僕にいわせるなら浅野内匠頭という人物は少しアホやないかと思うんです。

 吉良の性格をよく知っているくせに一国一城の主でありながら刃傷沙汰を起すなんてずい分世間知らずの田舎大名ですよ。その軽率さのために、ずい分多くの人が大変な苦労をしなければならない。しかも殺すほど憎んでいながら刀を抜いてかすり傷程度しか与えられないなんて、武術の方も劣っていたようにさえ思われます。

とはいうものの、だからこそ逆に観客に“内匠頭はアホやナ”なんて思わせたら、それこそ、この『忠臣蔵』物語はぶちこわし、内匠頭に万感の同情をよんでこそ、ここではじめて大石内蔵助の血を吐く思いも、肝芸も義士たちの苦心も生きてくるわけなんです。

つまり私の浅野内匠頭の苦心は軽率な内匠頭を、如何に清潔で、正義漢で、家来思いで、愛妻家で、こんな人が切腹させられるなんて誰が考えてもあまりにもひどい、無茶苦茶な話だと観客に思わせるようにしなくてはならない。そこにあるといえましょう。

 渡辺監督の演出ぶりは、御承知のように快テンポで、テストの回数が少いので、丁度こちらの感情が高まったところを、巧みにとらえてくれます。テストを何回もやると、段取りは合ってくりにしても、演技が芝居じみて来てしまいますが、渡辺監督のやり方だと、演技者の一番生な、フレッシュな感情が入るわけです。その代り時代劇になれない人たちはずい分面食ったことでしょうし、僕自身もそれに応えるためには前夜眠れぬくらい演技を研究して、これがだめならすぐこちらを、と出せるように万全の準備をしていかなくてはなりません。その意味では今度の『忠臣蔵』で僕が払った努力と苦心は例の溝口監督の『新平家物語』以来のものといえましょう。浅野内匠頭といえばヤマ場はやはり、〜風さそう花よりもなお・・・という辞世を残すあの切腹場面でしょう。カブキの切腹にはいろいろ型があって大変むずかしいのですが、今度の場合はポピュラーの線を狙った『忠臣蔵』ですから、一番解りやすく、皆の感情にキュッと来るあわれさを出すことに重点を置きました。