時代劇の新スター 市川雷蔵のプロフィル

 ところが、扇雀さんや鶴之助さんは天才型で、いちはやく大役を堂々とやってのけたし、人気もウナギのぼりでついにふたりをならべて鶴扇時代と称するほどのスピード出世ぶりだったのにひかえ、大器晩成型の雷蔵さんは、いっこうに目だたない存在でした。ですから、当時は先生の武智氏も「武智学校の優等生は扇雀と鶴之助で、莚蔵は落第生です」と嘆いていたものです。

 ところがその莚蔵の、人間的にすなおで明るい性質と将来大物になりそうな天分を見込んで「ぜひ養子にいただきたい」と九団次さんに話をもちかけたのが、関西カブキの座頭格の市川寿海さんでした。寿海さん夫婦は、すでに六十を過ぎた老齢ですが、子宝に恵まれず、その寂しさから、日ごろお気に入りの莚蔵を自分の跡取りに迎えたかったのです。

 そして、昭和二十六年四月に莚蔵は寿海さんの養子になって、その年の六月に八代目市川雷蔵を襲名したというわけです。

 その舞台で、あまりパッとしなかった雷蔵さんが、去年の夏に大映から招かれ、『花の白虎隊』に花柳武始(新派の名女形花柳章太郎の次男)や勝新太郎(長唄の杵屋勝東治の次男)たちといっしょに、白虎隊士になって映画初出演したら、たちまち人気が沸騰、時代劇映画スターの折り紙をつけられ、それからはトントン拍子の出世です。 

 市川雷蔵さんとの映画『お夏清十郎』で、私ははじめてオトナらしい芝居をやって、とてもうれしかったんです。ですから、このお人形も、オトナの顔をしてるでしょ。でも、私、ラブシーンの撮影になると、全然ダメなの。かたくなっちゃってネ、歌をうたうようなぐあいに、うまくいかないんですもの・・・。(人形・小沢人形学院制作)