入社を同じくして                        記録係 中井 妙子

 照りつける酷暑の下、癩病たる罪人を捨てると云う岩山に送られて、石切場で悲しく金槌を叩くクナラ王子、汗と泥にまみれた中にも、貴公子然と輝く端正な王子、雷蔵さん(『釈迦』ロケにて)思えば二十九年『花の白虎隊』で初めてのデビュー以来、内面的にも見事に成長した現代青年、雷蔵さんを頼もしく仰ぎ見る。

 私が入社して間もなく、スクリプターの仕事もまだ充分にわからなかった頃、丁度歌舞伎界から映画へ転身して来られた雷蔵さんの第一回作品以来、ずうっとお仕事の上で一緒、よき喧嘩相手として共に育って来た気がします。その当時から、利口さと口の悪さでは現在迄変りなく、現場ででもわざとセリフを抜かして云ってみたり、アクションを間違えて私を試し、「お前を育てるのに苦労するよ」と、とくとくと云われると、くやしいのでむきになりがんばったものですが、全然憎めない人でした。

 『新・平家物語』でやっと別々になり、或る日久し振りに、若き武士清盛に扮した雷蔵さんに出逢うと、「私はお前がいくらくやしがっても、もうお前の手のとどかない所へ行ってしまった」と例の調子で、私をくやしがらせるつもりで云われた言葉でしたが、生気に満ちた清盛、雷蔵さんに言い知れぬ圧倒を感じました。

 それから、『炎上』の美と悲しみを追求する青年、自分で自分を理解出来ず悩んでいる青年のもどかしさを、全てのメーキャップを落とし、生のままの自分で見事に演じて、新しい自己発見の道をつかまれた。

 そしてその年、男優賞を受賞し、恐らく雷蔵ファンは心からの祝福を捧げたに違いないでしょうが、私の感激は、今度こそ本当に私の手のとどかぬ所へ行ってしまわれたと、胸が一杯でした。その『炎上』以来、市川崑−雷蔵ラインが生まれ、それぞれの演出と演技について遠慮のない、あけっ放しの声の通達者として、その役目を私が引受けていますが、さすがの雷蔵さんも、市川先生の毒舌の批評ばかりは、心に沁みるとみえ、真剣に聞かれるので、私としてもこの時とばかり市川さんの毒舌に乗せて、心ゆくばかり批評出来るのはすごく痛快です。

 近頃は、雷蔵さんともお仕事で一緒になる事も少なく、昔の様に試されたり、くやしがったりするチャンスもなくなって来ましたが、廊下ですれ違っても相変らず、憎まれだけはきっと忘れてない威勢のよい人です。

 そんな雷蔵さんを少しも憎めず、いや味に思わず、やはり私も大の雷蔵ファンなのは、やはり人間的魅力をもつ人です。私ばかりでなく、恐らく会社の全ての人は雷蔵さんを愛しているし、雷蔵さんは、何時迄も自分を育ててくれたスタッフの人達への感謝と謙虚を忘れていないし、何時迄も私達の中の雷蔵さんです。何時も何かいい仕事をしたいとあせらぬ欲張りを持つ人、頭で自分の演技を切り開く人雷蔵さんですから、ガールフレンドとしての私も安心しています。