京都市

 

 

上賀茂神社

 

 京都市北区にある賀茂別雷神社は、「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」の通称で呼ばれる事が多い。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

 賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。

 賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である(Wikipediaより)


 

 

 細殿前の対に並ぶ円錐の砂山は、御神体山である神山を象ったもので立砂または盛り砂と呼ばれ、これは祭神が降臨するための目印といわれています。

 

立砂と細殿

 上賀茂神社の二の鳥居を入ると一番最初に目に入るのが円錐形に整えられた「立砂(たてずな)」。立砂は細殿前に作られ、神様が最初に降臨された上賀茂神社の北2kmにある神山を模して作られたと言われている。
 現在でも鬼門や裏鬼門に砂をまき清めるのはこの「立砂」が起源とされる。毎年9月9日に行われる烏相撲(からすずもう)は、立砂の前に土俵を造り児童などが相撲を奉納する。

 細殿は皇族方が行幸される際や斎王が到着されたときに使われた殿舎である。寛永5年(1628年)に造り替えられ、重要文化財に指定されている。
 
 『次男坊判官』で金四郎は上野東照宮の奉納試合で、紅組の大将として出場したが、予想を裏切って敗れる。上賀茂神社境内を上野東照宮に・・・「立砂」はどうやら取り払われたようだ。