1959年11月22日(日)公開/1時間50分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「浮草」(小津安次郎/京マチ子・若尾文子)

製作 三浦信夫
企画 財前定生
監督 森一生
原作 五味康祐
脚本 伊藤大輔
撮影 本多省三
美術 太田誠一
照明 中岡源権
録音 海原幸夫
音楽 斎藤一郎
助監督 井上昭
スチール 松浦康雄
出演 勝新太郎(堀部安兵衛)、真城千都世(千春)、三田登喜子(浪乃)、大和七海路(三重)、北原義郎(長尾竜之進)、島田竜三(大高源吾)、千葉敏郎(友成造酒之助)、舟木洋一(神崎与五郎)、伊沢一郎(戸谷兵馬)、須賀不二夫(村上庄左衛門)、清水元(長尾権兵衛)、寺島雄作(嘉次平)、加茂良子(お志津)
惹句 『隻腕、弧を描く雷蔵の必殺剣双手、宙に踊る、勝のニ刀流五味文学最高傑作の映画化』『鬼気迫る雷蔵の精妙剣勝奮迅のニ刀流友情か、意地か、美女への慕情か今ぞ相見る運命の二剣士』『妖気をはらんだ五味康祐の評判小説、雷蔵・勝の魅力の顔合わせで映画化』『降りしきる雪を血に染めて悲愴、壮絶の死闘展開』『音もなく降る初雪が一陣の剣風に舞って紅に染まる断つは恋の未練か斬るは武門の意地か隻腕妖気をはらんで怨敵に躍る

kaisetu.gif (3018 バイト)

クリック!

★解 説★ 

★いまや各方面から要望されている新しい時代劇には、まずそ素材の異色さと新鮮さが第一の要件となるわけですが、その意味でも『薄桜記』は出色のものです。

★物語は有名な赤穂浪士の仇討が背景となっていますが、いわゆる義士外伝的なものとはおよそ感じのちがう、格調の高い運命と剣と悲恋の叙事詩ともいうべき時代劇です。

★原作の五味康祐は、いうまでもなく剣を主題にした小説の第一人者ですが、産経新聞に連載されて大好評を博したその力作を、脚本家としても映画有数の伊藤大輔監督が二ヶ月の月日を費やして心血を注ぎ、香気ゆたかな一篇のロマンとして見事にシナリオに結実させました。

★演出に当る森一生監督は、人も知る伊藤監督の愛弟子であり、近来とみに好調の同監督が、この名脚本に愈々意欲を燃やして自らの声名を敢えて世に問う意気ごみですし、同監督のよき女房役本多省三カメラマンも、この一作にあらゆる野心的な試みを賭けています。

★大映時代劇の若き世代を狙う市川雷蔵と勝新太郎が、隻腕の剣豪丹下典膳、赤穂義士随一の剣客堀部安兵衛となって、オール・スタア映画以外に顔を合わし、火花を散らして競演するのも『柳生連也斎・秘伝月影抄』以来四年振りですが、久しぶりに四つに組むことは、けだし見逃しにならぬ魅力でしょう。

★さらに、この作品でSKDから大映銀幕にデビュウする新スタア真城千都世(まき・ちとせ)が、二人の主人公に恋される薄命のヒロイン千春を演じ、三田登喜子、大和七海路、北原義郎、島田竜三らの人気スタア、千葉敏郎、舟木洋一、伊沢一郎、須賀不二夫、清水元、寺島雄作、加茂良子、浅野寿々子、浜世津子、香川良介らの芸達者を交えた五十数名に上がる多彩な配役も、この異色作にふさわしいものといえます。

★映画全体は、吉良家討入直前の堀部安兵衛の回想で縁取られ、高田の馬場の駆けつけ、運命の剣士丹下典膳との出会い、高田の馬場の決闘とスピーディな滑り出しから、この二人の運命が、二転、三転、四転と、絡み合いつつ、この主人公たちを皮肉な立場へ追い込んで行く構成の面白さは、近来の時代劇に見られぬ魅力で、見る人に一層の感銘を残すことと思われます。

