後は市川右太衛門、高峰三枝子で再映画化され、そしていま新東宝で十七歳の美空ひばりと、二十三歳の市川雷蔵の初顔合せによる若々しい『お夏清十郎』を冬島泰三が演出、目下淡路島ロケ中である。
冬島監督は、「これは若く明るい歌うお夏である。多少アプレのお夏といった方がいいかも知れない。早いテンポの中に、江戸情話の雰囲気がいくらかでも出れば成功だと思うが、ひばりものだから、やはりひばりらしく描きたい。清十郎にふんする雷蔵もひばりも私は初めてであるが、若い人たちにうける、非常に甘いコンビが出来ることを期待している」と語っているが、中村錦之助と組んで、『八百屋お七 ふり袖月夜』を撮った後だけに、人気がわくか面白い課題ではある。(オールスポーツ 10/20/54より)
歌ごよみ お夏清十郎 滋野辰彦
『ふり袖月夜』では八百屋お七の恋物語をハッピイ・エンドにつくりかえたが、今度もお夏清十郎の悲恋を、めでたい結末に終らせている。美空ひばりを主役に、売出しの若い二枚目と組合せる企画にとっては、このように自由な改変も一つの変った狙いとして悪くはない。いわば娯楽としての立場からみれば、これは古い恋物語の新しい扱い方でもある。
しかし新しい扱いである以上、演出にも新しさがなければ困るのであって、娯楽作品だからいい加減に作っておけばすむという態度では困る。脚本も演出も力を抜きすぎている。うまい下手を論ずる以前の出来なのだ。
一流の人気スタアひばりと新スタア市川雷蔵の共演だから、この映画は或る程度人目をひく。そしてこの程度の娯楽映画が、もっとていねいに作られないと、日本映画全体のレヴェルが容易に上昇しないことになる。
ひばりの主演映画だから歌がはいる。この種の歌謡映画では、不思議に歌が作品の内容から離れてしまう。歌いはじめるトタンに、お夏はただの流行歌手美空ひばりに替ってしまうのである。雷蔵の清十郎は島流しになり、脱獄して国に帰ると、与三郎もどきの啖呵を悪番頭の前できってみたり、たかが回船問屋の番頭のくせにむやみに強かったり、取ってつけたようなエピソードが重なりすぎる。白塗りの雷蔵は魅力がない。興行価値:題材の大衆性とひばりの主演で一応の成績は期待できようが、作品が粗末だから、成績は尻つぼみになる危険性大。(キネマ旬報より)
随談第26回 観劇偶談(その10)
池袋の新文芸座で美空ひばり映画特集が2週間ほどあったので、2日ほど覗いてきた。メニューは一日二本立てで日替わりなので、その日都合がつかなければそれっきりである。
橋蔵・雷蔵・錦之助を相手にした『笛吹き若武者』『お夏清十郎』『ひよどり草紙』の3作を見ることが出来たから最小限度のお目当ては達成したわけだが、(ついでに『大江戸喧嘩纏』という橋蔵ものも見たが不出来な作だった。せっかくの機会なのだからもう少しマシなものはなかったか。たとえば東千代之介との『振袖競艶録』というのは実は『鏡山旧錦絵』を踏まえていて、ひばりのお初に千原しのぶの尾上、浦里はるみの岩藤という三役揃った配役は、これほどの柄と仁の揃うことは歌舞伎でだってそうざらにはないだろう)、『伊豆の踊り子』『お嬢さん社長』(佐田啓二が相手役だ)という松竹時代の作品が見られなかったのがちょいと心残りである。
昭和28、9年、ちょうど娘盛りになったころのひばりというのは、大家になってから後のイメージからはちょっと想像しにくい、高音のきいた歌声とともに、単に懐かしいだけでなく、「別のひばり」になり得た可能性を持っていたと思う。深尾須磨子がひばりのために作詞をした『日和下駄』とか、『お針子ミミイの日曜日』などという和風シャンソンを歌ったり、ひばり生涯のうちの「短日の秋天」の趣きがある。
『伊豆の踊り子』は野村芳太郎若き日の佳作だが、この中でひばりが歌う「三宅出るとき誰が来て泣いた、石のよな手でばばさまが、マメで暮らせとほろほろ泣いた、椿ほろほろ散っていた」で始まる曲は、何故かあまり喧伝されないので知る人もすくないようだが、ひばりの歌と限らず、日本の歌謡史という視点に立ってもユニークな名曲だと思う。短い旋律を繰り返し歌いながら、微妙にヴァリエーションがきいてゆく具合が絶妙で、ひばり歌謡としても屈指の名歌唱と、私はひとりひそかに信じているのだが・・・。ちなみにこの歌の最後は、「絵島生島別れていても、こころ大島燃える島」というのである。
ところで、『笛吹き若武者』と『ひよどり草紙』は大川橋蔵と中村錦之助のそれぞれ映画デビュー作だが、いま見ると、こんなに幼かったかなという感は否めない。それに比べると雷蔵は、デビュー作でこそないがデビューの年の作品であることを考えると、驚ろくほど、すでに大人の芸になっている。大店の手代としての清十郎にはさすがに上方歌舞伎の役者らしい和事味があるし、途中から流刑になって、島抜けをして戻ってくるという与三郎みたいな凄味な男に変貌するのだが、そのあたりも冴えている。はじめから幼さというものがない。これは雷蔵論に直結するものだろう。作品としても、あとの二作よりも出来がいい。
しかしそうはいっても、たとえば橋蔵の平敦盛が、一の谷で熊谷直実(大友柳太朗である)に呼び止められ、渚に引き返してくるあたりの優美さはハッとさせるものがあるし、錦之助の前髪立ちの若衆ぶりというものは、まず真似手がない初々しさと、奥に猛々しさを秘めた優美がある。これは橋蔵にも雷蔵にもないものだ。
ひばりをダシにした感もあるが、三人の原点を確認できたことは大収穫だった。(上村以和於の随談より)
作品の時代設定と背景 1661(寛文1)年ごろ、姫路の旅宿・但馬屋の手代、清十郎が主家の娘お夏と密通し、大坂へかけおちしたが捕らえられて処刑され、残されたお夏は乱心したという、実在の事件である。この事件は、「清十郎ぶし」をはじめ、俳諧、小説、浄瑠璃、歌舞伎などの好題材となった。 代表的なものは、小説で井原西鶴(さいかく)作「好色五人女」(1686)中の“姿姫路清十郎物語”、浄瑠璃で近松門左衛門の「おなつ清十郎笠物狂(かさものぐるい)」(1705)、「五十年忌歌念仏(うたねぶつ)」(1707)、近松半二、三好松洛(しょうらく)らの「極彩色娘扇(ごくさいしきむすめおうぎ)」(1760)など。 明治以後では、坪内逍遙作の舞踊劇「お夏狂乱」が有名で、戯曲にも真山青果作「お夏清十郎」をはじめ多くの作品がある。 時代は元禄時代(1688〜1703)、場所は兵庫県の飾磨津(しかまつ)の港(現在の姫路港)。この時代の天皇は東山天皇 / 江戸幕府の将軍は徳川綱吉。この地域は 1940(昭和15)年の市制施行で飾磨津市となり 1946(昭和21)年姫路市に合併され、現在に至っている。 元禄時代の出来事元禄元年:井原西鶴が日本永代蔵を刊行。 元禄2年:松尾芭蕉が奥の細道の旅に出る。 元禄14年:江戸城内の松の廊下で浅野長矩が吉良義央に切りつける。 元禄15年:赤穂浪士の討ち入り事件。 元禄16年:大石良雄ほか赤穂浪士の切腹。 |