もうだいぶ前の話になるが、浦路洋子が「池広さんの仕事は、演っていてとても楽しい。いわれることがいちいちよく理解できるし、思いきって演れるの」といっていたことがあった。そのせいか、池広作品での彼女は従来の浦路洋子でないイキイキした彼女だったという評判を覚えている。時代劇に移った小林勝彦が見直されたのも確か、池広一夫監督のデビュー作『薔薇大名』であった。この新進気鋭の監督デビュー作と第二作『天下あやつり組』を見てないのは残念だが、小品ながら佳作であったことはすでに認められているところである。
彼は当時こんなことをいっている。「まず若い世代にアピールするにはリズムとテンポが必要だ。そして画面のムードが現代に共通点を持つこと。その立脚点から出発して、最初の作品では感情を誇張することで喜劇味を狙い、第二作では戯画化することで大きな意味での風刺をだした。その際カッティングやカメラワークに非常に気を使い、ために小手先の器用を云々されたこともある」
第三作は前二作とがらりと変って、オーソドックスな股旅もの『沓掛時次郎』
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この何度も映画化された古めかしい題材が、彼の手でみごとによみがえった。時代劇がよく見た目の“形”の点において(精神的にはまったく異質のものだと思っているが)西部劇となぞらえられることがあるが、この『沓掛時次郎』は、そういう意味ではいかにも西部劇調の作品であった。画面の美しかったのは、カメラを担当した宮川一夫の腕に負うところも大きかったこともあろう。
「いまさかんに古い流行歌がリバイバル化されていますが、それがロックン調やドドンパ調にアレンジされれば、若い世代は決して古めかしいものとしては受けとっていない。それは映画も同じで、昔からあるオーソドックスなストーリーでも、自分なりのスタイルに作り変えればよい。つまり現在の時点で通用するタッチで描けば、それは常に新しくあると思う」というのが彼の持論だ。しかしこれは彼が企業の中の人間であるという立場に立っての持論であって、純粋の映画作家としての立場から発言したのではないことは、あとでわかった。
ところでそういう持論は『沓掛時次郎』で次の三点にとくに力が注がれた。第一にポエジィ、第二に通例股旅映画にはおきまりの主題歌が歌われるが、この主題歌を入れるスタイル、第三にラストシーンの殺陣だ。殺陣については「全部で六回斬りあいがある。しかしただバッサリバッサリ斬るのでは、一向に変哲もなく、面白くもない。いくらやくざだって、建物とか地の利を考えて、もっと頭脳的にやるはずだ。というよりやった方が、いまの観客にはアピールするのじゃないか。そんなふうに昔から考えていたものだから、はじめの五回は逃げておいて、ラストで思いきり見せようと演出プランをたてた。何十人もが打ちかかって、ヒーロー一人が全部をきれいにかたずけるのは、あまりにも空々しいし、人数も相手を八人にしぼった。そして延々380フィートまわしました」まるで昨日その場面を撮ったように克明に覚えている。よほどそのシーンにエネルギーが使われたらしい。結果は、その甲斐があるだけの新鮮な見せ場となっていた。 しかし相当に殺伐でもあった。「えげつないという批評を耳にしました。けれど復讐は常に目には目を、歯には歯をでなければ・・・。きれいごとじゃ効果はないですよ。もちろん復讐それ自体には納得のいく理屈がなければなりませんが」クリスチャンの大学立教でまさかこんなことを習得したわけではあるまい。彼はいつもスクリーンの絵の上で、自分を納得させ、効果を読んでいるようだ。 つづく第四作もリバイバル『小太刀を使う女』
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昔の水谷八重子、月丘夢路の姉妹を京マチ子、中村玉緒が演じた。おりからリバイバルブームの最中だとはいえ、まさかこんなものを再映画化するとは思わなかった。撮影所内部でも「これで池ちゃんもおしまいやな」とささやかれたものだ。しかし彼はまたもや立派にやってのけた。どうにもならないように見うけられた作品を、彼のものとして仕上げたのである。彼の真価がみられたのはこの作品ではないかと思うのである。つまり、いままでの作品で伺われていた才気が実はやっぱり本物だったと証明されたわけだからだ。 彼は助監督時代「自社の森一生さんや安田公義さんなんかにも一度づつぐらいはつきましたが、一人の監督に師事したことはなく、外来の監督の組にまわされることが多かった」ので“洋パン”などとアダ名されたこともあるという。斉藤寅次郎、新藤兼人、吉村公三郎、渡辺邦男、市川崑らであるが、もっとも影響をうけたのは『炎上』であり、『ぼんち』ではチーフをつとめた市川崑監督だそうだ。 「それはテクニックに感心したというようなことじゃない。あの人の真摯な製作態度に感銘をうけたんです。ワン・ショットもゆるがせにせず、ワン・カット、ワン・カットに強烈にテーマを打ちだしていくというきびしい作家魂にです。だからぼくも、無垢な遊びのカットや意味のないカットは絶対に撮らないつもりです。アップにはどうしてもそこでアップを撮らねばならない意味のあるものを、また部屋の中のワン・カットでもただ最初に襖をバックに撮ったから、こんどは切り返して庭をバックにという安易な撮り方はいけない。あくまで説明のつくようにカメラをふらねばならないと考えています」先だっても、『破戒』のB班を受け持ってたいへんいい勉強になったという。 いま正月映画『花の兄弟』につづき、『中山七里』を撮影している。この本の出るころはもう公開されていると思うが、これについては多くを語りたがらない。そこで時代劇のあり方について、彼の考え方をのべてもらうことにした。 「時代劇が現代の若い世代にうけるかうけ入れられないかは、主人公の性格で決るのじゃないか。ヒーローにどのように性格づければアピールするかを考えなくてはいけない。『用心棒』が当ったのは三十郎の新しいヒーローのあり方がうけたんだ。徳川時代の士農工商の階級制度はかえようたって変えられないし、衣裳やヅラにしたってそうだ。バック・グランドがかえられないなら、主人公にいまの世代が求めている生命力や行動性が要求されるのは当然のことだ」 しかし、彼は時代劇ではどうしても描き得ない人間像のあることも認めている。例えば現代劇の犯罪映画に人間をとらえたいという。いま高木彬光の「白昼の死角」を取り上げ、ストーリーの中に社会全体に対する皮肉をこめて、つまりシニカルな目を通じて描きたいという。時代劇でなら『薔薇大名』や『天下あやつり組』のたぐいをいつかまたやりたいそうだが、彼は人間や社会を皮肉にながめることが好きらしい。 「しかし、おしきせで仕事をしているぼくらには思うような素材は与えられませんよ。演出家というものは自分のモチーフなりテーマを持ち込んで撮っていくものだ。その意味じゃ、ぼくなんか演出家の部類に入りませんよ。この二月に身分だけは監督補にしてもらいましたがね」 ニヤリとシニカルな笑みがもれた。(K) (「時代映画」62年2月号より) |