1967年4月29日(土)公開/1時間22分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「にせ刑事」(山本薩夫勝新太郎・姿美千子)

企画 藤井浩明
監督 森一生
原作 藤原審爾「前夜」より
脚本 増村保造・石松愛弘
撮影 宮川一夫
美術 太田誠一
照明 美間博
録音 林土太郎
音楽 鏑木創
助監督 大洲斉
スチール 大谷栄一
出演 野川由美子(圭子)、成田三樹夫(前田)、渚まゆみ(茂子)、千波丈太郎(健次)、小池朝雄(木村)、小林幸子(みどり)、松下達夫(大和田)、伊達三郎(錠)、浜田雄史(巡査)、岡島艶子(アパートの老婆)、
惹句 『俺の殺しに指図は無用プロに徹した殺し屋が見せる恐るべきテクニック』『俺の殺しに指図は無用ガンもドスもいらない非情のテクニック

◆解 説◆

★「ある殺し屋」は、市川雷蔵が現代社会の裏側を行く殺し屋になるという異色ある現代劇で、雷蔵の純現代劇出演は『剣』(昭和三十九年三月)以来です。

★原作は藤原審爾の「前夜」、増村保造・石松愛弘のチームワークで練り上げた脚本と共に、ユニークな物語であり、構成です。ベテラン森一生監督は、この力作シナリオを得て、近来にない情熱を傾け、名手宮川一夫撮影技師との久しぶりのコンビに、これにかけられる期待は一段と高められそうです。

★ふだんは平凡なサラリーマン風にしか見えぬ、一杯飲屋の主人が、依頼によってはどんな困難な殺人でも、ドスやハジキも使わないで針一本でやってのける、日本的な殺し屋という面白い設定も、それを市川雷蔵がやることで、興味が一段と倍加されます。また、色と欲の二筋道で平気で裏切りもやってのける、一見無軌道でしかもバイタリティに富んだ悪女に野川由美子以上のキャストは見つからないでしょう。そして、同じく色と欲のプレイボーイで殺し屋志願のやくざに成田三樹夫というのもぴったりです。この三人が三どもえになって、キツネとタヌキの化かし合いをする興味が、前篇を流れますが、これに渚まゆみ、千波丈太郎、松下達夫、小林幸子、小池朝雄らの芸達者がからんで、物語は最高の面白さを発揮します。

★そして、ストーリーは回想と現実とがたくみに交錯した形式でサスペンスと異様なムードをただよわせながら展開して行き、見終ったあとに何かさわやかなものを感じさせる映画がこの『ある殺し屋』です。(大映京都作品案内815より)

◆物 語◆

 その大仕事の前夜、塩沢がこの日のために借りておいた墓地裏のアパートへ、圭子も前田も手筈通り集ってきた。

・・・塩沢は圭子をある飲食店で、彼女の無銭飲食の金を払ってやったことから知った。圭子はその時、平凡なサラリーマン風の塩沢の財布にびっくりするほどの金が入っているのを見て、彼に肉体でお礼をしようと誘った。それを見つけた彼女のヒモの健次が塩沢をドスで脅迫して、逆に腕をへし折られると、重傷の健次を見向きもしないで塩沢の後をついていった。そうして、塩沢が菊の家という小料理屋の主人と知ると、女中に使ってくれと神妙に哀願した。そして塩沢の承諾をとると、こんどは自信たっぷりに塩沢を誘惑したが、これは成功しなかった。その代り、前からいた女中のみどりをうまくだまして追いだし、菊の家の通い女中として居坐ることになった。

・・・前田は建設下請を看板の暴力組織木村組の幹部で、親分の木村の命令で塩沢を探しだし、競争相手の大ボス大和田を殺してくれと頼んだ男だ。塩沢は名人芸の殺し屋として、やくざ仲間に名を知られていたのだ。塩沢は巨額の金を積まれても気が進まず、冷たく断ると、次に木村が直々で依頼にきた。塩沢は戦争中航空隊で若く純粋で死んで行った同期の仲間を思い、悪徳のかたまりのような大和田を憎む気持ちになった。大和田がたえず強力なボディガードに守られて、木村組も手が出ないということも彼のプロ意識を刺激した。結局二千万円でその仕事を引受けた。

