『新平家物語』の清冽、『月形半平太』の颯爽、『薄桜記』の哀切、『ぼんち』の洒脱、『歌行燈』の色気、『斬る』の気魄、『眠狂四郎』の虚無、『ある殺し屋』の孤独・・・様々なイメージをスクリーンに定着させた市川雷蔵が37歳で夭折(1969年7月17日午前8時20分)して21年。

 しかし、時間の流れに逆らうかのように、雷蔵追慕の声は高まるばかりだ。いったい、誰がどんな思いで過去のスターの幻影を追い求めているのだろうか。スターらしい華やぎと市井人の堅実をあわせ持った市川雷蔵の魅力とは・・・。

 

 

 

キネマ旬報90年12月上旬号より

 

幸せに満ちた雷蔵との再会

 手帳をみると、市川雷蔵に再会したのは、昨年の六月とある。その頃、大井武蔵野館で雷蔵映画の連続上映が行われていたのだ。雷蔵の全作品153本をリアルタイムで観ている友人が、「一度、雷蔵の映画を観てください」と、上映時間を教えてくれたのがきっかけだ。

(大井武蔵野館 1989 Vol.6)

 雷蔵の映画をこれまで、まったく観ていなかったわけではない。だが、リアルタイムで観た雷蔵は同じ頃観た東映時代劇とともに、幼い少女の劇画体験のように、経験の片隅に追いやられてしまっていた。雷蔵の残像が、深い声音と白面の横顔として残っていることに気づいたのは、雷蔵に再会してからである。ヨーロッパ映画、とくにフランス映画がすべてだと思い込んでいるフシのある私には、日本映画、ましてや時代劇映画などすすんで観ようという気にならぬ映画の部類だった。

 だから、雷蔵の映画は、友人が勧めたから観たにすぎない。が、この再会の後、私は情報誌をまめにチェックし、東京中の映画館を走り回って、一年に70本余の雷蔵映画を観ることになった。よく考えてみれば、新作映画だけでも一年に邦洋画合せて800本近くが、公開され、時には劇場争奪戦も演じられるいまの興行形態の中で、二十年も前に亡くなった俳優の出演作がこれだけ上映されていたというのは大変なことなのだ。しかも、なかには再度同じ作品が上映されることもあり、二度三度と同じ映画を劇場で観る歓びが与えられたのである。このことだけをとっても、雷蔵の映画が観客にとって、永遠に失われぬ映画であることがわかる。それに、観客は昔を懐かしむオールドエイジばかりではないのである。リアルタイムで楽しむ若者たちのほうが圧倒的に多いのだ。