ところが、ここで文句を云うのもヘンですが、民間テレビは、番組の都合で、折角のナイターを、中途でプッツリやるのは、どうもいけません。子供が喜んで、好きなオモチャで機嫌よく遊んでいるのを、ヒョイと横から取上げるようなもので、ファンにとっては、まことにザンコクな仕打ちです。なんとかならんものでしょうかネ。

 そのたのしいナイターも、愛すべき巨人軍が敗れた時はいけません。勝敗は闘いの常なり、とは思うものの、後味の悪さは、如何ともしがたいものがあります。だが巨人軍も、泥沼のようなスランプから抜けていまや、首位中日をオビヤカしていますので、梅雨空とは申せ、このところ僕のお天気はすこぶる晴朗です。

 角力(すもう)が始まれば、もう一つたのしみが増えます。暇のある時などは、始まりから打出しまで、テレビに喰いついたきり離れません。ごひいきは、朝汐関、それに新進の人たちには、大いに声援をおくっています。

 仕事が始まれば、このおたのしみとも暫しの別れとなりますが、新しい役柄に対する意欲は、娯楽とは別に、僕にとっては、大きなたのしみでもあります。ああでもない、こうでもない、といろいろ模索しながら、その役の人物のキャラクターをやっと掴めた時の嬉しさ、その役に、自分の全てを叩き込める映画俳優という職業に、僕は大きな喜びを感じています。一本の作品が完成すると、すぐ次の作品の自分の役について研究しなくちゃなりません。

 仕事、そしてささやかな娯楽(テレビ位でしょうか)それが、僕の生活のすべてです。だから、この間に、恋愛に関心をもつユトリは現在のところ、そして当分ございません。これが、“恋愛、理想の女性、結婚”に関するご質問へのお答えであり、“独り居もまたたのしからずや”の心境(?)でもあるのです。誰にも遠慮もなく、雑事に気を使うことなく、男四人、女二人の市川家の生活は、まことに“たのしき我が家”でもあります。