山田長政・王者の剣
1959年5月1日(金)公開/1時間54分大映京都/カラーシネマスコープ
併映:「一刀斎は背番号6」(木村恵吾/菅原謙二・叶順子)
製作 | 永田雅一 バヌー・ユガラ |
企画 | 辻久一 |
監督 | 加戸敏 |
原作 | 村松梢風(「小説新潮」所載) |
脚本 | 小国英雄 |
撮影 | 牧田行正 |
美術 | 上里義三 |
照明 | 伊藤貞一 |
録音 | 大角正夫 |
音楽 | 鈴木静一 |
助監督 | 土井茂 |
スチール | 小牧照 |
出演 | 長谷川一夫(山田長政)、中田康子(ナリニー姫)、根上淳(大西五郎兵衛)、金田一敦子(パッター姫)、浦路洋子(王宮の侍女)、若尾文子(津田あや)、清水将夫(オーク・ヤー・シーオラウォン)、永田靖(オーク・ヤー・カラホーム)、田崎潤(有村左京)、舟木洋一(シー・シン親王)、伊沢一郎(喜太郎)、倉田マユミ(おそで)、浦辺粂子(日本人町の老婆)、荒木忍(松木新左衛門)、香川良介(津田又左衛門)、千田是也(ソンタム王) |
惹句 | 『南国の舞姫に永遠の愛を誓い異国の武将に不滅の友情を叫んで決然起った日本の快男児山田長政!』『遠く海外に空前の大ロケを敢行!大映が総力を結集して放つ豪華スペクタクル巨篇!』『咆哮する巨象の大群!百万の敵軍を撃破する日本の快男児長政の雄姿!メナム河に誓う灼熱の恋と友情!』 |
★ 作品解説 ★
大映がタイ国アスピン・ピクチャーと提携し、初の日・タイ親善の合作映画として製作する大映スコープ総天然色『山田長政・王者の剣』は、長駆5000キロのバンコックに現地ロケを敢行して描く、空前の豪華スペクタクル巨篇です。
内容は、徳川の初期、青雲の志やみ難く、若くしてタイ国に渡り、シャム王朝に仕えて数々の武勲をたて、日本人としての真価を発揮し、のち六昆国王に任ぜられた一世の風雲児・山田長政の誠実にして勇敢な波乱の生涯を通して、南国の舞姫に誓う灼熱の恋、異国の武将と結ぶ固き友情など、誇り高きロマンチック・ヒロイズムを描くことによって、現代日本の若人の胸に“大志を抱け”の精神を訴えるとともに、日・タイ両国民の友愛を強調しようというものです。
これは、合作映画として大映の永田雅一社長とアスピン・ピクチャーのバヌー・ユガラ社長がみずから共同製作にあたり、原作者村松梢風が、この映画のため、実地にタイ国へ渡って資料調査を行い、小説として“小説新潮”に発表したものをベテラン小国英雄が完全脚色、この所好調の波に乗る加戸敏監督が初の海外ロケに取組む超弩級作で、企画は辻久一、撮影牧田行正、録音大角正夫、音楽鈴木静一、美術上里義三、照明伊藤貞一のほか、タイ国側から美術考証としてシャレム・バンザニイラ、衣装考証としてブリム・ブンナーグがそれぞれ担当、風俗、時代考証にも万全を期するという背水のスタッフ陣を配しています。
なお話題のキャストは、五年振りの念願が実現したという長谷川一夫の山田長政のほか、大映初出演の中田康子、シャムの近衛仕官になる市川雷蔵に、若尾文子、根上淳らのドル箱スター、浦路洋子、金田一敦子らのホープに加え、ベテラン千田是也、小沢栄太郎、永田靖、田崎潤、香川良介、荒木忍、舟木洋一、伊沢一郎、倉田マユミ、浦辺粂子らの絢爛豪華な顔ぶれを網羅した堂々の配役陣容を誇っています。(公開当時のパンフレットより)
04/30/59 デイリースポーツ大阪版
★ 梗 概 ★
寛永二年(1625)のシャムロ国(現在のタイ国)は、アユチャ王朝ソンタム国王の治世下にあった。駿府生れの青年浪人山田長政が、御朱印船海神丸に乗って、メナム河口にさしかかったのは、年の暮れも迫った十二月なかば−。