 競馬場、大和田邸、大和田の二号茂子のマンションと、塩沢はたえずつけ狙ったが、大事を踏んで容易に実行しなかった。ついにあるパーティ会場へ、余興の芸人にまぎれて入りこみ、次に来客を装って大和田に接近した。そしてまず余興に心を奪われている二号の茂子の帯を切って、ボディガードの注意をそらせると、その一瞬の隙に細い針を大和田の首筋に突き刺し、ボディガードが大和田の死を発見したとにきは、もう姿をくらませていた。

 前田は約束の二千万円を届け、改めて塩沢に弟分にしてくれと頼んだ。彼の手口の鮮やかさと報酬の大きさに惚れこんだのだ。だが塩沢は冷たく断った。前田は諦めず塩沢の妻と自称する圭子から手なずけようとした。圭子も塩沢の秘密を知りたく前田と親しくなり、塩沢が最近殺しで大金を手に入れたと知ると、塩沢に結婚してくれと持ちかけた。いやなら殺し屋をバラすとおどしても塩沢は相手にしなかった。

 前田は圭子のアパートで彼女を腕ずくで自分のものにして、一緒に暮らそうと持ちかけると、圭子はまず塩沢を殺してその金を奪ってからにしようといった。前田も思うツボで、二人は色と欲でガッチリ組んだ。

 間もなく、前田が塩沢にうまい話を持ちこんだ。ボスを失った大和田組が二億円の麻薬の密輸をするところを、横取りしようというのだ。組長木村にも内緒で、塩沢のやり方を教わりたい一心で、調べ上げた情報だという。塩沢はくわしく聞いてから、やる気になった。そして圭子も仲間に入れた。そいて彼一流の周到な準備を着々と進めていった。

・・・決行の時間まで十分に睡眠をとった三人は、塩沢を中心に身支度をととのえ、塩沢は万一の場合に使えと、前田に弾丸をこめた拳銃を渡した。現場の埋立地の海岸で、まず前田と圭子が密会の男女を装い、からかいに来た大和田組二人の子分を、塩沢が手早く処分した。次にモーターボートで沖からやって来た大和田組の幹部錠は、さすがに手筈の狂った事をさとり、突然塩沢に拳銃を放ったが、岸壁から転落した塩沢は、とどめを刺しにきた錠に目つぶしをくらわせ、これも生捕りにしてしまった。

 アパートへ引上げた三人は、錠から奪ったスーツケースを開けて、べビィパウダーの箱に詰った良質の麻薬を発見した。その瞬間、前田は塩沢に拳銃をつきつけ、圭子は塩沢の銀行通帳を見せびらかした。「気の毒だが死んで貰おう」と凄む前田も、平然としている塩沢の貫禄と気迫に押され、やっとの思いで引金を弾くと空だった。塩沢は裏切りを予想して、弾をいつのまにか抜いていたのだ。完全な敗北にひしがれた前田と圭子に、塩沢は意外にも麻薬の分け前を三分の一づつ与えた。折柄、墓地に追手の人影が見えた。三人はす早く屋根伝いに逃げたが、ついに墓地で取囲まれた。

 追手は木村組たちで、前田を泳がせておいて後で横取りする腹だったのだ。だが塩沢は襲いかかるやくざを見る見るうちに叩きつけ、木村に迫った。木村が拳銃の引金に手をかけようとすると、彼の背後に前田が例の空拳銃をつきつけ、木村の拳銃をもぎとった。木村は塩沢に許しを乞うと見せかけて短刀で突きかかったが、同時に塩沢の手練の針が彼の心臓を刺していた。

 前田と圭子の麻薬は乱闘中にちらばってしまった。塩沢は自分の取り分を前田の足許に放り出し、「二人で分けな」といって去っていった。はじめて本当の男の気持に触れた前田は、その麻薬も圭子も捨てて立去った。圭子も、「ヘン、もっとマシな男と組むよ」とふてくされて去った。だが、彼女は墓の傍らに転がっている、五千万円の麻薬の入ったべビィパウダーの箱に気がつかない。

