「高野山なんかにいくと、樹齢何百何千年という木が自然に立っている。そういう木から感じる霊気は、市川雷蔵の魂と似ているような気がする」

 「鏡台前っていうのがあってね。大衆場面の時は、その撮影所の鏡台前の部屋に、100人ぐらいの大勢の仕出し俳優(エキストラ)たちが捕虜のように集まっている。そこへ雷ちゃんが入って来て、その仕出し俳優とぶつかったりする。“なんでわしにぶつかったんや”みたいな顔をする奴も中にはいた。雷ちゃんは指定の一番左の鏡台前にすわり、支度にかかる。俺は左から4番目くらい。1時間ぐらいすると雷ちゃんのメーキャップができ上がり、その鏡台前の席から立ち上がると、今まで“なんや、このがき”と思っていた仕出し俳優のひとたちが、わあ、市川雷蔵や、雷蔵やといって、それぞれ雷ちゃんの近くから遠くへ、しり込みしながら下がっていった。俺も扮装ができて、仕出し俳優たちのほうに顔をむけても、誰ひとり、俺を見て下がっていく奴はいなかった。相手が下がらないから、仕方なく俺が下がって、衣裳部屋へいく」

 入社当時からスターとしての扱いを受けていた雷蔵と、二枚目で売り出しながらも、『不知火検校』や『座頭市』など汚れ役、アンチ・ヒーロー役を得て、花開いたといわれる勝新太郎。当時のふたりの違いを、彼はこんなふうに語る。

 「俺と雷ちゃんは同期なんだけど、会社の扱い方が違ってた。カツシンの映画はカラーじゃなくていい、俺はそういう扱いをされてたらしい。俺は知らないんだけど、(中村)玉緒なんかも、俺の相手役は断わってたらしい。結婚してから聞いたんだけど、“なんで俺の相手役は断わってたんだ?” “雷蔵さんのは監督さんもいいし、台本もいいし、みんないいひとばっかり集まって映画を作ってましたやろ”」

 俺のほうは、脚本(ほん)はよくない、監督はよくない、キャメラマンは悪い、編集も悪い、衣装も悪い。会社の中の悪い連中が集まって一本作る。その中からいい作品が生まれたら、育ててゆこってんだから。雷ちゃんは、大映が最初から横綱で迎えた。俺は会社の知らないうちに勝手に暴れて、張り手をしたり、けたぐりしたり、好き勝手なことをして大関まできた。ここまできたら、好き勝手なことして横綱になろうと思い、自分流の横綱になっちゃった」