最後の侍・市川雷蔵

 続く『次男坊判官』(加戸敏)の遠山金四郎物、『鬼斬り若様』(安田公義)の松平長七郎物、『綱渡り見世物侍』(加戸敏)の二役物、『いろは囃子』(加戸敏)のやくざ物、『怪盗と判官』(加戸敏)の遠山金四郎対鼠小僧(勝新太郎)、三十一年『又四郎喧嘩旅』(田坂勝彦)の山手流明朗浪人「又四郎行状記」物と、雷蔵の若さ、とぼけたおかしさを生かそうとする、気軽なムードのコメディ時代劇があるが、決定打は出ていない。

 わずかに、『いろは囃子』での、やくざから足を洗おうと家に帰った主人公の日常生活の怠惰な描写とラストの材木置場での乱闘が印象に残っている程度で、お話としては、アイデア亜マン小英雄脚本による『怪盗と判官』がやや面白かった。遠山の金さん対鼠小僧の二人旅に弥次郎兵衛、喜多八の両コメディアンをからませ、さらに目明しの扮するにせ鼠小僧まで登場させるという奇おわしく想天外な道中記物の佳作ではあったが、演出力が弱く、笑いの少ないものとなってしまった。(小国は次の年の三十一年、長谷川一夫のために同じ鼠小僧の大傑作『鼠小僧忍び込み控』(加戸敏)、『子の刻参上』(田坂勝彦)を作っている)

 三十一年の『柳生連也斎・秘伝月影抄』(五味康祐原作)は、市川雷蔵デビュー以来始めての冷たく硬質な役柄であった。彼の顔からはそれまでのとぼけた味は消え、剣に生きる男の暗い翳りと、ナルシストのような冷えきった美しさが現われていた。しかし、この作品は当時の大映時代劇路線からいえば、実験的意味をもった大失敗作であり、原作のもっている精悍で陰湿な雰囲気を出すまでには至らなかった。戦後時代劇の悪しき欠陥である「剣戟即ショー」といった考え方が露骨に現われていて、殺人の暴力性や、凶器を持つ者の凶暴な衝動や怨念など、現在なら当然の殺戮の論理をもっていなかったのである。時代劇本来がもっている剣(武器・凶器)の意味、斬られ方(死に方)の美学、斬り込み、対決などの行動の哲学が映画の中で追求されるようになるのは、もっと後のことである。

 もちろんそうした作品がそれまでにまったくなかったわけではない。昭和二十五年の『佐々木小次郎』(稲垣浩)、二十七年の『決闘鍵屋の辻』(森一生)、二十八年の『大菩薩峠』(渡辺邦男)、二十九年『宮本武蔵』(稲垣浩)、三十一年『眠狂四郎無頼控』(日高繁明・鶴田浩二主演)など、わずかながら求道的な作品がある。しかし、他系統の圧倒的な作品量にくらべ、これらの作品はあまりに少なかったために、時代映画そのものに影響を与えるということはほとんどなかった。

 しかし、市川雷蔵という役者にとって、こうした傾向の作品を見逃すことはできない。つまりそれは、後に彼の時代劇スターとしての主流となるからである。三年後の三十四年『遊太郎巷談』(田坂勝彦・柴田錬三郎原作)『薄桜記』(五味康祐原作)、『二人の武蔵』(渡辺邦男・五味康祐原作)、三十五年『大菩薩峠』(三隅研次)などを経て、三十七年『斬る』(柴田錬三郎原作)に至り、「眠狂四郎シリーズ」へと続き、彼を「殺しの美学」映画の第一線級のスターに仕立てる重要な作品群なのである。

 一方、『浅太郎鴉』は、ご存知板割りの浅太郎の物語で、「義理」と「人情」ベッタリのたあいもない映画ではあるが、その後、彼の素質を発掘し、特異なイメージを作り上げ、時代劇のスターダムへとのし上げた三隅研次との最初の出会いの作品であるとともに、デビュー当時の作品『次男坊鴉』に続く雷蔵股旅映画のライン上にあって、翌年の『弥太郎笠』(森一生)を通過し、三十三年『旅は気まぐれ風まかせ』(田坂勝彦)で小林旭の「渡り鳥シリーズ」もどきのアクション・コメディへと変化し、『女狐風呂』(安田公義)、『濡れ髪三度笠』(田中徳三)でそのユーモア性を成功させ、『浮かれ三度笠』(田中徳三)『濡れ髪喧嘩旅』(森一生)、『濡れ髪牡丹』(田中徳三)と水準の作品を作りながらも、『おけさ唄えば』(森一生)でマンネリとうわさされるや、次の『沓掛時次郎』(池広一夫)では、みごとに本来の性格をとりもどし、『鯉名の銀平』(田中徳三)、『中山七里』(池広一夫)とみがきをかけ、四十三年『ひとり狼』(池広一夫)で大完成する一連の「流れ者」の系譜である。

 しかし、当時の雷蔵の股旅映画についていえば、それはまだ長谷川一夫のミニチュア版にすぎなかった。確かに、スタイルや身のこなしはすっきりとした美しさがあったが、長谷川の慣れきった役者ぶりにはとうていかなわなかった。すでに東映では三十三年『風と女と旅鴉』(加藤泰)で中村錦之助がみごとな股旅やくざを演じていただけに股旅物において新局面を開拓yしていたが、当時の市川雷蔵はまだまだ弱々しく見えた。