旗本菊地半九郎と遊女お染の恋は
対でそろえた春着を、死装束に鳥辺山
で心中する岡本綺堂の原作。

『鳥辺山心中 (とりべやましんじゅう)』 -お染半九郎-

◆解説

 江戸中期に実際にあった心中事件を題材に、一途な青年武士と汚れを知らぬ遊女の恋を描いた岡本綺堂の作品。1925年、二代目左團次の半九郎、二代目松蔦のお染、六代目寿美蔵(三世寿海)の源三郎で初演された。

◆あらすじ

 将軍家光の上洛に従って京に上がった菊地半九郎は、祇園に遊んで清純な遊女お染と馴染みを重ねた。やがて江戸に帰る日が近づき、家宝の刀剣を売り払ってでも、お染を身請けしようと考えていた半九郎だったのだが、些細なことから朋輩の市之助の弟・源三郎と争いになり、激しい斬り合いの末殺してしまう。進退窮まった半九郎はお染と共に死を決意し、春の晴れ着を死装束に鳥辺山へと向かうのだった。

◆縁の地

 鳥辺野 (京都市東山区清閑寺)

 西大谷東側から清水寺への途中の丘陵。『鳥辺山心中』の舞台となったところとして知られ、平安期から葬送地、墓地として知られる。東山区南部、阿弥陀ケ峰北麓の五条坂から南麓の今熊野にいたる丘陵地、鳥辺山のふもと一帯を総称する。平安期から墓地、葬送の地として知られる。現在は東山区清水寺の南西、大谷本廟東方の山腹にある墓地を指す。広さは、約4万平方メートルにもおよぶ。市バス池田町一帯。

 かって鴨川より東側は人の住む場所≠ナはなかったらしい。そこで人々は戦乱等亡くなった人の骸を、河の向う側へ運んだものだという。鳥辺野という呼び名で呼ばれる場所は明確に此処から此処迄、と線の引けるものではないが、死を決意したお染・半九郎の二人が死地を求めてさまよい歩くに相応しい場所であった。

*さだまさし作「鳥辺山心中」(『さよならにっぽん』収録)近松門左衛門の『曽根崎心中』と、岡本綺堂の『鳥辺山心中』を元にして作った曲。化野(あだしの)・鳥辺山を舞台とした心中する女性の内面を歌った曲。最後は『曽根崎心中』序文を使用している。さだはこの曲以外にも鳥辺山を題材にした曲として「鳥辺野」(『うつろひ』収録)といった曲を作っている。

(鳥辺山心中ばかりでなく、曽根崎心中も合わさりパワーアップされたような歌詞)... つこうと嘘は嘘あなたがついたか 私がつかせたか茨道 袖を裂く けもの道陵墓づたいに 枯れた竹林

 

東山鳥辺山延年寺墓地

(雷蔵養父母・九団次、はな
の墓所でもある)