★江戸時代のもっとも華美だった元禄期の風俗も総天然色の画面で遺憾なく再現されますし、剣の凄愴さはその道の権威者森田鹿蔵教師の指導と名殺陣宮内昌平のアレンジで、随所にその殺気をみなぎらせます。しかも、全篇を通じての美しく悲しい恋の雰囲気は、心を打つ感動となって、見る人の胸に迫らずにおかないでしょうから、娯楽味が豊富で、題材が新鮮で、しかも調子の高いこの『薄桜記』こそ、本当の時代劇だといってはばかりません。(公開当時のプレスシートより)

−吉良家討入直前の堀部安兵衛の回想によって物語は展開する。安兵衛の高田の馬場への駆けつけというスピーディーな決闘から滑り出す。そこを通りかかった丹下典膳との出会い。二人がそれぞれに破門され、互いに織りなす意外な運命が二転、三転。安兵衛は播州浅野家へ、典膳は千坂兵部の知遇に応えて吉良の付人と、それぞれ仕えることになる。二人が皮肉な立場へと追い込まれる中で、武門の意地と友情を描き出す。−

  

★ 略 筋 ★

 中山安兵衛が高田の馬場へ伯父の決闘の助勢に駆けつける途中、すれちがった旗本丹下典膳は、安兵衛の襷の結び目が解けかけているのに気づいて、自身もかけつけたが、安兵衛の決闘の相手が同門知心流であることを知ると、典膳はその場を離れた。堀部弥兵衛親娘の助けを得た安兵衛は仇を倒した。

 一方、同門を見捨てた典膳は堀内一刀流の安兵衛へ決闘を迫られたが、拒絶した典膳を師匠の知心斎は破門した。安兵衛も師匠堀内源太左衛門の心を察して道場から遠のいた。

 源太左衛門の紹介で、上杉家江戸家老千坂兵部の名代長尾竜之進が安兵衛に仕官の口を持って来た。安兵衛はその妹千春に心をひかれた。谷中へ墓参の途中、野犬に襲われた千春は典膳に救われたが、生類殺害の罪で役人にとがめられた二人を救ったのは安兵衛だった。千春が典膳と恋仲であり、祝言も近いことを知った安兵衛は上杉家への仕官を断り、堀部弥兵衛の娘お幸の婿になって播州浅野家に仕える運命になった。

 典膳が公用で旅立った後の一夜、典膳に恨みをもつ知心流の門弟五人が丹下邸に乱入し、思うさま千春を凌辱して引揚げた。間もなく千春が安兵衛と密通しているという噂が伝えられた。旅先より戻った典膳は事の真相を掴み、親戚一同を集めて妻の無実を訴えた。

 浪人となって五人組に復讐する決意をした典膳は、長尾家を訪れ千春を離別した。典膳はその理由を語らず、千春の兄にわざと片腕を斬らせた。しかしこれは典膳ののぞむところだった。同じ日、安兵衛の主人浅野内匠頭は上杉家当主の実父吉良上野介を、江戸城松の廊下で刃傷に及んだが、その日を限りに典膳は消息を絶った。

 一年たった。同志とともに吉良襲撃を志して辛苦する浪人安兵衛は、或る日、吉良の茶の相手をつとめる女を尾行して、それが千春であると知って驚いた。典膳と別れた千春は千坂兵部の世話で自活していた。典膳も兵部の好意で米沢で療養していたが、兵部の手引きで吉良家に迎えられることになった。

 二人が江戸に戻ると同時に兵部の死が伝えられ、知心流五人組を斬った後、典膳は吉良の附人となり、赤穂浪士と戦う決意をした。一方安兵衛らの計画も進み、吉良が催す茶会の日取りを確かめるだけになった。

