『第三の影武者』製作のため、二年ぶりに来都された井上梅次監督を、大映撮影所に訪問して、いろいろと話を伺った。

本誌: まず、『第三の影武者』についてお伺いしたいのですが、このテーマはどういうことなのでしょうか?

井上: 戦国時代に影武者として生きた一人の青年を通して、現代を描いてみたかったのです。僕は、現代ほど個人の希望や、その人間性が踏みにじられている時代はないと思うんですよ。個人の事情なんか無視して、早いテンポで大きな機構の中に人間を吸いこんでいく。実にすざまじい時代ですよね、現代は。四年前、南条範夫さんのこの原作を読んで、是非やりたいと思った。でもその頃は、こんな殺ばつな作品を受つけてくれる時代ではなかったし、それ以来ずっと温めていたんです。

本誌: 観客の眼が変ってきたわけですね。

井上: そう、やはり需要と供給の関係ですよ。これまでは、お茶漬のようなあっさりした時代劇を好んでいた観客も、最近は違う。ボリュームのある、脂っこいビフテキのような時代劇を求めている。

本誌: ということは、『椿三十郎』以来、時代劇界は大変な残酷ブームのようですが、この残酷性がビフテキの味というわけですか?

井上: いや、僕はその残酷という言葉に抵抗を感じるし、あんまり好きじゃない。マスコミが誇張してつくりあげた言葉だと思いますね。『切腹』あたりから、増々残酷ムードは高まってきたけど、『切腹』にしろ、『忍びの者』にしろ、製作した人達はそんな意識はなかったと思いますね。従来の型を破ったもっと充実した時代劇、そして現代に通ずるもの - といった観点から、取組んだのだろうと思う。それを、マスコミが現象だけを見て、後から騒ぎたてて残酷ブームを作り上げてしまった。だから、僕の作品も物語の設定とか人物の行動の点では残酷かもしれないけど、意識して残酷な描写を入れる気はありません。それに、今さら、残酷ブームを云々するのは時代遅れじゃないのかな。

本誌: ええ、確かにそう思います。でも、マンネリ化して衰退の途を辿っていた時代劇の、新しい可能性への突破口とて、このブームが重要な役割を果たしたのではないかという観点から、この問題を取りあげたわけですが、

井上: そう、その意味では、僕は大変残念に思っているんだ。僕がその口火を切りたかった・・・『切腹』にしろ、『忍びの者』にしろ、それを取り上げて製作に踏み切った製作者、監督の開拓者精神には頭が下がりますね。あえて冒険して突破口をつくってくれたわけです。しかし、近頃は、それに便乗して安易な姿勢で作られる作品が多すぎると思う。もう新しい段階に至るべき時期に来ているなずです。僕自身、次の段階に現在のものより一歩前進したものが出てくるか、この線でもっと違った型で出てくるか暗中模索の状態だけど、現代を感じさせる新鮮な時代劇を作り出すべきでしょう。