時代劇の三つの線

比佐: 時代劇を二つに分類するところに、一つ僕に疑問が生れるんだけど。つまり、いまの松山重役の話だと、娯楽時代劇は、時代を超越してもいい、歌うたいでもいい。本流時代劇は、『忠直卿行状記』みたいなものであるとなってくると、純正娯楽映画の時代劇についてはどう考える。

松山: 純正娯楽映画とは?

比佐: 例えば、『忠直卿・・・』のように文芸作品のようなのと、一方の歌謡映画のような作品、その真中に、もう一本線があると思うんだが、その線については、どう考える。ここが時代劇にとって一番むずかしいとこだと思うけど。

松山: うん、そこが一番むずかしい。僕はその真中の線というの例を上げると、比佐君の書いた『黒雲街道』などがその範疇だと思う。

比佐: まあ、任侠ものなんかもそうだろうけどね。僕は、いろいろの、いろを出して行ってバラエティを作るというのは賛成なんだね。けれども、忌憚なく言うと『忠直卿・・・』は、作品内容としては、立派な作品だったけど、興行的成績というのはもう一つ思わしくなかったという事実は出ていた。そうすると、『おけさ・・・』も、これは当ったけどこういうのが必ずしも全部が全部当たるとは言えない。

松山: そうそう。

比佐: そうすると、長い間時代劇をやっている大映としては、ここで、もう一つの線が考えられなくてはならないと思うんだけど、これについてはどうだろう。

松山: いや、それは作って行きたいんだよ。

中泉: それは、作り方によるんですよ。

比佐: それは、『忠直卿・・・』のような、本流ものでもないし、『おけさ・・・』のような、いろものでもないんだよ。

松山: そう。

比佐: しかも、これが時代劇の本筋なんだな。

中泉: その線では、古さを感じないような作り方をしないといかんな。この間ライターの方にもお願いしたんだけど、せりふでもやわらかく、現代の方に近づけてくれと。俳優の演技もなるべく、現代に近づく演技でないと、どれもこれも、肩をいからして大きな声でしゃべっているんじゃ、本当にコスチュームプレイばっかりを見るようでね。だからもう少し、全体が現代に近よらんといかんのじゃないかと思う。そういう意味で、作品の作り方がもう少し、時代劇臭というのがなくなってくれば、もっと違った新しさが出てくると思うんだ。そういう方向に時代劇をもってこないといけないと思うね。外国映画でも、コスチュームプレイというのは、よほどの大作でないとないね。

比佐: しかし、ちょっと考えねばならないのは、テレビ映画の西部劇がなぜうけているかという事実ね。これについて不二さんの意見聞きたいけど。

八尋: それは、人間全体に共通する感情がうまく盛り上ってくれば、それで十分いいと思う、時代劇でも西部劇でもね。だから、必ずしも現代劇調にするということは、わかりやすいから、それに越したことはないけれど、あんまりやりすぎると、アチャラカになってしまうしね。

比佐: そうそう、そりゃ、『おけさ・・・』ばかり撮っていたらお客さんは見に来なくなるよ。

依田: 私が考えるのに、時代劇には、一つの力があるわけなんですよ。従来言われていたメリハリというものね。そのメリハリが必要だと言うことはよくわかるんですよ。そしてこれをなくしてしまうと、現代劇が線の弱い、へたってしまうようなものになる。で、これは必要だと思うんですが、それの感覚が問題で、現代劇的感覚によるいメリハリが肝心だと思う。

八尋: 現代劇の場合、いつも強い、一本の線がいるんだよ、シンが通っていないといかん。

比佐: そう、それだな。

松山: それが通っていないと時代劇の特色がないんだな。

比佐: それが、時代劇の基本だから。

依田: これが、忘れられたらいけないと思う。

比佐: これで、大体時代劇の三つの線が出たわけだな。

ぜひ新しいスターを

比佐: 中泉所長が新任して、最初に言った言葉は、とにかく、僕はスターを作るんだと言ってましたが、こういうことについて今後の方針は。

中泉: 時代劇が古めかしいという感じから少しでも脱却するには、新しいスターが出て来なくてはいかんと、時代劇というのは、アチャラカ式の時代劇でない以上、大体、昔の枠の中で劇を繰り返しているわけですから、それに新鮮な感じを与えるには、スターの新鮮さがないとね。

