mm
 

シナリオ『忠臣蔵』よもやま話@

出席者

八尋 不二
民門 敏雄
依田 義賢

 忠臣蔵は最大のショウ

依田:  今度の忠臣蔵の脚本で僕の気付いた事は、敵方の千坂兵部をこれ程書いたのは珍しいと云ったのだがね。
民門:  うん、不二さんがね、何か対立するものとして、要るのじゃないかと云うので書いたんだ。
依田:  普通、僕達が考えている大石一党の一挙を進める方法を、千坂兵部の方からも描いているね。これはなかなかいいと思ったよ。
民門:  何か、サスペンスにはなるね。いつどうなるか、判らないという。
八尋:  最初はね、千坂兵部と柳沢吉保との関係なども、ハッキリ出してね。監督もバック・ボーンが出来たと喜んでいたんだが。
依田:  うん、今迄の僕達が忠臣蔵を書いて苦労したところが、非常に単純に整理されていて、僕は面白いと思った。
八尋:  しかし、書きたい事は沢山あったんだよ。
民門:  会社の求めているのは講談だろう。だから、歴史的なものばかりを書くと云う訳には行かないからね。
八尋:  それはね、最大公約数を狙うと云う事だよ。歌舞伎でも、忠臣蔵は歌舞伎最大のショウだから。
依田:  「仮名手本忠臣蔵」というのは、忠臣蔵を借りて他のものを描いたと云う気もするね。赤穂浪士事件のみを取り上げて描いたとは云い切れないな。
民門:  最初に横恋慕の三角関係があって、勘平とおかる、次に鷺坂伴内の勘平おかるへの横恋慕。吉良と加古川本蔵の娘とね。つまりラブシーンを上手く点綴して見せているようなもんだよ。それに義理や忠義があってね。
依田:  そう云う意味じゃ、「仮名手本」は芸術的に優れたもんだし、楽しめると云う点では、むしろ優美的とでも云える程描いているのは面白い。
八尋:  あれは最初人形浄瑠璃だったろう。竹田出雲だからね、所謂、からくりとしての面白さが非常にある訳だよ。からくりとして人形を非常に動かしているのだ。だから、恋愛の形の美しさとか、道行のよさとか、何かそう云うものを狙っているよ。
民門:  今、僕らが忠臣蔵を見る時、やはりそう云う目で見ているな、歌舞伎を見ても、人形のような目で見るからね。しかし、映画はそれじゃあ大変不自然だね。
依田:  うん、どうも歌舞伎をそのまま映画で描写するのだといいんだが、筋を採り入れてやると云うのは無理じゃないか。
八尋:  そりゃ、無理だよ。
依田:  映画の写実性と云うものが、そのような様式化を拒否するんだね。講談だと、庶民の感情に一番親しめるように出来ているからね。
民門:  それに、見て来たような嘘をつき、でね。一応歴史的に真実であるようなふりをしてるだろう。
八尋:  それと、歌舞伎は江戸時代のものだし、講談は殆んど明治以降に出来たものだから、やや講談の方が時代感覚があると云う訳だ。しかし、今、僕等が映画にするのだったら昭和の感覚にしなければいけない。それは、講談とも違って来る。

(写真右より民門、八尋、依田の諸氏)

仮名手本忠臣蔵・・・忠臣蔵と云えば仮名手本を考えるくらいにこの浄瑠璃は著名である。竹田出雲、三好松洛、並木千柳の三人の共作で、寛延元年、大阪竹本座で初演され、後、歌舞伎にも上演された。

 仮名手本というのは、四十七士の数から来ているのだが、今一つの俗説に、いろはにほへ「と」、ちりぬるおわ「か」と句切れの終わりの字を拾ってゆくと「とがなくしてしす」と云うからだというのがある。

忠臣蔵系統の戯曲・・・忠臣蔵系統の戯曲は、だいたい世界が三つぐらいにきまっている。曾我物語、太平記、そして小栗判官ものである。仮名手本やその源である近松の「兼好法師物見車」その補遺の「碁盤太平記」は太平記ものに入る。

 大石内蔵助以下四十六人は、元禄十六年二月四日、それぞれの預けられていた藩邸で果てた。この事件が舞台に取り上げられたのは、同年二月二十六日江戸中村座で「曙曾我夜討」が最初だが、その後、義士をしくんだ芝居は宝永七年、すなわち七年目の「鬼鹿毛無佐志鐙」が最初だが、浄瑠璃はそれより早く、宝永三年「兼好法師物見車」。その後続いて「兼好法師物見車跡追碁盤太平記」が時代を足利に選んで、上演された。

 名作仮名手本が世に出たのは、寛延元年、義士討入りから数えて丁度四十七年目に当るのも面白い。