1963年12月28日(土)公開/1時間26分大映京都/白黒シネマスコープ

併映:「悪名一番」(田中徳三/勝新太郎・田宮ニ郎)

製作 永田雅一
企画 伊藤武郎
監督 森一生
原作 村山知義
脚本 高岩肇
撮影 今井ひろし
美術 太田誠一
照明 伊藤貞一
録音 林土太郎
音楽 渡辺宙明
助監督 大洲斉
スチール 三浦康寛
出演 若尾文子(淀君)、成田純一郎(豊臣秀次)、北原義郎(石田三成)、東野英治郎(豊臣秀吉)、三島雅夫(徳川家康)、細川ちか子(大政所)、杉田康(名張の犬八)、中村豊(名張の仙吉)、伊達三郎(服部半蔵)、嵐三右衛エ門(木村常陸介)
惹句 『ムザムザ殺される俺ではない忍者の怒りが、忍びの奥の手が、どんなものか見せてやる』『五右衛門は生きていた声なく姿なく、どこまで続く忍者の死斗』『どっこい死んでたまるか地にひそみ、空をとんで、いまぞ果たさん忍者の復讐

 

  

★ かいせつ ★

★忍者ブームの口火をきった大映の“忍びの者シリーズ”の第三作で、今度は迫害の中で生き抜いて来た主人公石川五右衛門が、誰の手も借りないで巨大な権力にいどみ、ついに終生の悲願だった妻子の仇をとるという物語で、巷間、京三条河原で処刑されたと伝えられている石川五右衛門が、新しい資料の発見によって、実は歴史の裏側から天下の大勢を動かしていた、という解釈の面白さは、この『新・忍びの者』ならではといえましょう。

★時代は太閤の朝鮮征伐前後で、秀吉、家康、秀次、淀君、北政所をはじめ、歴史上有名な人物が次々と登場する史劇的な背景の中に、忍者の活躍が縦横に描かれるもので、前二作をしのぐスケールと興味が期待されます。

★石川五右衛門にはこの道のパイオニアたる市川雷蔵が扮し面目躍如たる活躍ぶり。豊臣秀吉に東野英治郎、淀君に若尾文子、北政所に細川ちか子、徳川家康に三島雅夫という贅沢な配役。

★製作永田雅一、企画伊藤武郎、原作村山知義、脚本高岩肇で、監督は一、ニ作の山本薩夫に代って、大映のエース、森一生監督にバトンタッチし、一、ニ作をしのぐスケールと面白さで演出にあたっています。(公開当時のプレスシートより)

 

 

 

 市川雷蔵と若尾文子のコンビといえば、これまで幾多の名作を生んできたが、このふたりが王朝風の宮廷風俗で、顔を合わせているといえば『新・源氏物語』の光源氏と葵上、古くは『朱雀門』の皇女和宮の悲恋などが思い出されるが、これは公卿姿になった伊賀忍者石川五右衛門と、太閤秀吉の寵愛を一身に集めた淀君という毛色の変わった組み合わせ、大映の正月映画『新・忍びの者』(監督森一生)の一場面である。

 秀吉のために、最愛の妻や子を殺されて復しゅうの鬼となった五右衛門が、いったんは秀吉暗殺に失敗して、三条河原で釜いりの刑に処せられようとするが、ここを奇跡的に脱出したのち、こんどは単身で当時旭日昇天の勢いの豊臣一家に挑戦。ひとおもいに秀吉を殺すというよりも、じわじわと神経作戦で、不安と混乱におとしいれようとする。

 時代は朝鮮征伐前後、五右衛門は大胆にも勅使と偽って、要害堅固な淀城の内部へ入りこみ、淀君の面前で一子秀頼を盗み出そうという不敵な企てをする。

 妻を殺された恨み、子を目前で殺された苦しみを、そのまま豊臣一家に味あわせるのが目的の五右衛門は、この淀城で、淀君や秀吉にショックと不安を与えることにまず成功するという場面で、生き残った忍者の復しゅうのおそろしさがつぎつぎに展開していく。

 雷蔵と若尾は、『新・源氏物語』いらい四年ぶりの顔合わせ。元来仲のよかったふたりだが、いまはどちらも結婚した家庭持ちだけに、セットのあいまの話題も、奥さんやこども、ご主人のうわさまで飛び出して、適当なおノロケを交えて和気アイアイ。撮影中の立ち回りも、ともすれば熱演すぎて、おたがいに顔を見合わせてニガ笑いをするという、明るいセット風景がくりひろげられている。  (西スポ 11/23/63)

 

   

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★ ものがたり ★

 天下統一のなった天正年間、秀吉の寵愛する淀君に秀頼が生まれ、幸福の絶頂にありました。しかし養子の秀次は生来の器量の狭さから、秀吉とは相容れず、一方家康も表面では秀吉に忠誠を装いつつも、じっと機をうかがっている様子でした。

 五右衛門が秀吉の配下に捕えられ三条河原で処刑される寸前に、忍者服部半蔵の手で救い出され、刑場から脱出したのも、こんな時代の背景の中で、家康の秘命が下されていたからでした。

 五右衛門はが妻子の仇として秀吉の命を狙っていることは、家康もよく知っています。五右衛門は身をひそめながらも、秀吉の動向をさぐり折があれば再び秀吉の命を奪おうとしていたのです。

 天正八年、秀吉は聚楽第に諸大名を集めて、秀頼を豊臣家の嫡子とすると宣言します。淀君の妖しい魅力のとりことなった秀吉にしてみれば、幼な子とはいえ秀頼に天下を譲りたくなったのも当然といえましょう。

 こうして秀吉と養子秀次の関係は険悪の一途をたどりますが、この機会を五右衛門は逃しません。秀吉は朝鮮征伐にのり出し、その間五右衛門は謀略を持って秀吉、秀次、北政所らの離間工作を着々と進めたのです。そのため、秀吉の秀次に対する態度は次第に硬化してきました。もちろん、秀吉も五右衛門が淀君をを襲い、秀頼を奪おうとするが失敗したことで、死地を脱した五右衛門が暗躍しはじめていることを知っていましたが、淀君の寵愛に気をとられて警備を固くしようとしませんでした。

 そして、秀次の老臣木村常陸介は、最後の手段として五右衛門に秀吉暗殺を依頼したのです。かくして五右衛門の秘術をつくしての伏見城潜入が実行に移されるのです。(大映グラフNo.6 64年1月号より

詳細は、シリーズ映画「忍びの者シリーズ」参照。

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