大阪市 |
法善寺横町と法善寺-もう一つの奉納灯篭-
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法善寺横丁は浄土宗天龍山法善寺の境内の露店から発展。明治から昭和の初期にかけては寄席の紅梅亭と金沢亭が全盛で、落語を楽しむ人々で賑った。太平洋戦争の空襲で寺ともども焼失。戦後、再び盛り場としてよみがえった。寺は江戸時代の創建だが、現在は不動さんと金毘羅堂だけが残る。拝観自由。 織田作之助の小説「夫婦善哉」でも有名な石畳の路地の両側には、小料理屋、バーなどがひしめきあって軒を並べる。横丁の入り口に架かる看板の文字は西が藤山寛美さん、東は3代目桂春団治さんのもの。小料理屋「正弁丹亭の前に「行き暮れてここが思案の善哉かな」の織田作之助の碑がある。道頓堀と並んで、数々の歌にも登場する、ミナミのシンボルとも言える法善寺横丁は、浪花情緒あふれる一角である。
法善寺横丁の中心、法善寺(水かけ不動)は一日中線香の煙がただよい、香りがしみついている。法善寺というより「水かけ不動さん」の名で親しまれている不動明王は、商売繁盛、恋愛成就などさまざまな願いをこめて、お詣りの人かける水で、いつもヌレヌレと苔むしている。
ところが、ここにもう一つの雷蔵・寿海の奉納燈篭があるが、京都八坂神社のそれほど知られていないようだ。
学生時代何度か訪れていたが写真を撮ることもなく過ぎ、今回の再訪となった。いきさつを尋ねるつもりで寺務所で話を聞いてみたが、ありがたい水かけ不動さんや最近のことは知っていても、肝心の燈篭建立当時の話は皆目わからず時の流れを痛感するも、ここに水かけ不動さんがある限り、この一対の燈篭はあるわけで、そんなあたりまえのことが嬉しくて・・・やっぱり、雷蔵ファンなのだと自覚を深めた夜だった。
アクセス 浄土宗天龍山法善寺は江戸時代初期、慶長2年(1597)に琴雲(きんうん)上人により上本町台地に開基(かいき)され寛永14年(1637)専念(せんねん)上人により現在地にされた。御本尊は阿弥陀如来で近年までは千日念仏回向(せんにちねんぶつえこう)、不断念仏道場、子安地蔵、金比羅信仰が盛んに行われた。 現在は金比羅天王(こんぴらてんのう)お初大神(おはつおおかみ)、西向不動明王(にしむきふどうみょうおう)が祭られ特に西向不動明王は「かけ不動さん」の愛称で大阪の人々に親しまれ、水をかけ心をかけて御願いすればすべての願いが叶うお不動さんとして人々の信仰を集めている。 |