もっと私達に目をむけて

 これが中立派ともなれば、もっと筆先がやわらかく、一応は恵美子さんの気持に共鳴しながらも、

- でも、そんなことで怒るなんておかしいわ。私も一度はすごく怒ったわ。裕ちゃんの家にいってナグリたかったわよ。でも、もうそんなこと考えていないわ。わかるわね、あなたもいつまでも怒らないで、永久に裕ちゃんのファンでいてほしいわ。お願いね、じゃ、さようなら。                                                (名古屋の工員。年齢不明)

 といったぐあいに、純粋な同志愛の立場から、恵美子さんの再転向をすすめる文章が目立つようだ。さてここで、もういちど冒頭にもどり、賛成派の声を聞いてみよう。

− 私もこのごろ、裕ちゃんの態度があまりに複雑なので、とてもノイローゼ気味なの。私たちがいくら裕ちゃんのファンになっても、あの調子じゃたまらないわよね。じつは私は裕ちゃんと同じ東京に住みたくて、わざわざ上京したようなものですが、ぜんぜんがっかり。もうすこし私達に目をむけてももらいたいわね。私は十七歳で愛知県から中学を卒業して上京。
− アメリカ旅行を知って悲しくなっちゃった。なぜ堂々と行かなかったかって。それでその日、学校を休んじゃった。勉強する気力がないんだもの。あとで友達から「組一番の裕ちゃんファンが週刊誌なんか読んでいちいち嫌いになったら大変だよ。しょっちゅう、好き、嫌い、また好きで、きりがないわよ」と言われたけど、がまんしていられなかったの。                         (茨城 中学三年)
− マコちゃんとの結婚なんか反対ですのよ、私は。でも私達がいくらそんなこといっても駄目ね。裕ちゃんは裕ちゃんよ、私達の事なんか聞くわけがないわ。私達はあきらめなければいけないのよ。アキラメましょう。                                            (滋賀県 高校一年生)

 とにかく、賛否両論の過激派から穏健中立派にいたるまで、恵美子さんあての手紙で一貫していることは、ひたむきなまでの裕次郎への愛情だ。爪のアカほどの打算もまじらぬ、こうした“乙女の祈り”を“愚かなファン心理”と一笑に付するにはあまりにいじらしいものがある。

 手紙の山を前にして、恵美子さんも、あらためて裕次郎の顔を思い浮かべたそうだ。乏しい小遣いの中から十円切手を買い集め、セッセと“友”への返事を書き、そして彼女はこう語る。

 「私もあの当座は、カッとしてしまいました。でも、時間がたつにつれて、自分の感情を恥ずかしく思うようになり、今ではその言動の是非を超えて、ソッと二人の幸福を祈ってあげたい気持です」