 この頃、典膳が江戸にいることを知った五人組の生残り二人は典膳を襲った。典膳は来合せた千春に救われ、七面山のかくれ家に運ばれたが、二人組は吉良邸から加勢を得て七面山に向った。一行は同門典膳の知心流の妙技に倒れたが、千春も一行の放つ銃弾に倒れた。

 折しも、千春を尋ねて安兵衛が七面山にたどり着いた。斬りまくる安兵衛に千春は吉良家の茶会は明十四日夜と告げると、典膳と相寄って果てた。( キネマ旬報より )

←クリック!「芸道対談」(vs.勝新太郎)へ

 一生忘れることが出来ない名シーンがたくさんある。

血や肉が飛び散るだけが迫力ではない

 片腕をなくし片脚は銃で撃たれて負傷した市川雷蔵。十数人を相手に勝負することになる。雪が降る中、担架代わりの戸板で運ばれてくる。寝転んだ状態の雷蔵に一人が斬りかかってくる。鞘を口にくわえ、刀を抜き、斬る。男たちは次々と襲い掛かって来る。雷蔵は転がりながら、這いながら、上半身を起しながら次々と斬っていく。強い。膝立ちにになり、斬り、時折、一瞬、立ち上がって斬る。相手はどんどん倒れていく。

 ラストの決斗のシーン。血や肉が飛び散ったり、大きな音がするだけが迫力のある殺陣ではない。ここの殺陣は血も肉も飛び散らないし、静かだが、凄まじい情念が籠り、迫力がある。血や肉が飛び散るよりも凄まじい。

 「ストーリーも忘れてしまっている。俳優さんの名も忘れてしまっている。しかし、あのカットというものが・・・(忘れられない)。どの写真にもそれがあってほしいです」(「時代劇映画の詩と真実」 伊藤大輔、加藤泰編集・キネマ旬報社)での加藤泰との対談で、本作の脚本を書いた伊藤大輔が言っている言葉だ。

 この作品にはそんなシーンはいくらでもある。雷蔵が片腕をなくすシーンも忘れられない。浪人五人に犯された妻を実家に返す。理由は言わない。そのことに妻の兄が怒る。「口で訊いても答えないなら、刀で訊く」と雷蔵を斬る。雷蔵はわざと避けず、彼の腕から血が出る。そばらくして、腕がポトンと落ちる。雷蔵が言う「この腕に代えて千春を引き取ってくれ」と。

 忠臣蔵外伝だ。中山安兵衛(勝新太郎)が吉良邸への討ち入りを目指して歩く途中、真実の愛があった二人のことを思い出す。中山が片思いをしていた千春(真城千都世)は丹下典膳(市川雷蔵)と結婚した。丹下が留守中、以前彼といざこざがあった浪人五人が千春を犯す。丹下は千春に罪はないので、彼女を実家に返す。実家に説明を求められ、先のシーンのように片腕をなくす。復讐を誓った彼は浪人たちを誘い出すが、片足を撃たれる。片腕片脚の状態で、助っ人も含めた浪人十数人と対決する。

 ここからがまた素晴しいシーンだ。縛られていた千春が縄を解き、丹下の元へ向かおうとするが、銃で撃たれて瀕死の状態になる。彼女は雪の中、這って丹下のところに行く。丹下は既に死んでいる。彼女の最後の力を振り絞って、丹下の手を握り締め、息絶える。

自然に子供が生まれるように出来た

 本作は原作とはかなり異なる。原作は千春は幼馴染と実際に不義を働くし、ラストは浅野家の家臣の安兵衛と吉良の用心棒の丹下がお互い友情を感じながらも、斬り合うという物語。伊藤大輔は原作者の了承を得て、美しく壮絶な愛の物語にした。監督の森一生は「森一生映画旅」(草思社)の中で、原作よりも脚本の方が優れていると話す。

