死に面した人間のギリギリの悲しみ
昭和55年晩秋の夕暮れ、東京の池上本門寺の一隅に私はひとり坐り、「太田家の墓」と刻まれている墓石と向かい合っていた。これは一世を風靡した二枚目俳優・市川雷蔵の墓である。なんの変哲もない小さな墓で、あたりには人影もなく、ただ鴉が何羽か空を舞っており、時にギャーッとけたたましい鳴き声を立てて舞い降りてくるのが不気味であった。
あれだけ華やかなスターの境涯を生きた雷蔵が、今はひっそりとこんなわびしい墓石の中で眠っている。一体、人生なんて何だろう、と私は思った。その夜は確か山口百恵の結婚披露のパーティがあったのだが、時移り人は変わる、という虚しい思いが余計に私の心の中に押し寄せた。三十七歳で若い生命を散らした彼の人生は、果たしてどこへ消えてしまったのか。
雷蔵が昭和二十九年に大映に入り、四十四年に死去するまでの十五年間に出演した映画は実に153本である。常にトップ・スターの座を歩み続け、功なり名をとげた俳優であったことは確かだ。だが雷蔵といえば、やはり薄幸の美男といったイメージが強く、その死から三十六年も経った今もなお、その人気は根強く残っている。それは彼と同年でこの世を去ったフランスの美男スター、ジェラール・フィリップの場合と同じである。
昭和三十九年に彼が出演した『剣』という作品は。三島由紀夫の小説の映画化であり、ここで彼は剣ひとすじの生活を送る大学の剣道部の部長である国分という男を演じている。ある時、部員が禁止されている事項を破ったことから、彼は自分のいたらなさを恥じ、そうした自分が許せなくなって自殺してしまう。 雷蔵は、純粋なこの男を演じることが久しい念願だったというが、この撮影中に三隅研次監督(この方もすでに故人である)が「雷ちゃん、生きてる最後の顔をやってんか。アップでいくでえ」と言うと、彼は実にいい顔をしてきれたと言うのだ。若い俳優が死に面した人間のギリギリの悲しみの表現がうまくできるなんて、雷蔵はもう死に対する用意がすでにできていたのではなかったか。 |