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         、ドスも無用

 『ある殺し屋』断想

 最近この映画を見直してみて、気づいたことがある。雷蔵が演じる殺し屋は、何故、金と引きかえに殺人を引き受けたのか。シナリオを作る段階で次のように規定した。

 つまり、戦争末期、海軍航空隊にいた雷蔵の戦友の多くは大空に散華していった。九死に一生を得た彼は、戦後の日本でささやかに生きて来た。ところが、日増しに堕落してゆく日本を見るにつけ愛する祖国のため死んでいった仲間の無念さを痛感するようになった。

 腐敗してゆく日本、金のために狂弄する悪党たちの殺しを依頼されると次々と引き受けていった。報酬は絶対まけない。何故なら、彼は多くの戦場に今尚、野ざらしになっている日本兵の慰霊碑を作ろうと心に決めていたのである。

 その気持ちを第一稿ではかなりはっきり書き込んだつもりだったが、永田社長に反対された。殺しを引き受けるのに、細々と説明する必要は無いと。社長の意見にいささか不満だったが、その個処を大巾に削除した。

 三十数年経って久し振りに全篇を通して見ると、やはり切って良かったと思う。小料理屋の二階にさりげなく飾ってある一枚の写真 - 海軍航空隊の戦友と微笑んでいる写真を見ただけで、父母や兄妹を守るために死んでいった若者たちの祈りが伝わって来るからだ。

 『ある殺し屋』の本社試写で、上映が終わって場内が明るくなった時、勝新太郎とばったり会った。勝は私を見つけ声を掛けて来た。

 「この映画、俺がやった方が面白いと思わない」と、例の悪戯っぽい目で笑いながら、私の腕を掴んで云った。勝の新作『にせ刑事』(山本薩夫監督)と、『ある殺し屋』は、この年のゴールデン・ウィークに二本立てで封切られることになっていたのである。勝は雷蔵の珍しい現代劇『ある殺し屋』に対抗意識を燃やして見に来たのだ。勝の口ぶりから無二のライバルの新作が、予想を超えた出来ばえであるのに闘志をかき立てられたのが私には、すぐ分かった。

 雷蔵にとって勝は最大の好敵手であり、勝にとっても雷蔵は同じ立場であった。二人は<同期の桜>として映画界にデビューした。生涯続いたライバルの戦いは、二人を大スターの座にのし上げていったのだ。

 勝が私に云った言葉は、雷蔵が新しい鉱脈を掘り当てたことに対する嫉妬であり、ライバル意識であった。しかし、『ある殺し屋』も『眠狂四郎』も勝には出来ないし、勝の『悪名』も、『兵隊やくざ』も『座頭市』も、雷蔵には、絶対出来ない映画だった。

 今、改めて市川雷蔵の主演作品を想い起こすと、実に多種多様な映画であることに改めて驚く。しかも、時代劇、現代劇を問わず、恐るべき確率で成功している。

 考えてみれば、雷蔵ほど恵まれた俳優も珍しい。勿論、彼の天性の美貌と、積み重ねていった努力の結果であるが、溝口健二、伊藤大輔、衣笠貞之助、市川崑、増村保造、三隅研次、森一生、その他日本映画の黄金時代を築いた名監督、新鋭監督、そして、世界的レベルにある凄い製作スタッフに支えられた雷蔵の俳優人生は、幸せだったと淡々思うのである。

DVD『ある殺し屋』解説書より

 

 

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