 塩沢は今日もまた、朝のラッシュの人ごみの中へ消えていった。(大映京都作品案内815より)

                               ある殺し屋                         深沢哲也

 去年公開されたイタリア映画「殺しのテクニック」からヒントを得たような作品である。題名は忘れたが、鶴田浩二主演のギャング映画にも「殺しのテクニック」をマネたのがあった。鶴田ふんする殺し屋がホテルの一室から、向いのホテルにいるやくざのボスを狙撃する。これなど、あきらかに「殺しのテクニック」からアイデアを借用したものだが、この「ある殺し屋」にもあのイタリア作品の影響が感じられる。ただし、前記の東映作品が「殺しのテクニック」からカタチを借りたとすれば、「ある殺し屋」は精神を借用したものといっていい。

 この映画にあらわれる殺し屋は、平凡なタイプの男である。日本のギャング映画でよく見受けられるような、一目でそれとわかる殺し屋ではない。彼はふだんは小料理屋の主人兼板前として、静かにくらしている。決して人を信用せず、ひっそりと孤独に生きているその人間像はかなりおもしろく表現されている。その辺の生活感のある作り方が、「殺しのテクニック」に似ていると思う。

 この殺し屋は、ピストルやドスは使わない。ただひとつの凶器は太いタタミ針である。ひるま、無人の店のなかで黙々と針をとぐあたり異様感が出ているし、たたみ針を使って殺すところもおもしろい。市川雷蔵がこの殺し屋にふんし、なかなかの好演。慎重で大胆、折り目が正しく、しかもどことなくひややかな感じがいい。が、戦時中特攻隊だったにしては、多少若すぎるのが弱点である。

 映画は、殺し屋が二人の仲間とやくざ一味の麻薬を横取りしようとたくらみ、うす汚いアパートの一室を借りるところから始まり、現実と回想を交錯させてドラマを構成している。フランス映画の「男と女」式手法と称しているが、むしろ橋本忍氏(侍、仇討など)的なシナリオ構成であり、そう目新しい作劇法とは思われない。しかし、こういうドラマ構成によって、単純なストーリーが厚味を帯びたことはたしかである。

 このシナリオを用いて、森一生演出が新鮮でうまみのあるタッチを見せた点も見逃せぬ。とくに、現実から回想への移行がスマートにできている。珍しくストップモーションを使用しているのだが、この使い方が効果的だ。

 いちばんの欠点は、野川由美子がなる女のからませ方。これには相当ムリが感じられる。一例をあげると、殺し屋の正体を知った彼女は、殺し屋を脅迫して仲間に加えてもらうのだが、この設定はあまりに不用意という気がする。そんなことをしたら、彼女は殺されるかも知れない。一見フーテンのようだが、その実ヌケ目のないチャッカリ女なのだから、もっと用心して自分の安全をはかってから、殺し屋を脅迫するのが本当だろう。あれだけの殺し屋がいかにも物欲に目がくらんだとはいえ、仲間を作って麻薬に手を出すのも、理解に苦しむ。

 といったように、納得のいかない箇所もあるが、総体的に、まとまった異色作であり、最近の邦画のなかでは見ごたえのある出来ばえだと思った。(キネマ旬報より)

あらすじ 小料理屋の主人塩沢(市川雷蔵)は、無銭飲食のズベ公圭子(野川由美子)を救うが、女はそのまま塩沢の店に居すわる。塩沢の正体は殺し屋。木村組組長(小池朝雄)の依頼で、大ボス大和田(松下達夫)をねらう。周囲の警備が堅く、スキがない。ようやくパーティーの席上、秘策秘技を使い仕止める。引き受け料2千万円。木村の子分前田(成田三樹夫)は、塩沢の鮮かさに弟分を申し込むが、はねられる。前田は圭子と組む。圭子は塩沢に結婚を持ちかえ、正体をバラすとおどすが、相手にされない。前田は組長木村に内密で、二億の麻薬取り引きの横取りを塩沢に頼む。塩沢は、前田と圭子を従え、現場に乗り出す。二人があとで塩沢を裏切るたくらみと知るや知らずや。

