キレイな洋服をきて、高級自動車をのりまわして、ニッコリ笑ってカメラにおさまれば、“万”というお金が入る - スタアとはこういう職業なのだ、と、あなたは思いこんではいませんか!?

 たしかに、そうみえる一面もあるかもしれません。が、その仕事の大半は、精神と肉体のすべてを酷使する《重労働》といってまちがいでないでしょう。そして、そこから映画は作りだされ、スタアの座はまもられてゆくのです。

 今月はその「スタアという名の重労働者」にスポットをあててみましょう。

このいそがしさ覚悟のうえ

 スタアがいそがしいといっても、映画俳優がみんないそがしいわけではありません。つまり人気スタアがいそがしい。映画会社は大きな作品には必ず彼あるいは彼女を主演させるし、ジャーナリズムが後を追いまわす。二本かけもち、ラジオ、テレビ、レコードに出演、吹込み、雑誌の口絵の撮影、舞台出演、ファンへの挨拶と、人気スタアのいそがしさは加速度的に増大するわけです。

 でも、このいそがしさはある限度まで人気スタアその人が望んでいることでもあります。スタアの人気といそがしさとは表と裏の関係であり、もし俳優がのんびりしたヒマな生活をはじめるようになれば、彼あるいは彼女の人気は没落したとみていいでしょう。大映の市川雷蔵さんはこういっています。

 「いそがしいことは俳優にとってありがたいことだと思っています。少なくとも俳優であろうとすれば、忙しさは覚悟しなければならないでしょう。仕事もいそがしければ、仕事の合間にはファンへできるだけサービスして人気にこたえなければならない。ぼくはこれは当然だと思っています。ただ、日本の映画界とその周囲が、スタアの私生活にまで首をつっこもうとする傾向があるのは、いやなことで改めてほしいものです」

 いそがしいのは覚悟の上、という雷蔵さんです。だが、十一月はじめ彼の多忙はまた無類でした。