 雷蔵も「雷蔵、雷蔵を語る」(朝日新聞社)には他の作品のことはあまり書いていないが、本作に限って脚本を読んで、自分が丹下だったらどうするか?現代にも通用するテーマだと書く。相当この脚本が気に入ったようだ。

 もちろん森監督の演出も素晴らしい。前出の書籍の中で監督は話す。「あれを撮る時、僕は自分の頭の中が空になったみたいに、ぼうっとやってるだけでしたな。(略)自然に子供がうまれるように生まれたんじゃないですかな」。

 紙の雛人形など、小道具の使い方、「お前のことは今でも好きだが、頭でわかっていても身体が許さない」などのセリフも一生忘れられない傑作。(掛札)(07/30/15 メディアックスMOOK504 本当に面白い時代劇)                   

 伊藤大輔のシナリオを森一生が監督したという、いわば、京都時代劇のヴェテランの顔合わせであるが、さすがにそれだけのことはあった。コクのある画面の積重ねが、観客たる我々を飽きさせることを知らない。

 最も印象に残るシーンと言えばラスト近く、市川雷蔵扮する丹下典膳なる武士が、自分の妻を犯した無頼の五人組と対決する辺りであろうか。公儀のために旅立った留守中、最愛の妻が卑怯な手段で犯されてしまう、そのために悶々と悩み、妻とも別れ、復讐を誓うが、不運にも片腕を失くし、その上、脚を射たれて歩行も不能となる。そこへ押寄せた無頼の徒等・・・白い雪が降りしきるなかで、立上ることもできぬまま、刀を抜き放って、多勢の敵と斬り結ぶ、冷徹というか、凄惨というか、何かヒヤリとするような魅力をたたえた、チャンバラのシーン。こういう場面を見ていると、いかに才人ともてはやされそうと、若輩の演出では及ばない、深味のある感覚を見出すのである。

 典膳は遂に、雪の中に横たわり、息たえて行く、その屍体に、やはり虫の息の妻千春がいざり寄って行き、手を固く結び合う。月並みの通俗時代劇のヒーローやヒロインにはありえない、不幸の数々に見舞われ、そして最後には非業の死をとげる、この相愛の夫妻、そこに映画は、本当の愛の情熱の姿を浮彫りさせているし、また、人生というものの悲しさを画面にみなぎらせている。娯楽時代劇として作られたものでありながら、作者の練りに練ったセンスの豊かさが、より深いものを表現してしまっている。

 映画は、この典膳夫妻と、四十七士の一人である堀部安兵衛の行状とをからませて描き、ドラマとしても、波乱に富んだ面白さが充満している。安兵衛が典膳の妻千春に寄せる慕情も、珍しい(?)新太郎の好演により、よく描かれているが、それが典膳との男同士の友情との相剋によって、より微妙に捉えられれば、もっと面白味を増したであろう、ややバラバラな印象を与えたのは惜しいことである。

 原作は五味康祐、と顔ぶれはすべて上々だが、それに恥じぬ、第一級の娯楽時代劇である。私は高く買う。

興行的価値 底力ある時代劇としてキャストも強く『浮草』二週目併映の封切りはヒット。(キネマ旬報より)

         

          

公開前日に新聞紙上を飾った広告

book.gif (2631 バイト)

赤穂浪士異色の外伝「薄桜記」は、1959年(昭和34)新潮社より発行。新潮社文庫で読める。

忠臣蔵を描いて比類なし、武士道を捉えて天下随一の名作。作家・荒山徹氏も熱血大絶賛!