短評 普段は平凡な小料理屋の亭主、一皮むけば殺し屋。それも凶器は針一本。その不気味な殺気が作調の底流となる。かれが、スキのない大ボスにスキを作らせ、目的を達成する場面が前半の見せ場になる。後半部は、ズベ公とヤクザがからんでサスペンスを織りなす。ここには人間の特異さを見きわめようとか、現代の断面をえぐろうといった意識は別にない。サスペンスをどれだけ効果的に盛りあげるか、そこが直接的なネライというものだ。フランスの暗黒ものほどではないが、へんな勧善懲悪よりはかえって現代のにおいとおもしろさがある。いわゆるヤクザ映画と比べても知的なヒネリがきわ立つ。流血のアクション・プレイでない話でも映画はできる。そのことを特筆しなければならぬ。

 脚本(増村保造、石松愛弘)の時点で、主役やスジの設定になかなかスマートさを仕込んである。森一生演出も、いつにない鋭角性を見せて吹っ切れている。市川雷蔵はやや平板だが、かれの眠狂四郎的一面がかなり利用されたし、からみの野性的な野川由美子との渡りあいもたのしませる。二度めの仕事を引き受ける根拠が弱かったり、成田の演技に類型のうらみがあったり、そんなことでいささか切れ味の鈍りも散見する。だがともかく機知あり、ユーモアあり、大作ではないが、スッキリした快適な作品になっている。(君島逸平 西スポ 05/08/67)

『森一生 映画旅』

 薄桜記 雷蔵愛惜

−森監督のそういう脂の乗り切った時期の傑作が『薄桜記』ですが、それから八年後の、やはり市川雷蔵主演の『ある殺し屋』も、それと比肩すべき傑作だと思います。時代劇と現代劇の違いはあれ、ともに森一生監督ならではの映画で、どこか共通したところが感じられます。

  はあ、あの二つ、似てるように思いますね、ぼくも。やっぱしぼくのもんが出てきたんじゃないですか、本物が。やっと自分らしいものをつくった。だから『ある殺し屋』も好きですし、やってて楽しいちゅうより、ずっと普通に自然に撮った感じですね。その力というか、充実したものが出てるじゃないですかね。だから、時代劇、現代劇ということやなしに、自分の感覚にピタッと合ったシャシンでしたな。

−時代劇を撮られていても、ずっと森監督には現代的な感覚があったわけですね。

  ええ、現代的な感覚でいこうというのは、初めからそうでした。伊丹万作さんのシャシンを見てから、ずっと。ぼくは時代劇はあまり見てなかったし、時代劇ファンじゃなかったんです。撮ったものは時代劇が多いですけどね。撮りはじめたのが新興キネマの京都でしたからね。もともと時代劇を主にやるつもりじゃなかったんですけど、京都にいると、だんだんそうなるんです。で、いまでは、時代劇の監督になりましたけどね、世間的には(笑)。でも、『ある殺し屋』、あれ、なんとなく時代劇の匂いがあるでしょう。あとで雷蔵さんに言ったんです。「雷ちゃん、あれが良かったんは、雷ちゃんの持ってたいままでの時代劇の演技の筋が、案外あのなかに生きてるんじゃないかな」と。いわゆる現代劇の俳優さんだったら、あすこまで骨があって腰の入ってる演技はできなかったんじゃないか、と、なんかそういう気がしたんですよ。雷ちゃんはちょっとわからなかったらしいけど、ぼくはそう思ったんですね。あの人は現代劇をやりたかった。だから、「あんた、現代劇もいけるじゃないの」と言ってほしかったんでしょうけど、「時代劇らしい匂いがあって、かえって良かったんじゃないの」とぼくは言うたです。なんかちょっと不服そうでしたけどね。

