小学校時代から、理科、特に生物が好きだった私は、ゆくゆく医学の勉強をして医者にでもなるつもりで、更に中学へ進んだ。その間にあって実父母よりも厚い養父母の慈愛にたえずはぐくまれ、聊かの苦労も知らないで、我儘一杯に成長して行ったことはいうまでもない。
この中学在学中に戦争が始まった。私たち一家は空襲の難をさけて、大阪から京都へ疎開したが、その結果私にとって毎日の大阪までの通学が大変わずらわしいものとなった。同時に戦争下における勉学というものの意義をいつしか見失ってしまうようになっていた。小学校以来、ずっと成績はいい方だったが、こうした気持になった私は、遂に学校をやめてしまった。
そうした状態のうちに終戦を迎えたが、依然として勉強をやりなおす気持もなく、全く何の目的もなく家で遊んでいた。することもないままに父の芝居をよく見に行ったが、やがてなんとなく芸能界に対して興味を持つようになった。ちょっとぶって書けば、なんとなくという気持は、やることがなかったからということから生じるものでなくて、なにもしないでいる生活に、多感な青春前期に当面していた自分を、怠惰な習性になることを怖れた、まだ心の底にあった潔癖性が鞭打ったのだと思う。又一見、私はぼんやりしているように見える男である、しかし、私はそんな表面的な演技?に反して、なにもしないでぼんやりしているのに、とてものことたえられなかったとも言えるだろう。
だが、今になってこう思っても、こんな大袈裟な気持ではなかったとも思える。つまり、当時の気持をはっきり、今説明するのは、どれを言っても当らないような気持がする。潔癖なくせに、その反面、のらくらした、いわば日和見的なところが私には多分にあると正直に認めねばならないからである。
これまでに発表された私についてのいわゆる「スタア物語」を読むと、私が歌舞伎の舞台を踏むに至ったのは、何かよんどころない理由があったように書かれているが、実際には何もそんなむずかしい理由があった訳ではない。勿論、将来演技者として芸界に立つというような確固たる意志がった訳でもなく、全くただなんとなく初舞台なるものをふんでいたのである。
そうして、こののらくらとした気持の私が気づかないうちに、いつしか私の前には新しい世界がひろがって行ったのだった。
|