主都アユチャには、遠く故国を離れ、南国に新しい天地を求めて集った人々で、日本人町を作っていた。袴をつけ大小を腰にした長政を迎えたのは、意外にも“だるま屋”で法螺話に花を咲かせながら盃を重ねていた自称宝蔵院流の槍の使い手大西五郎兵衛と、日本人町のオンプラ(頭領)津田又左衛門の家で昼寝をしていた跛の有村左京の二人である。大西とは旧知の間柄で、全くの奇遇であったが、有村は何故かいきなり長政の胸元に槍をつきつけ、又左衛門の娘あやがあわててこれを制止するという有様で、鋭く光る有村の眼には、長政に対して何かふくむものが感じ取られた。というのは、かって関ケ原の合戦で長政と槍を交わした有村は、その傷がもとで跛となり、流浪の民と化したが、いまその相手を目前にして恨みを晴らさんと狙うのだった。
この日、アユチャの都は、国王ソンタムの誕生日というので、町中が挙ってお祭騒ぎを演じていたが、名主の津田と古老格の松木の両名も日本人の代表として王宮に招かれ、このお祝いに参列していた。祝典がようやく最高潮に達したとき、手傷を負って駆けつけた青年仕官オーク・ヤー・カムヘーンによって、ビルマの大軍が国境を越えて侵入してきたという知らせがもたらされた。御前会議の結果、ソンタム国王は白象将軍とおそれられたオーク・ヤー・カラホーム軍務大臣に、直ちにビルマ軍撃滅の出陣を命じたが、長政は市中を行進するシャムロ軍を眺めて、敗戦を予言するのだった。
果たして長政の言葉の通り、シャムロ軍は大敗を喫して総退却を開始、あまつさえ、カンボジャ軍にも不穏な気配があると伝えられた。海神丸が長政を残して帰って行ったあとの日本人町に、ソンタム王がお忍びで現われ、この危機を打開するために、ぜひ日本人の協力が欲しいと懇望するのだった。又左衛門は司令官に長政を推挙、これをうけた長政は、カムヘーンの率いるシャムロ軍二千の精鋭とともに、五百の日本人義勇隊の先頭に立って、ビルマ軍十万の討伐にのぞんだが、長政の作戦が見事に成功し、敵陣は動揺を来たして壊滅した。
熱狂する市民の歓呼に迎えられながら凱旋した長政は、彼の希望通りシャムロ国の市民権を得るとともに、異例にもオーク・プラ・セーナピモック(伯爵)の位と親衛隊司令官の大任をソンタム王から仰せつかった。王はさらに彼のために、姪にあたるこの国一番の舞姫ナリニーに祝いの舞いを踊らせてその武勲をたてるのだった。しかし長政に対する絶大な知遇を快く思わないシーオラウオン宮内大臣は、敗戦の憂き目を喫したカラーホームをそそのかし、刺客を使って長政暗殺をはかるが、この密議を立聞いたナリニー姫は、日本人町出身の侍女とともに長政にことの急を告げるのだった。
彼はシャムロの剣法を学ぶまたとない機会だといって、敢えて死地に踏入れたが、もとより長政の敵ではなかった。長政の姿をみたナリニー姫は、妹のパッタマー姫とともにその無事を心から喜んだが、それはいつしか烈しい恋心と変って行った。
親衛隊長に就任した長政は、連日練兵場で隊員を相手に武技に励んだ。そんなとき、カラホームがシー・シン親王を擁して反乱を起し、加えて豪勇を四隣にうたわれた猛将オーク・ロワン・モンコン(ペチャプリーの総督)がこれの後押しをしているという。王の命により長政はペッチャブリーを目指して軍を進めたが大西はじめ、長政を仇と狙っていた有村も、それを忘れたかのように、率先、他の日本人とともに義勇軍としてこれに参加した。しかし戦斗なかばにしてさらにカンボジャ軍が越境したため、シャムロ軍は腹背に敵をうけることになった。長政はこの危機を救うため、超人といわれたモンコンに一騎打ちを挑み、これを見事に打ち倒したのち、カンボジャに立向ったが、モンコンを破ったという情報に恐れをなした敵軍はすでに撤退した後だった。
アユチャに凱旋した長政は、さらにオーク・ヤー・セナピモック(公爵)に叙せられるとともに、貴族としての豪華な邸宅を賜ったが、彼は高位高官をうるほど、周囲の妬みが烈しくなるのを秘かに案じていた。・・・・さらにソンタム王からのもう一つのすばらしい贈りものは、清楚な衣装をつけ、恥らいに身を固くするナリニー姫であった。しかし津田又左衛門の娘あやも、早くから長政を恋い慕っていたが、日本人町の人たちも二人はやがて結ばれるものと思っていた。