−たしかに立居振舞いなんかは、すごく時代劇的ですね。

  それでかえって殺し屋の感じが出たように思うんです。特攻隊で生き残ったやつが、終戦後、こっちへ帰ってきて、いわゆる政界のボスをやっつける話でしょう。撮りようによっては、半分ほど左翼映画みたいになるかもわからんですよね、ひとつの話として。で、雷ちゃんは新しい演技で、あれでひとつつくったんですからね。『ある殺し屋』は面白かったですね。音楽も良かった、鏑木創さんの。

−ひところのフランス映画のようなシャレたムードでした。ギターだけの音楽で。日本で公開されたのは一年後ですが、ちょうど同じころ、ジャン=ピエール・メルヴィルの『サムライ』という素晴らしい映画があって、『ある殺し屋』はそれに勝るとも劣らぬ傑作だったと思います。

  あのシャシンは、べつにテーマがどうのこうのというより、見てて、なんか感情がスース、スースいくでしょう。あそこの楽しみですな、あれ。して、成田(三樹夫)君が良かったし。ぼくはああいうユーモアのある人物が好きだから、成田君などいいんですな。やっぱり人間、ユーモアがないとつまらんですわな。いまでも年賀状くれますがね、変った俳句がいつもついている。あの人らしいですわ。

−そういえば、成田三樹夫はあるインタビューで映画評論家のことを、うるさいから、映画評論“蚊”だなんて言ってました(笑)。機知に富んだ文句を考え出す人なんですね。

  そうそう。

−野川由美子も良かったですね、生き生きとして。

  良かったです、アホみたいに動き回って(笑)。しかしあのころ、野川由美子、忙しかったですね。渡辺プロにいて、ずいぶん忙しかった。朝はいつも、ねむそうな顔してるんですよ。撮影が終ると、どっか稼ぎに行ってたんじゃないですかな(笑)。怒ったことがありますがね、しかし、芝居はきちっとしてます。「ああ、うまい子だなあ」と思って。

−ぼろアパートの一室で一夜をすごすシーンなんかは、雷蔵、成田三樹夫、野川由美子の三人の対照がうまく出ていて緊迫感のあるシーンになっていましたね。

  良かったですね、あすこ。ああいうのはやっぱし、監督として楽しみですね。うまい人がそれになりきってね。あのシャシンで雷ちゃんのやっている飲み屋の女の子が、小林幸子ですよ、いま歌をうたってる。中学のときでしたか。俳優にならそうと思ったんですかね、親が。中学生でしたから、隅のほうで小さくなってました。わりあいうまくやりましたね。

−ラストの墓地での乱闘シーンで、雷蔵がズボンのベルトをさっと抜いて闘いますね。朝なんですが、空が明るくなる直前ぐらいで、まだ暗くて、雷蔵がベルトを振るう姿がシルエット気味になっていて、きれいな画面になっていますね『ある殺し屋』には、そういう美しい画面がいっぱいあるのですが、カラーのイメージがあまりなくて、セピアというか、しっとりしたモノクロームの感じが強いんですね。

  あれはキャメラの宮川(一夫)さんと「色はなるたけ殺そう」ちゅうことになったんです。飛行場のシーンでも、色が着いてないでしょう。ああいうとこ、やっぱしうまいですね、宮川さんは。墓場の横のアパートの部屋も、壁が灰色の薄い色でね。あれも成功しましたな。やっぱし違う人だと思いました。ただね、ものによっては、あんまりいいキャメラマンがくると困るときがあるんですよね。画面が良すぎて、重くなって。力を抜くことをあんまりしないから。キャメラはたしかにいいけれど、なんとなく重い。すぼっとこっちが明るくなったりせず、全部重々しい。一枚の写真を見るのならいいですけど、流れのときにね、止まるときがあるんですよ、画が良すぎると、そこがちょっとむずかしいんですね。

−そんな場合、どうなさるのですか。あまりいい撮影するな、とか(笑)。

  そら言わんです(笑)。やってもらって、カットバックの逆のほうを明るく流すように撮るとか、そういう行き方はありますけどね。

−でも、『ある殺し屋』は、やっぱり宮川一夫の撮影が力を発揮した映画ですね。屋外のシーンと室内のシーンとが、じつに調和のとれた画面になっていて。あの墓地は、もちろんロケですね。

