最後に寿海丈の著書 「寿の字海老」よりお奥様の事をお書きになった部分を抜粋して記載いたしたいと存じます。

 大正四年一月六日に私は現在の家内らくを迎えました。おのろけではありませんが、そのいきさつを書いてみましょう。最近大阪の民間放送で夫婦善哉というのがあり、新婚夫婦をつかまえて「あなた方のそもなれそめは?」などと遠慮会釈なく質問していますが、私などあんな番組に引っ張り出されたら、ちょっとばかりテレてしまいます。

 当時私は三十才でした、家内も同年ですが、家内とは十年も前からの顔見知りだったのです。家内は私が寿美蔵を襲名する明治四十年ごろから新橋の東家という芸妓屋から“いろ”という名前で芸者に出ていました。そのころ私が節分で、千葉の成田山の年男で豆まきに行った時、新橋の芸者も何人か呼ばれ、その中に家内がいたのです。

 そこではじめて顔を合わせたわけです。その時はお互いに一緒になるなどとは思っていなかったので、その後もただの役者と芸者のつき合い程度で、一緒になってから家内は「あの時はいやにすました役者だと思った」と云い、私の方でも「生意気な芸者がいたと思った」などと笑い合ったものでした。間もなく家内はいったん商売をやめ、七年ぐらいたって又、新橋から出たのです。

 大正三年の中ごろでした。ある日ご贔屓に呼ばれて、新橋の確か井筒というお茶屋でご馳走になったことがあります。宴会が終り、お客さまがみんな帰るので、私も帰ろうとすると、そこの女将が「会わせたい人がいるから、あなただけ待って下さい」と云われ、一室へ通されると、そこに七年前、成田山で会った家内がチョコンと座っているのです。それからあとは、ご想像にまかせます。ともかくこういう次第で、どちらかと云えば、私の結婚は見合に属する方で、ロマンスなどありません。

-「寿の字海老・結婚より」-