大映京都撮影所では、いま市川雷蔵主演の『大菩薩峠』を撮影中である。これは中里介山の原作で、戦前、戦後を通じて三度び映画化されており、主人公の机竜之助に、大河内伝次郎、片岡千恵蔵等が扮していたが、今度はぐっと若くなって、市川雷蔵が主演するのである。

 原作は国民文学の代表的な作品として、戦後再評価されている長篇小説で、映画は三部に分けて製作される。

 放れ駒の黒紋付の着流しで、妖刀音無しの構えをあやつり、行くところ波乱を起す、虚無の青年剣士、机竜之助を市川雷蔵がどう演ずるか。今まで映画化された竜之助は、主演者の年令もあって、陰鬱な剣豪物という印象が強いが、衣笠貞之助のシナリオは、原作の線に戻って、剣の凄壮さと、ロマンチックな面が強調されている。雷蔵の意欲とともに期待したい一作である。以下、撮影中の『大菩薩峠』セット訪問記である。

 この日は、第五セットにくまれた、江戸の竜之助の家。これは御嶽山奉納試合で、宇津木文之丞を討ち果たした竜之助が、宇津木の妻お浜と江戸に隠れすむ隠れ家である。殺風景な、何の飾りもない部屋。柱も黒ずみ、ふすまは、墨絵のような灰色。こたつに入った竜之助と、お浜の二人が、久しぶりになごみ合う場面である。

 こたつに入り、横になった雷蔵の竜之助。そこに中村玉緒のお浜が、「しほの山、さしでの磯に、すむ千鳥・・・」とつぶやくようにいいながら入ってくる。そして、さしでの磯は私の故郷と、今は遠い故郷を思って、ちょっとしんみりするところである。三隅監督が「お浜は気の強い女だけど、ここでは少しセンチに」と玉緒ちゃんに一言。コックリうなずいてテスト。ところが玉緒ちゃん、笛吹川のほとり・・・というせりふ、石狩川と言い間違え。三隅監督が「あ、北海道まで飛びましたな」雷蔵くん、すかさず「人間の条件が出て来よった」で、スタッフ一同大笑い。玉緒ちゃんは、「人間の条件」に出演、北海道ロケをすましたばかりのところであるからである。玉緒ちゃん、すみませんと可愛ゆく云って、またテストが続けられる。