若旦那は淋しがりやだったのでしょうか。錦之助さんの家へ遊びに行ったり、賀津雄さんが遊びに来られたり、兄弟のようにしておられました。

 それにしても印象が深いのは「破戒」でした。ある日突然、監督の市川崑さんから、「おせき、映画に出ないか」といわれたのです。嘘だと思っていたら、俳優課長からもお話があり、やっぱり本当だったのかと思ったとたん、恐ろしさと不安でいっぱいになりました。その夜、部屋へよばれ、若旦那から、「あんた、崑さんから話きいていると思うけど、どうする、僕はかまへんで、三味線かて歌舞伎のとき習ろうてたやろ、あんなに崑さんがいうてくれはるのやから、お受けしたらどうや」ということで、お受けすることになりました。旅から旅を放浪する役者のなれの果て、とでもいった役どころでした。


 市川崑監督のもとで撮影中の『破戒』に、住永清治という新人が登場している。

 もとは浅尾関次郎という芸名で関西歌舞伎の女形として舞台をふんでいたが、市川雷蔵の映画界入りとともに付き人になり、以来八年間、雷蔵のあるところ“おせきさん”ありといわれるほど、公私ともに雷蔵と行動を共にしてきた人だ。

 ところで、『破戒』を撮るにあたって市川崑は、かねてより信濃路を行く旅芸人に扮する役者をさがしていたが、その旅芸人の頽廃的なイメージが、住永清治にピッタリということで、市川崑監督から出演を強く希望されて実現したもの。

 市川雷蔵も、「おせきさんも、これを機会に性格俳優になるべきだ」と、しりごみする住永の後押しして、こんどの出演がきまったものだが、

 「いままで八年間も、身のまわりの世話をしてもらっていたが、こんど彼がデビューする日には、ぼく自身が彼の面倒をみてやりたい」と雷蔵がいえば当の住永は、

 「坊ちゃんが力づけてくださるので、力強いんです。市川崑先生の、わたしの地のままがいいとおっしゃるし、三味線をひき恋慕の歌をうたいながら歩く、アップとロングのニカットあるそうです。なにもわかりませんが、市川先生のイメージにおこたえできるように、一生懸命にやってみます」と、照れながらも張りきっている。