  神戸です。港も全部そうです。

−墓地の隅にあのぼろアパートは建っていたのですか。

  アパートはありました。なかはセットでつくったんですが、表はあったんです、ああいうとこが。あの墓地のとこで、雷ちゃんがやってきて、ふっと前方を見たら、「貸間あり」って看板のアップになりますね。そして、ずうっとズームバックしたら、もう雷ちゃんがその看板のかかっているアパートのほうへ歩いてるんです。普通だったら、看板のあと、雷ちゃんのほうに移って、「うん、あそこへ行くか」という感じになるのに、主観と客観が一緒になってるんですよね。

 これは宮川さんがやったんです。「森さん、これ、パッとあれから引いてみて、もうあっちへ歩いてたらどうやろう」言うてね。最初の「貸間あり」が見た目のアップで、ズームバックしたら、もう雷ちゃんがそっちへ向かってる。見た目の主観があって、引いたら客観的な描写になってるんですね。はあ、こういうやり方もあんのか、面白いな、と思いましたよ。いずれまた、あんなの使おうかなと思うけど、なかなかそういう機会がないですね(笑)。でも、このあいだテレビでやったのを見たら、全部ロングの画をカットしてるんですよ。ぼくの好きなロングの画を。三人が墓地へ行くとこは、ロングで描いてんですが、テレビではカットされてる。ほとんどロングはないですね。ただ、ラストに雷ちゃんが鞄を持ってえんえん遠ざかっていくとこ、あれはありましたがね。

やっぱしテレビじゃ駄目ですわ。カットがもう普通のカットしかない。やっぱし映画じゃないとね。

−この映画は、増村保造と石松愛弘のシナリオがまず良くできていますね。

  脚本がぼくのとこへきて、やらないかという話になったときに、「しめた!」とぼくは思いましたよ。やっぱり戦争に関係がありますからね。

−戦中世代の心情が出ているわけですね。

  ぼくは戦争に行ってきたし、なんとなくあの連中の気持ちがわかるし。で、これ、一種の戦争を描いてるんじゃないですかね。みんなが儲けようと思っていろいろやるのも、闇物資でしょう。

 このシャシンも好きです、ぼくは。ラッシュ試写のとき、若い人がいっぱいきましたわ、撮影所の若いやつが全部。して、ラッシュ試写にくるやつが、だんだん多くなって。終ったら、みんな手を叩いてくれましてね。そういうとき、「ああ、このシャシン、うまくいったな」とほんとうにうれしいですね。「でも、待てよ、あんまり喜んでは駄目だぞ」と、わざと知らん顔して(笑)。

−『ある殺し屋』はそんなふうに成功して、シリーズとなり、第二作『ある殺し屋の鍵』(1967)を森監督がつづけて撮られるのですが、これは珍しいことですね。というのは、市川雷蔵の主演シリーズがいろいろあったうち、森監督は『眠狂四郎』シリーズ以外のすべてを撮っておられるのですが、第一作というのは『ある殺し屋』だけで、あとは第二作以降なんですね。たとえば『大菩薩峠・完結篇』(1961)は、三隅研次監督による第一作、第二作のあとを撮られた。

 水で流されるとこがラストの。あんとき、三隅君、ほかのものを撮ってたのかな。とかくありますからね、そういうことが、シリーズものの別を撮ってて、封切りの関係で間に合わさないかんというので、ほかの監督がやる。しかし、『若親分』シリーズはぼくにはあいませんね。『若親分兇状旅』(1967)いうのを撮りましたけど。『大菩薩峠・完結篇』も三隅君がやるべきでしたね。

−ほかの監督ではじまったシリーズの第二作、第三作を撮るとき、やりにくいということはありませんか。

 いや、ぼくはそういうことは全然考えなかったですな。

−主人公はすでにあるパターンができあがっているわけですから、森監督が独自につくるわけにはいかないでしょう。

 それはできませんね。だから、合うようにするか、そこを合わしてほかのところで自分のものを出すかですな。それはそれで、シャシンとして面白いですよ。勝ちゃんの『悪名』シリーズなどでも、徳さん(田中徳三監督)の撮った第一篇、第二篇は面白かったですもんね。いいシャシンでしたし。で、ぼくの撮った第三篇『新悪名』(1962)のときは、ちょっと三枚目になってきたでしょう。三枚目が好きですからね、ぼくは。わりあい楽しかったですよ。『座頭市』も二番目を撮りました。水谷良重の出た『続座頭市物語』(1962)。あのシャシンも好きでした。ぼく自身の『座頭市』でしたからね。権力に対する反抗があって。

