一月三日、あまりにも突然な、雷蔵さんのお母様の御死去に接し、私達の驚きより寿海丈、雷蔵さんのお悲しみは、いかばかりかとお察し申し上げます。

 聞く所によりますと、一月二日、丁度歌舞伎座の初日の日、大変お悪かったそうで、寿海丈も心配されて楽屋入りされたとか・・・。

 なんでも御自分でやらなければいられない御性格らしく、今度の寿海丈上京に関しても、一人ではやれない、と云うお気持から無理を押して上京されたそうです。

 数年来の心臓病のため、お医者も、上京不可能と云われたため、雷蔵さんも、上京するのならお医者を一人つけて行く様、忠告されたとか・・・。

 昨年十二月二十七日上京されて以来、病床に臥せっておいででしたが、ついに一月三日、寿海丈を歌舞伎座に送り出してすぐ、午前十時四十五分、おなくなりになりました。

 この悲報を、箱根で静養中の雷蔵さんに伝えられ急遽上京、少しでも東京に近い所にいらっしゃったという事が、不幸中の幸いだったと云えましょう。

 一月四日。冬の木枯しの吹く寒い日、小伝馬町・身延別院に於いて、しめやかなお通夜が行われ、花柳章太郎、中村歌右衛門、市川海老蔵、大谷友右衛門の諸氏をはじめ舞台関係者が数多くおくやみにお見えになりました。

 翌五日、同院に於いて三時から告別式が行われました。黄菊、白菊の生花の花籠のあざやかな色にうずもれた同院には、故人の生前のおもかげを慕って、御焼香にお見えになる方々があとをたたない有様で、歌舞伎、新派、新国劇をはじめ、映画、相撲界にいたる多くの方々の御出席のもとに悲しみのうちにも盛大なる告別式でした。故人のお名前は太田らく。お年は七十四才でした。