太秦周辺 松竹、大映、東映の三つのスタジオが、嵐電(京都の人たちは嵐山行の電車をラン電、比叡山行をエイ電と呼んでいます)の太秦駅を挟んで三角形を作っていますが、この「ロケ名所・散歩」も、太秦を中心に同心円を描きながら進めてゆきましょう━。 スタートは太秦駅の真ン前の広隆寺からです。 半分アグラをかいたような格好の弥勒菩薩で有名なお寺ですが、土塀をめぐらした境内はお祭りや盆踊りなどのロケには持ってこいの広さです。各社ともお膝元で配電にも便利ですから、夜間撮影には大てい此処を使っております。亡くなった溝口監督の名作『山椒大夫』にも、此処の古い講堂が出ていました。北隣は一万七千坪の東映の大オープン敷地となっています。
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さて天下の名勝、嵐山に出てみましょう。天龍寺は大覚寺、妙心寺などと共に昔からロケ名所として知られています。小倉山を背にした美しい庭園や書院は公卿、大名などの屋敷に化けますし、惣門を入れば松並木と白壁の塀をめぐらした塔頭(山内の寺院)が続いて、どの映画にも必ずといって良いくらい登場しています。大川橋蔵さんの若さま侍が覆面の暗殺団に取り囲まれる、なンて云う場面がソレです。渡月橋を挟む河原は、幕末の剣戟シーンに使われたり、『残菊物語』の船乗り込みなどもこの辺で撮影されました。
下流には“ふじわら堤”(桂川の左岸-嵐山〜松尾橋間の堤-を「罧原堤」と呼ぶ)といって、東海道の松並木のような感じの処があります。『血槍富士』で、二つの大名行列が正面衝突するシーンも、此処で撮ったものです。『忠臣蔵』の早駕籠が走ったり、『国定忠治』の赤城の街道に化けたりもします。この堤の南西に、『帰郷』で一遍に有名になった苔寺(西芳寺)があります。今は観光税反対のストライキ中で見物できませんが、映画のおかげで大繁昌したお寺です。但し、『帰郷』以後ロケに使われたことはないようです。 苔寺からさらに南へゆくと、山裾の大原野神社に出ます。朱の玉垣と大鳥居、石灯籠などが街道に面して、昔から股旅映画には無くてはならぬロケ地です。錦ちゃんの“やくざ若衆”が、三度笠を片手に旅に出る・・・そんなシーンに使われるのです。この近くの花の寺(勝持寺)も良く出てきます。
再び北へ戻って、愛宕山の麓に行ってみましょう。清滝川の急流はやくざ物や活劇での花形スタア?です。“目玉の松ちゃん”の忍術映画の昔から、この辺の落合という処はロケ名所の一つに数えられ、最近でも東映の『まぼろし城』のシーンは此処を使いました。トリック撮影により、まるで断崖絶壁みたいに写っています。清滝川の上流の高山寺は『新・平家物語』で清盛の館の大きなオープンが組まれた処ですし、紅葉の名所の高雄も、『お遊さま』の園遊会や、『祇園の姉妹』で小野道子さんが、勝新太郎さんに突き落されるシーンなどに使われています。それと、坂の登り口あたりには古い石垣の路地が幾つもあって、電信柱の全くない点が時代劇には絶好のロケ地なわけです。三町ばかりの坂道にオープンを組んで関所にしたり、茶店を作ったり、鞍馬天狗に馬で走らせたり、とにかく利用価値の多い処です。
次は嵯峨野に杖をひいてみましょう。大覚寺は壮大な築塀に囲まれた格式の高い大寺院で、門の前には大沢の池が、また東に五町ほどゆくと、月の名所の広沢の池が、いずれも清らかな水をたたえていますが、この辺は『新・平家物語』『源義経』などの王朝物に盛んにお目見得しています。
花園の妙心寺はロケ名所のNO.1と称されているだけに、表構えも勅使門と三門があって堂々たるものです。広々とした山内には仏殿、法堂、経蔵などの建物が立ち並び、土塀に挟まれた石畳道が縦横に走っています。恐らく、どんな映画にでも妙心寺の山内が少なくとも一場面は登場しているはずです。 御室の仁和寺も有名です。『月を斬る影法師』で勝新太郎さんが塔の頂上から宙乗りをするシーンがありましたが、こういう冒険映画に此処の五重塔がよくつかわれるのです。 |