白井権八とおいらん小紫、
浮名を流した二人の色模様

『其小唄夢廓 (そのこうたゆめもよしわら)』 -権八小紫-

◆解説

 文化十三(1816)年二月中村座初演、福森宇助作。皆様ご存知の白井権八と吉原遊女小紫の物語。

 権八は刑場の露と消える前に、この世の思い出にと、その頃流行していた「八重桜」という小唄を美声で口遊んだと伝えられている。そして二人の死後、その「八重桜」の一節を“逢いたさ見たさは飛び立つばかり、籠の鳥かや恨めしや・・・”と替えた唄が流行し、それが今も清元の名曲「其小唄夢廓(権上)」の中に残されている。
 

◆あらすじ

 江戸の街に横行していた辻切りの下手人、白井権八が捕らえられて処刑されることになった。権八は江戸に流れてきて廓の花魁三浦屋小紫と深い馴染みとなり、会う金欲しさに辻切りを働くようになった。
 刑執行の刻限になり、いよいよ処刑されようと言う時に、小紫が権八会いたさに廓を抜け出して駆け付けてくる。検使役の計らいでこの世の別れに水盃を交わす。 やがて権八は石塔の前で処刑される。そこではっと目がさめると、そこは廓に向かう駕篭の中だった。大勢の新造が権八を華やかに迎える。

◆縁の地

権八小紫比翼塚 (目黒不動尊瀧泉寺門前)

 江戸の初め、鳥取藩士平井権八は、同僚本庄助太夫を殺害して江戸に逐電。吉原三浦屋の遊女小紫と馴染となって金に困り、浅草日本堤で通行人から金銭を奪い辻斬り殺人強盗を重ねていた。
 ある時、この寺の住僧随川にかくまわれ、尺八を習い、改心した権八は死ぬ前にもう一度両親に会いたいと思い、虚無僧となって郷里鳥取に帰ったが、すでに両親とも他界していた。観念した権八は江戸に戻って自首し、鈴ヶ森で処刑された。
 随川によって遺骸は東昌寺に葬られたが、そこへ小紫が吉原から抜け出てきて権八の墓の前で後追い心中、二人を哀れんだ人々が建てたのが、この比翼塚である。

 平井権八の話は、浄瑠璃や歌舞伎に脚色され、白井権八のモデルとなった。
 また、江戸に出奔して行く美貌の若侍白井権八が、鈴ヶ森で大勢の雲助にからまれて、やむなく切り払って立ち去ろうとした時、江戸の侠客幡随院長兵衛が駕籠の中から権八を呼び止める「お若えの、お待ちなせえやし」の名科白はご存知のことだろう。正当防衛とはいえ人を斬ったのを見られた権八はうろたえるのだが、長兵衛は口外しないと安心させ「いつでも尋ねてごぜえやせ。陰膳すえて待っておりやす」と江戸での再会を約束する名場面である。
 実際には権八が生れるころに長兵衛は、旗本奴の水野十郎左衛門に殺されているので、二人の出会いは芝居の上だけの創作である。

権八小紫比翼塚