1969年2月22日(土)公開/1時間30分大映京都/カラーシネマスコ
併映:「関東おんな極道」(森一生/安田道代・渡辺文雄)
企画 | 八尋大和 |
監督 | 安田公義 |
脚本 | 高田宏治 |
撮影 | 今井ひろし |
美術 | 加藤茂 |
照明 | 古谷賢次 |
録音 | 大角正夫 |
音楽 | 鏑木創 |
助監督 | 太田昭和 |
スチール | 大谷栄一 |
出演 | 近衛十四郎(小洗音次郎)、亀井光代(お園)、長谷川待子(お初)、金田竜之助(北松市蔵)、金内吉男(輪島勇一)、石山健二郎(泉谷剛造)、富田仲次郎(杉谷理三郎)、遠藤辰雄(大戸国五郎)、田中三津子(お常)、水上保宏(水上竜平)、杉浦真三雄(千葉留夫)、木村元(島崎稲三) |
惹句 | 『腕でも、命でも、くれてやるから斬ってみろ!命を張って渡り合い、貫き通す鮮血一代!』『お命いただきます!義理か、恩義か二つに一つ!厳しい渡世に生命をかけて、烈しく揺れる男の激情!』 |
◆解 説◆
▽この映画『博徒一代血祭り不動』は、“若親分シリーズ”に代る、現代の観客に一層のアピールする雷蔵の男っぽい映画をということで企画されたものです。
▽ものがたりは、昭和初期の北陸を舞台に、仁侠道ただ一筋に生きる桜田丈吉が、弟分勇一からやくざ同士のみにくい抗争にまき込まれ、そのため生命の恩人で真の任侠道を教えてくれ中年の侠客小洗音次郎と、生死を賭けた対決へと追い込まれるまでの男の心の詩を、美しくも雄々しく格調半高く謳い上げようというものです。
▽脚本は、これまで東映の仁侠映画を数多く手がけてきた高田宏治が、雷蔵の新しいイメージ作りを狙って書き下ろしたもので、メガホンは、「新しいシリーズのレール敷きやテコ入れには最適任の手堅い監督」との専らの評のある安田公義監督−。
▽出演者は雷蔵の他、雷蔵とは初顔合わせの近衛十四郎が音次郎に扮し、互いに男の世界の美しさ、厳しさを謳い上げるが、弟分の勇一に、金内吉男、雷蔵に義兄を殺され一度は烈しく憎みながらも次第に女心を傾けてゆくお園に亀井光代といった異色の顔触れ、この他、金田竜之介、長谷川待子、石山健二郎、遠藤辰雄、冨田仲次郎といったベテランが脇を固めているだけに面白さの上にも厚みのある作品が大いに期待できます。(大映京都作品案内851より)
◆梗 概◆
六年ぶりに出獄した桜田丈吉は、石油景気に賑わう新津に大戸国五郎一家を訪ねた。弟分の輪島勇一が代貸しとして羽振りをきかせていると小耳にしていたからだ。昔は一本気な若者だった勇一も、今では北陸一円を差配する長丸一家の泉谷剛造が老齢で引退するのを機に、実子の北松市蔵を差置いて二代目の座を力ずくでも奪おうとする国五郎の片腕として画策していた。
丈吉が訪ねた夜、市蔵の子分稲三が国五郎を襲った。間一髪、丈吉が取り押さえたところを勇一がすかさずドスをぶち込んだ。稲三の亡骸を、自ら北松一家に届けた丈吉は、小料理屋で働くお園に出会った。彼女は丈吉が若い頃渡世の義理から止むなく殺した男の妹だった。丈吉は思わず遠い眼になった。お園も丈吉を認めたが、返ってきたのはあのときと同様冷たく乾いた眼差しだった-。
稲三の死を契機に、北松と大戸の間はいよいよ悪くなった。まさに一触即発のとき北松一家の代貸小洗音次郎が網走から帰ってきた。その人こそが丈吉が命の恩人として探し求めていた人だった。音次郎は、丈吉が仁侠道一筋に歩いていると知って満足気だったが、ここにいると双方の間に入って辛いことになるからと、新津を去るように強い調子で諭すのだった。
北松一家の切れ者、音次郎の奔走で、市蔵の長丸一家襲名の方向が見えてきたが、勇一は執拗に北松一家追い落しの策を弄しついには音次郎を消す非常手段に訴えたが全て失敗し、酒で荒れて国五郎の女お初にからんで怪我をさせてしまった。国五郎は怒って破門するとまでいったが、丈吉の取りなしで事なきを得たものの、条件に丈吉は音次郎と対決せねばならなくなった。雪ふぶく阿賀野川畔で激闘が始まった・・・・。(大映グラフ69年3月号より)
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博徒一代
作詞:いわせ ひろし 作曲:倉若晴生 編曲:池田孝 唄:司英二
一、 | 義理や人情は 古かろと |
笑う奴らにゃ 笑わせろ | |
肚のサラシに 命をかけて | |
男度胸の 道をゆく | |
二、 | 受けた恩義の 盃が |
恋の邪魔する ときもある | |
うしろ髪ひく あの娘の声を | |
泣いて背中に きいてゆく | |
三、 | 打った張ったの 渡世なら |
勝も負けるも 運次第 | |
博徒一代 貸し借りなしの | |
清い身体で 春を待つ |