−すると森監督としては、『ある殺し屋』『ある殺し屋の鍵』と、珍しく第一作、第二作とつづけて撮られていることは、それほど特異な例外ではないということですね。

 まあ、結局あれは、監督が変わったら調子が出ないだろうということでしょうな。第一篇にすでに、性格から全部、みな出てますからね。

−第二作のほうも、市川雷蔵がふだんは踊りの師匠で、殺しになると針でプツリとやるところなどは、テレビの『必殺』シリーズの元祖のようで、どこか時代劇的ですね。

 でありながら、やっぱし現代なんですよね。

−やはりキャメラは宮川一夫で、内田朝雄がプールに浮かべたマットに寝そべっていて、下からプツリとやられて死んでしまうところの俯瞰など、素晴しい画面ですね。テンポも早く、スリリングなシーンで。

 あれなどこやらのホテルのプールを借りたんですけど、そこの社長が撮影を見ましてね、非常に能率的にやってると感心したんですな。従業員を集めて訓示したそうです。いかに撮影所の人間はよう働くか、と(笑)。

−『ある殺し屋』と『ある殺し屋の鍵』は、セリフがとても少ないということで共通していますね。

 ぼくはときどき考えるんですがね、戦争前の映画はあまりセリフがなかったように思うんですよ。山中(貞雄)さんの『人情紙風船』でも伊丹(万作)さんの『赤西蠣太』でも、あんまりセリフないでしょう。一般的に少なかったんじゃないですか。戦争中に増えたと思うんですよね、ぼくは。どうしてかといったら、セリフによって国威宣揚しようとしたことがあるんですな。だから、戦争中のシャシンはセリフがとっても多いですよ。なにか理屈をつけて、なんとかかんとか(笑)。戦争に四年ほど行ってましたでしょう。で、帰って日本のシャシンを見たら、セリフが多いんで、どうしてかと考えてみると、やはり大政翼賛とか、必ず言わされてたということがありますよ。して、その余韻が、いまも残ってるような気がしますね。言わされつづけた癖なのか、聞くほうもそれに慣れてきたのか。やっぱし映画の与えるものとか芸を受け入れる感覚には、そういう習慣がありますからね。昔、ソヴィエトでしたか、オーヴァーラップが偉い人にはわからなくて、しょっちゅう映画見てる庶民にはわかった、というようなことがありますからね。なにかで読んだことがあるんです。そういう受け取り方に慣れてくると、そうなるんですかな。だから『ある殺し屋』では、セリフが少なくて、画ではっきりわかるようにと、そうしたんですけどね。

−第一作では、成田三樹夫と野川由美子がいろいろしゃべっているだけで、市川雷蔵はセリフが極端に少ないですね。その対照が効果的でした。

 雷ちゃんがアパートへ部屋を借りに行っても、しゃべるのは岡島艶子さんのおばあさんのほうですな。

−耳が遠いおばあさんなので、一方的にしゃべるんですね。しかし、セリフがあったほうが役者もやりやすいし、演出もやりやすいのではありませんか。

 いや、ないほうがいいです、ぼくは。やっぱし映画ちゅうもんは画で、映画じゃなきゃ表現できないものがあるはずですよ。言葉なんぞ言わなくても。そのほうが面白いと思いますね。もちろんシェイクスピア劇とか、ああいうものを映画化するときは、セリフが主ですけどね。セリフが多いと、心理が描かれんような気がしますな、逆に。だから映画の場合、誰もいない道が一本うつっているだけで、画面がものを言うてることがあるでしょう。それは文学にはないもんですよね。映画にしかない。そういうものを探し求めていままできたんですけど、まだ、なかなか、いろいろむつかしいですね。

