私の愛と生活の条件

 市川雷蔵さんは、こんど1958年度ブルー・リボン男優主演賞を受けた。昨年の野心作「炎上」や「弁天小僧に示された抜群の演技に対して与えられたものだが、ブルー・リボン賞といえば、東京映画記者会の人たちによって選定される賞で、いわば映画界における最高の栄誉の一つといわれている。こういう名声と人気にとりかこまれながら、いつも黙々と精進を怠らない雷蔵さんは、すでに新春早々から秋の大作をめざして、西鶴の「好色一代男」の映画化を企画したりして大きな話題を投げかけている。

 ともすれば華やかな虚名に踊らされがちな映画スタア、というよりも、その真面目な人柄で、雷蔵さんは知る人に知られているが、京都木屋町に生まれ、三月もたたないうちに義理の伯父さんに当る市川九団次さんの家にもらわれていき、さらに関西梨園の重鎮市川寿海丈の養子となって映画界に転ずるまで、二十七年の過去をふりかえって語る雷蔵さんの言葉には、一個の俳優としてよりも、むしろ一人の人間として生きてきた、すこしも飾らない心のはしばしが溢れている。