 旗本随一の遣い手と言われた丹下典膳は、はからずも左腕を失い市井の浪人となった。一方、一刀流堀内道場の同門である中山安兵衛は、高田馬場の敵討で剣名を挙げ、播州赤穂藩浅野家の家臣・堀部安兵衛となる。立場は異にしても、互いに深い友情を感じる二人。だが、浅野内匠頭の殿中刃傷は、二人の運命をさらに変転させた。時代小説界の巨人が、侍の本分を貫く男たちを描いた名篇。

西脇英夫・映画より面白い(174)『薄桜記』 五味康祐・著/新潮文庫

 森一生の最高傑作とされる『薄桜記』(1959)は、前年、「産経新聞」夕刊に連載された五味康祐の時代小説を映画化したものだ。脚色は伊藤大輔、ただし両者にはかなりの違いがある。もちろん、隻腕の剣士丹下典膳と愛妻千春の悲恋、中山安兵衛の片思いと丹下に対する厚い友情などが物語の軸であることには変わりはないが、小説は『忠臣蔵外伝』といったおもむきが強く、浪人丹下典膳が主役ながら、とくに後半では、浅野内匠頭の刃傷沙汰から赤穂浪士の討ち入りまでが詳細に語られている。

  一方、映画は、典膳と千春との出会いに始まり、結婚、甘い新婚生活と続き、中山安兵衛の高田馬場での敵討に、たまたま典膳が折合わせ、剣道場の仲間が安兵衛に斬られるのを見過ごしにしたと同輩らに逆恨みされ、彼の留守中に妻を犯されてしまう。このことが噂となり、典膳は親類たちに狐がとりついただけだと納得させた上で、千春を離縁する。しかし、義兄の怒りを買って、片腕を斬り落とされ、その後、浪人となって隠遁しているが、恩人千坂兵部の手引きで、討入りの前夜、妻の復讐を果たすため例の同輩らと対決する。こうして、隻腕の上に鉄砲で足も撃たれ、戸板に乗せられながらも全員を倒すが、駆けつけた千春と共に斬り死にし、それらのことを回想しながら、中山安兵衛が赤穂浪士と共に吉良邸へ向かうというもの。いかにも、伊藤大輔好みの世話狂言である。

  ところが小説では、典膳と千春はすでに結婚していて、典膳が大坂赴任の間に、新妻が幼馴染と間違いを犯し、人の噂になってしまう。江戸へ戻った典膳はこれを狐の仕業として処理し、周囲を納得させた上で妻を離縁、これにより千春の兄に腕を斬り落とされる。ということで、千春の復讐などという話ではまるでない。では何があるかというと、その後の典膳の浪人生活の様子が延々と描かれている。もちろんその中に、安兵衛も登場するが、その他、上杉家江戸家老千坂兵部、柳生新陰流中興の祖柳生連也斎、豪商紀伊国屋文左衛門、人足請負業の元締白竿長兵衛といった様々な人物がからみ、典膳は千坂との交情から吉良の付け人となり、浅野家の家臣となった安兵衛と、互いに友情を覚えながらも敵対関係となってしまう。

  最後は、吉良の強力な用心棒である典膳を、安兵衛がどうしても斬らねばならないはめになり、典膳は安兵衛に討入り決行日の情報を与えた上で彼と対決し、覚悟の斬り死にをしてしまう。もちろんここに、千春が登場することはない。このように小説はあくまでも討入りを最後の締めくくりとして。吉良側と浅野側の明暗二人の生き方を、対照的に描くことを主旨としている。

  この手法は作者の得意とするもので、「二人の武蔵」「二人の荒木又右衛門」「柳生武芸帳」「柳生連也斎」「風流使者」などにも形をかえて現れている。なお、丹下典膳という名前は、林不忘が創作した「丹下左膳」と、大仏次郎が創りだした「鞍馬天狗」の本名「倉田典膳」の合成であるが、作者によれば実在の人物ということになっている。ただし、真偽のほどはわからない。

 それにしても、この小説からあの映画のドラマを脚色した伊藤大輔の創造力は賞賛に価する。映画の方がよかったというのではない。『薄桜記』に限って、映画と小説では、まったくといっていいほど別物なのだ。(キネマ旬報98年7月上旬号より)

 

daiei.jpg (1795 バイト) 

 

YaL.gif (2580 バイト)

Top page