主人公と企画

<対 談> 市川雷蔵 依田義賢

 

シリーズものは安易な企画

依田: だから、一つは大衆に奉仕するという線と、スター個人の魅力に大衆をつかせるのと、この二つの交互の行き方ですね。その時に、映画自体が持っているドラマの性質が重要になって来ますね。

市川: そうですね、私らの場合は。会社の人が時々口の端にのせるんですが、僕はシリーズものはいらんというんです。シリーズものそれ自体が、あたかもその俳優さんの人気の上に重大な影響を及ぼしているように見えるけれども、よく調べてみると、それは会社の興行を考えた安易な企画にすぎないんですよ。

依田: 僕が大衆の立場に立って云えてるかどうかわかりませんが、雷蔵さんにあれをやってほしい、とか、雷蔵さんのあれはよかったとか、つまり、雷蔵作るところの、という問題というのは見たいわけですよ。それと、あの役を雷蔵さんにやってほしいというのと二つあると思うんです。後の場合も、あなたがやれば、あなたの魅力になるわけなんだけれども、その時には企画に特色がなければいかんでしょう。この問題については、僕は企画の振幅の狭さを感じるんだけどね。あなたにお世辞を使うわけじゃないけれども、将来のことまでも考えて、大きく育てていく企画があるかどうか、ということになったら、あんたも不満はあると思う。

市川: それはそうです。だからシリーズものにしても、新しい魅力を持った人物を創造して、という出発なら僕も賛成するわけです。ところが、シリーズものを作れば企画が楽になるだろう、一年に十本も作るんだからそのうちの二、三本はシリーズものでもいけるだろうという考え方なら反対なんです。

依田; 僕は本を書いたんですが、『好色一代男』、これなんかスターを傷つけるようなものがあるんですよ。僕は決して人間的には傷をつけているんじゃないけれども、漫画的な形すらあるんです。すると、そんなことをしたスターのファンからは、あんなことをしてもらったら困る、ということになると思うんです。そういう点では、ファンもそうだけど、俳優の売り方も、雷蔵がこんな面白いことをした、というようにするとか、そうなるとどんなに面白いかとも思うわけですよ。

市川: そう。それなんかも、雷蔵があんな面白いいことをしよった、という見方をファンがしてくれるように会社は育ててくれへんといかんと思うんです。

依田: 僕はね、あんたとしてはいろんな不服もあるかもしらんけれど、いわば幸せな人ですよ、清盛もやったり『炎上』をしたりしたこと。

市川: えゝ、わりに幸せですね。

依田: 型にはめられて、その中に追いこめられたら、これはずいぶん不愉快だろうと思うんです。あんたはちょいちょい抜けてるから、それが雷蔵の幸せであると思うのですよ。

市川: そうかもしれません。

依田: ところが、今度、それを小さい鋳型に戻してはめてしまえば、これは損だ。人間の魅力というものは、石原裕次郎君の場合を考えたら、現代のもってる風俗が石原君にマッチして、石原君のキャラクターはむしろそこへ利用されている形なんだ。あなたの場合は、歌舞伎から出て来た人でもあるし、タレントとしてあるわけですよ。これは、雷蔵さんクラスの若い人のもっている巾の広い問題だと思う。あんたにしろ錦ちゃんにしろ、戻ろうと思えば歌舞伎の陣営に戻れるものをもっている。それなのにやってみたい。しかし面白くないのはなんやということに、僕らも答えんならんわけや。答えた時に、現代のアロハででもすぐ時代劇に入れるかというとそうもいかん、歩き方一つにしても違うのやという自負もあるでしょう。