−脚本にセリフが多すぎるときには、どうなさっていたのですか。

 あ、削ります(笑)。セリフが多いと、それを理解しようというほうに行くんですね、聴覚が。黙ってりゃ、視覚で画のほうに行きますからね。だから無声映画のときのほうが、映画的でしたよ。トーキーになっても、さっき言った『赤西蠣太』とか『人情紙風船』なんか、セリフは少なくて、しかも省略法がありましたよね。なんと素晴しい感性だ、ほんとに映画だな、と思います。省略して、殺すところは見せずに、殺した感じになるとか、昔はまなそういうやり方でしたよ。直接的な描写は少なかった。いまはもう犯して裸にして殺して無惨、というやつが多いですが(笑)。みんな見せちゃうのが映画じゃないんです。セリフも多すぎんほうがいいです。「映画は暗室の芸術である」とか言われたんですからね。ところがいまは、全部言わんとあきたらんのですな。お客さんのほうも、みんな見せろという感じになったんでしょうな。あれだけ「フォーカス」とか、いろんなもんが出ると、どこもかも全部見んと承知せんということですかな。その間に、思考力がなくなるんですよね、想像力も。

−『ある殺し屋』シリーズは、第三作をつくる予定はなかったのですか。

 それはね、雷ちゃんの現代劇に反対するやつがおったんです、会社のなかで。それで誰やらが怒って、やらんようになったんですよ。馬鹿だなと思いましたね。いい企画のときに、なんでやらんのか、と。ところが当時の撮影所長は「雷蔵の現代劇はもうやめや」と言う。どういう意味で言うたのか、ぼくにはわからんですけどね。だから、なにかあったんじゃないかと思うんです。雷ちゃんはやりたかったんですよね、これ。ひとつのシリーズになってましたからね。

−もったいないですね。それから二年もたたずに亡くなるんですね。

 ええ、そうです。やっぱし死ぬるようななにかがあったんか。あの前ごろから、顔にできものができたり、いろいろしましたよ。だから、おかしいなあ、と思って。あのときに精密検査すべきでしたね。雷ちゃんとは個人的に付き合わなかったけど、『新源氏物語』のとき、スタッフが誕生日に招待されましてね。家に初めて行ったんです。雷ちゃんはお酒は、すこーしですね。楽しむ程度でした。胃腸が弱かったですからね。なんのときか、白浜へロケに行く途中、汽車のなかで一緒になって、なにか飲んでるから、「なに?」と聞いたら、「胃腸の薬ですわ」と。「雷ちゃんね、人間の体ちゅうもんは、自分の悪いとこ自分で治す力があるんやから、元気で自信持ってやらな駄目ですよ」言うたら、「そうかな、自分の体は自分が治すんかな」とか言うて。

−亡くなったのは1969年(昭和44年)7月17日で、『ある殺し屋の鍵』の封切りが1967年12月2日ですから、その間一年半ですね。

 あっ、ぼく、雷ちゃんとは『ある殺し屋の鍵』がいちばんラストですな。

−ええ、森監督のものとしては最後です、そのあと、市川雷蔵は七本の映画に出て、『博徒一代・血祭り不動』(1969)が遺作になりました。

 安田公義さんのシャシンですね。夜間撮影をやってましたよ。体が悪いのに夜間をしてるんですよね。だから「夜間はやめろよ」言うたんですけど、雷ちゃん、「間に合わんから、やらないかん」と、我慢してやってたんでしょうね。癌は痛いんですよね。「腹がどうも痛い」とか言うてました。ああいうとき、なんで、もうちょっと、ね。駄目だったにしても、ちょっとなんか。惜しいです。

−いま思い出されて、市川雷蔵と仕事をずっとなさってきて、苦しかったとか、いやなことがあったとか、そういうことはありましたか。

 いやな思い出はまったくないですね。苦しかったちゅう思いもないです。ただただ惜しい俳優さんでした。

(「森一生 映画旅」 森一生、山田宏一、山根貞男 1989年草思社刊)

森監督と

 

 

     

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