鳴滝は閑静な場所ですし、大きな家で用心が悪いと。柴犬まがいの雑種を飼ったのですが、これがとても利口な犬で、若旦那にすごくなつき、車の音でお帰りを知らすくらいでした。若旦那も帰られると必ず部屋へ入られる前に、犬小屋をのぞいて半ときほど遊んでおられました。その犬が死んだとき、犬小屋にろうそくとお花をたてて拝んでおられた姿が今も目に浮びます。

愛犬を連れて歩き慣れた散歩道 (近代映画特集「源氏物語 浮舟」より)

 この家はまた山に迫っていたせいか、すごく湿気があり、いろいろと虫が多いので困っていました。ある夜、若旦那が休まれたのでわれわれも寝ようとしたところ、「おせきさんちょっとォ!」と大声がするので、びっくりして寝室へ行くと、若旦那が太ももを押えて「寝ておったら足の方がもぞもぞもぞもぞするのや」「何でっしゃろ」といいながら、パジャマのズボンをおろすと、大きなムカデが入っていたのでびっくり。「よう刺されなんだことですね」「ほんまや、びっくりした」というなり、後はケロッとして寝てしまわれました。また、トイレの中から、「ちょっと、はえたたき持ってきてんかァ!」と呼ばれたのであわてて持っていくと、「大きな蜘蛛や、取ってんか」「私、蜘蛛は大嫌いですのや」というと、自分でさっさと殺してしまわれました。

 盲腸になられたとき、「浮舟」の撮影中で手術ができず、ちらしながら撮影をすますと、さっそく手術をしました。その日は森本さんと二人で病室に泊まることになり、「麻酔がきれたら、ものすごく痛いらしいです、大丈夫ですか」ときくと、「何ともあらへん、全然痛まんわ」と元気そのもので本を読んだり、ラジオをきいたり、私達は安心してぐっすり眠ってしまいました。しばらくして、森本さんに「おせきさん、呼んでるのとちがうか」といわれて、「さあ、全然気いつかなんだけど」といいながらそっとドアをあけると、入口のあたりに本がいっぱい飛び散って足の踏み場もないくらいでした。きっといくら呼んでも起きないので本を投げて起こそうとしたのだなと思い、恐る恐る中へ入ると「なんぼ呼んでも、ちっとも起きんとからに」とぶりぶり怒っているのです。ははアン、麻酔がきれたんやなと思い、「痛みますか」とたずねると、「痛いちゅうもんやあらへん、たまらんわ、それにノドがかわいてカラカラや、何ぞ飲まして」「そんなことしたら死んでしまいます、絶対に飲ましたらあかんいわれました」というと、それでもしばらくは辛抱しているのですが、十分もたたないうちに「もう飲んでもええかたずねてきて」というのです。私は外へ出て、たずねた振りをしては「まだあかんていうてはりますよ」と嘘をつくこと再三、早く朝になってほしいと何度も溜息をついたものです。それに、便器が嫌いで困っておられたようですが、三日目頃からは身体を支えながら便所へ行けるようになり、主従ともどもほっとしたことでした。

 間もなく、私の家ばかりであきただろうからと、森本さんと交替で撮影所へ行くようになりました。私はそそっかしいのでよく失敗しました。本番という声にあわてて鏡を持って行くと、顔ではなくて手元のアップで、「あんた何してるの、何円映画で生活してるの」とか、夏などはアフレコ室が大変暑くて、長いセリフと取り組んでいるときなど、気をきかせてジュースを持っていくと、「わぁァ、珍しい、何年目に一ぺんやろか」とか、よく憎まれ口をたたかれたものでした。