ぼくは運命の子だよ

大宅: つくし会ね、あのほうは、どちらかというとカブキのプロレタリアですよ。

雷蔵: それはもう・・・。

大宅: つくし会は勉強になったでしょう。どのくらいやられたですか。

雷蔵: 二年ほどやりました。ときどき集って・・・。朗読会なんかで脚本を読みました。

大宅: そのときは指導者はいましたか。

雷蔵: いま父になってます寿海、そのひとりでした。

大宅: 寿海さんが指導者だったのですか。

雷蔵: 別にきまった指導者はなくて、ある脚本をとりあげる場合、そのときどきに応じて、それを体験している先輩に演じてもらう。そういうやり方をしているうちに武智カブキができて、若い人が集まってやったわけです。

大宅: その前は九団次さんがお父さんでしょう。

雷蔵: ええ。

大宅: それから寿海さんとこへいかれたわけですね。

雷蔵: ボクは、もとをただせば若いわりに運命論者みたいなとこがあってね。九団次の実子ではないのですよ。こないだの九団次のお葬式のあとのお供養のときに集まった親類の人から聞かされました。ボクもうすうす知ってたけど、あなたは九団次の子ではないというんですね。いまの家に養子に入ったとき、戸籍謄本をみて知ってたけどね、それまで全然知らなかった。

 いままでボクのお母さん、九団次の妻といった人の弟の子なんです。その弟の嫁を家に入れたわけですよ。ところがおじいさんがいましてね。それがどうしても嫁が気にいらんから離縁さす、というので離縁させられたわけですけど、そのときにはもう子供が生れた、松太郎というのがボクのほんとうのお父さんです。おじいさんの気にいらんばっかりに嫁を帰した。部屋住みのときに、いたずら心で夫婦になったんでしょうな。ボクは知らんけど、不肖の子かもわからん。

 おじいさんとしては、はじめ表向きは子供もいらんと非常に怒ったらしいけど、子供をかえすのは可哀そうだというので残した。そのとき九団次夫婦に子供がなかったので、おまえのところでもろてやってくれんかというので、もらわれたのがボクなんです。そのときお母さんに連れられてどっかへいってたら、こういう世界に入ってないですね。ボクは生れて二ヶ月か三ヶ月でパッパッパッと運命が決まったようなもんですよ。

 大阪の桜ヶ丘小学校一年生のころの市川雷蔵さん