次の御朱印船海神丸がもたらしたものは、切支丹禁制のための鎖国令のおふれであった。このため日本人町は帰る者、残る者でわき返った。長政は大西、有村ほか二十人ばかりの日本人とともに断腸の思いで留り、又左衛門とあやの父娘は、大勢の人たちと一緒に第二の故郷に後髪を引かれながら帰って行った。ソンタム王はナリニーと長政の残留を心から喜んだ。
それから数年・・・・この間が長政の一生においても最も平和な、楽しい時期であった。長政は皇太子シエター王子の教育に専念するとともに、またナリニー姫との間は美しい愛の形身を設けた。そんなころ、病状が悪化したソンタム王は、シエター王子を長政に托しながら、全国民哀悼のうちに他界していった・・・・ソンタム王逝いて半年、早くも六昆に反乱の火の手が上った。長政をなきものとし、あわよくば王位さん奪を策すシーオラウォンとチャオピヤ・ブラクラン(大蔵大臣)は、シエター幼王をそそのかして、長政を六昆征討の総将として討伐に派遣し、ソンタム王佩用の剣とともに反乱鎮圧のあかつきは六昆王に赴任させようとした。賢明なシエター王も、年若くしては背後に悪辣な計略があることも知りえず、中央から隔絶せれることを案じて辞退する長政の意向も退けて六昆への進軍を命じた。
背後にイスパニヤの煽動があるという六昆軍は、意外にも新兵器で強力な抵抗を示した。長政は大西、有村らと作戦をめぐらし、奇襲戦法でこれを打ち破ったが、大西は流れ弾に当たって遂に南国に骨を埋めることとなった。しかしシーオラウォンの命令でアユチャの留守宅にはナリニー逮捕の警ら兵が立廻ったが、すでに彼女の姿は見えなかった。日本の着物に着替えた彼女は、赤ン坊を抱いて日本人町の喜太郎、猪之吉につれられ舟で六昆の長政のもとへ無事たどりつくことが出来た。
シーオラウォンはさらにカムヘーンに向い、相次ぐ内乱はすべて長政に起因していると力説、シャムロ国百年の大計のためにも、長政を暗殺せよと命じた。止むなく六昆に赴いたカムヘーンは、長政に新しいポルトガルのワインだと称して毒酒をすすめ、自分もこれを仰ごうとしたが、長政は毒と知りつつこれを飲み乾すと同時に、カムヘーンのグラスをたたき落し「あなたはシャムロ国に必要な人です。死んではいけない。シーオラウォンの邪悪に向かうのはカムへーンあなたの勇気だけです・・・私は今やシャムロ国にとって用のない人間・・・むしろ害のある人間かもしれません」と息も絶え絶えに語るのだった。ナリニーはさらに有村に子供を托し、突然毒酒を仰いで夫のあとを追った。・・・かくして波乱に満ちた長政の生涯は、南十字星のもと、静かに終りを告げたのである。(公開当時のパンフレットより)
|
異国を舞台にしてスケールの大きい活劇を作ろうという意図はいい。時代劇に新しいジャンルをきりひらくため、大型映画の威力をより多く発揮するため、ぼくは賛成したい。が、このために、山田長政を題材に選んだのはどうかと思う。山田長政なる人物を、いまの若い人たちは知るまい。いや、知っていようと知るまいと、そんなことはたいした問題ではないのだ。要するに、こんな桃太郎のような英雄の扱いではぐあいがわるいし、こんな美談風の筋立てではしょうがないといいたいのだ。
どうして山田長政がシャムへ渡ったのか、なざ、これほどシャム王朝に忠節をつくすのか、なぜ毒酒と知りつつ飲むのか−映画を見ただけでは、さっぱり見当がつかぬ。長政が、いかなる動機でシャムへ渡ったのか−史実は知らないが、作劇的には、長政が、シャムで一国一城の主になるためか、ないしはシャムの国王になろうという大望を抱いてやってきた−とでもしなければ、彼の行動は、今日ではもう理解されまい。
そうして、シャムにいる日本人たちを、日本へ帰りたくても帰れない人々−つまり、外人部隊ふうにでも扱ったら、もっとマシなものになったのではないか。もっとも、それでは、タイとの合作にはならなかったろうが−
大掛りな合戦場面は、さすが一応のスペクタクルな見せ場を作りあげているが、それだけでは、目の肥えた観客はだませない。
興行価値:企画が時代感覚とズレているため、せったくの大作も全国的に凡調。(キネマ旬報より)