阪神合宿にて−上から市川雷蔵、一人おいて前岡投手、林成年

やり場のない怒りと低迷

 シーズン・オフになった。ボールから離れることは、グランドの嫌いになった前岡の心理状態を、いっそう悪化させることでもあった。誹謗とさげすみのまじり合ったチームメートの人々の視線に耐え切れず、前岡は実家に帰ってしまった。

 「七面山へ行こう」と雷蔵さんが前岡を誘ったのは、ちょうどそういう時だった。七面山は、身延山の北方にある二千メートルの聖地で、雷蔵さんは、そこで元旦の日の出を、二人で拝もうということであった。

 けわしい山道を踏みわけて、山頂にたどりついたとき、「どうだ、素晴らしいだろう。ここですっかり厄を落して、来シーズンからがんばるんだナ」雷蔵さんは、そういって前岡を励ました。

 しかし極端な不調で、すっかり自信を失ってしまった前岡が、昔どおりの姿になるのは、なかなかむずかしかった。意気消沈している前岡を、雷蔵さんは会う度ごとに、「何しとるんや!」と叱った。三十三年のシーズンも、零勝のまま終わってしまった。

 「野球をやめよう!」そう思って、相談のため京都市鳴滝の雷蔵さんの家を訪れた。「映画の世界と、スポーツの世界はちがうから、自分としては何もいえない。自分自身で、悔いのないよう判断してきめる以外ない。まあ私の家で、しばらく休養してよく考えるのだナ」雷蔵さんは、その時、静かにそういった。

 鳴滝の雷蔵さんの家は、山をひかえて閑静な土地にあった。前岡はその一室で、犬をつれてランニングするほか、読書にふけって、一歩も外に出なかった。「まだ決心がつかないか」雷蔵さんは、ある時前岡にきいた。

 前岡は静かに首を横に振った。そして意を決したように、雷蔵さんにいった。「一度東京へ出て、浜崎さんに会ってきます」浜崎さんとは、球界彦左でならした、口やかましい評論家、浜崎真二氏のことである。

 浜崎さんは「土性骨だ。誰にたよるのでもなく、自分の生まれた所に帰り、自分で道を見つけるのだ」と、雷蔵さんの言葉と、まったく同じ意味のことを忠告した。