松山: 新しい役者を作るということが、撮影所長としての、大きな仕事ですよ。

中泉: だから、新しい役者を作れば、それで撮影所長としての役目はすむぐらいに思っている。

比佐: いや、そういうわけにもいかんよ。

松山: 新しい役者を作るということは、当たる写真を作ることだ。でないと、新しい役者は出来ない。

比佐: 主演者が変れば、同じものでも感触が違うわね。

中泉: 監督も新しい人がやれば、テンポも違うだろうし、そういう風なとこで、役者の新しいのを作って行かなくてはならん。ということは、昔と違って、いまぐらい、テレビタレントなどが、目まぐるしく変って来ていると、新しいスターをどんどん作って行かなくては、とても追いついて行けないでしょうな。

比佐: 大体、僕の試算で行くと、戦争前のスターの生命の長さと、戦後のスターのそれを比例的に言うと1/3だな。

中泉: 絶対そう。

松山: それは、マスコミが変ったということですよ。だから、橋幸夫みたいに、パッと一ペンに出てくるけど、昔はそんなことないんだ。今日、週刊誌があれだけあり、ラジオがあり、テレビがあり、要するに大衆伝達の方法が多種多様になって来ているんだ。戦前はそれがないわけだ。従ってそれだけ新陳代謝がはげしいと言えるわけだ。

比佐: スターなくして時代劇はないね。

中泉: それと今の時代劇のスターというのは、割と荒事師のスターが少ないように思う。昔の阪妻とか、大河内伝次郎とかいった。

松山: そうね。

中泉: 勘平役者ばかりでなく、大石役者が欲しいですね。そこに時代劇のアナがありますよ。

八尋: また、時代劇の本流というところに話が返るけど、そういう役者がいないと、本流時代劇も出来ない。

比佐: 二枚目も、かかせない貴重な存在だけどね。

松山: ところが大映に限らず、日本の映画界は、二枚目役者が多い。だから例えば、東宝の三船敏郎みたいな役者が欲しい。

中泉: そういう役者がいれば、内容も自然変ってくるよ。

八尋: 体格も、せめて、長島選手ぐらいのが欲しい。

松山: そう。演技力も、体格も70ミリ映画に堪えるスターがいるんだ。『ベン・ハー』のチャールトン・ヘストンのようなのが。

テレビ対策

比佐: 永田社長のテレビ対策について御意見をききたいんですが。

松山: 映画産業団体連合会といって映画に関する映連、全国興行者連合会、機械メーカー、フィルムメーカーなど、映画に関する全部が入っているこの団体連がある。この中に最近新しく、テレビ対策委員会というのが出来た。僕も委員に選ばれていろんなことをやっているんだが、その中で、製作面では映画の主演俳優は、テレビに出さない。映画会社が作っている番組では一時間番組は作らない。専属監督はテレビの演出をしてはいけないとか、いろんなことが決めてあるんです。また、テレビ会社に向かっては、今の劇場用に作った映画をテレビに流してくれるなということをいってるわけです。いまいったことは、映団連のテレビ対策委員としての発言ですが。

比佐: これは重大な問題だね。

松山: テレビにスターを貸さないというのは、僕も賛成なんだ。というのは、映画は、金を出さないと見れないスターに育ててあるんだ。

比佐: そう、これは希少価値なんだ。

松山: それを、ただで見せる役者にしてしまったら、いかんというのが僕の論なんだ。

比佐: それは僕らも同感だね。

松山: だから、これは、六社の製作部会に提案して、みなも賛成なんだ。こんど、五月一日から、映画の主演俳優はみんな登録してしまう。そしてテレビには出さないことになるわけだ。しかし、これらは防衛策であって、本当のテレビ対策ではないと思う。テレビは、結局、茶の間の映画館なんだ。だからテレビでは味わえない映画を作る。これが製作者としての当たり前だと思う。だから、テレビで味わえない映画を作る、これがテレビに対する一番の対策ですよ。

比佐: 永田社長もその説?

松山: そう、その説だから、70ミリ映画をやろうということになった。

比佐: テレビとの共存ということは考えられないかな。

松山: 考えられる。

八尋: 考えられるよ。さっきも『悲しき六十才』の話が出たけど、あれなんか、非常に卑近な例で、ワイドにして、色彩になった。これは、既にテレビでは見れないんだ。

中泉: そうそう。

松山: テレビにスターを絶対に出さんと言うのではなくて、ドラマには出さんということです。

比佐: そういう融通性がないとね。お互いに敵でも味方でもないんだから、共存共栄をはからんとね。

松山: そうです。

(時代映画61年5月号)

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