時代劇の未来を賭けた二つの顔

現代的な森の石松

セットの合間の錦之助、この姿で彼は人を斬る。

 錦之助の場合はどうか。彼は、たしかにとんとん拍子で、スターダムにのし上がった。が、これが彼の苦労の種になるのである。スターになったとはいえ、彼のファンは少年たちである。映画の批評家は、まともに相手にしなかった。その証拠に、二年まえのブルー・リボン賞の選考委員会では、二十人の委員のうちで、その年の錦之助の映画を見たのは数人しかいなかった。

 彼はその前、つまり昭和三十一年から、すでに演技の方向をかえていた。いわゆる“美男俳優”だけでは不安であり、不満だったのだ。それに、大川橋蔵、東千代之助という有力なライバルがいる。彼は意識的に演技をかえだした。『風雲児織田信長』では思いきり顔をきたなくぬり、生まれつきの気性のはげしさと、若々しさを画面にぶっつけた。汚れ役は『独眼流政宗』『風と女と旅がらす』とかさなり、そのつど、彼はジャリものスターから脱皮していった。

 演技派開眼。こうなると、欲がでる。正月映画の『任侠清水港』で“森の石松”になると、彼は思いきってアドリブ(即興的に入れるセリフ)を使った。アドリブは、頭の回転の早さを物語る武器である。

 森の石松が「ひゃあ、大変だ」「ちぇっ、ついてねえや」というのだ。これは、歯ぎれいい演技とマッチして、評判になった。すると、彼はこの“片目”の役を、もう一度やりたいと言いだしたのである。かくてマキノ雅弘監督の『森の石松』がうまれ、これもまた好評だった。マキノ監督も「錦之助は、森の石松という男の内容をたくみにつかんでいる。まえに森繁がやったが、あれより上手かもしれない」という。

 もう一つの行き方にも彼は賭けている。「一心太助」とか「弥次喜多」とか、つまり、現代人錦之助と江戸っ子錦之助を正面から押しだしたものである。ここには、カツラをかぶった現代人錦之助が、ふんだんにあらわれる。沢島忠監督とイキをあわせて、アドリブをぐんぐん使いまくった。

 そして−この試みのひとつ、『一心太助天下の大事』で、彼はブルー・リボンの大衆演技賞をとったのだ。沢島監督は「二枚目の俳優で出てきた錦之助が、三枚目をやってブルー・リボン賞をとった。これは偶然ではない」という。彼にはそれだけの工夫があるからだ。正月封切の『殿様弥次喜多』に新内をいれたのだが、錦之助は「新内をジャズ化してダークダックスにうたわせよう」と言いだした。このアイデアは、時代劇を近代化するこころみから出ているもので、彼の演技派としての根性を物語るものだ。

 『一心太助天下の大事』については、こんな話もある。この映画が東京で封切られたとき、叔父の勘三郎は、勘九郎君や、娘の久里子ちゃんなどをつれて見に行った。映画館の中で、誰かが、「錦ちゃんはうまいなあ」というと、勘三郎はそれを待っていたかのようにいったものである。「錦之助はうまいだろう。錦之助がうまいのは俺の芝居に似ているからうまいんだ」この言葉は、錦之助が少年ファンの“錦ちゃん”から脱皮して、一級の演技派に成長したことを物語っているようだ。