弥次喜多道中 

1956年8月22日(水)公開/1時間19分大映京都/白黒スタンダード

併映:「銭形平次捕物控・人肌蜘蛛」(森一生/長谷川一夫・市川雷蔵)

製作 武田一義
企画 山崎昭郎
監督 斎藤寅次郎
脚本 民門俊雄
撮影 今井ひろし
美術 中村能久
照明 岡本健一
録音 林土太郎
音楽 宅孝二
スチール 藤岡輝夫
出演 林成年(喜多八)、阿井美千子(おこん)、堺俊二(新之助)、花菱アチャコ(藤川阿茶十郎)、田端義夫(仙太郎)、島倉千代子(千代)、小町留美子(おくみ)、江島みどり(おきん)、山茶花究(細野久庵)、桜むつ子(おむつ)、光岡竜三郎(江田道八郎)、上田寛(宇野勘兵衛)、林家染丸(湊屋の番頭)、西川ヒノデ(舶来屋の与太者A)、西岡タツオ(タツ公)、中村是好(佐兵衛)
惹句 『雷蔵の弥次郎、成年の喜多八が、ご存知五十三次で、剣難女難と出くわすたびに、スリルと笑いが追っかける』『青春弥次喜多コンビのゆくところ、明るい恋の花が咲き、痛快の剣風がまき起り、スリルの事件が百出!』

                 

〔 解 説 〕

 『花頭巾』の市川雷蔵、林成年のコンビで描く御存知弥次喜多道中。脚本は『月夜の阿呆鳥』の民門敏雄、監督は『恋すれど恋すれど物語』の斎藤寅次郎、撮影は『お父さんはお人好し 迷い子拾い子』の今井ひろし。主な出演者は市川雷蔵、林成年のほか『恋すれど恋すれど物語』の花菱アチャコ、堺駿二、田端義夫、『銭形平次捕物控 人肌蜘蛛』の阿井美千子、『漫才提灯』の小町瑠美子『あなたも私もお年頃』の江島みどり、『東京の人さようなら』の島倉千代子など。

   

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〔 物 語 〕

 神田八丁堀、溝板横丁に住む弥次郎兵衛と喜多八の二人。積もりに積もった借金に加え、大家佐兵衛から家賃の催足に止むなく穴を掘ってドロンを決める。喜多八を慕う佐兵衛の娘おきんは落胆するが、流行のオランダ熱にかかり、喜多八が急に声が出なくなる。二人は特効薬を求めて医師細野久庵を訪ねるも、久庵は特効薬・究理石を携えて弟子新之助と京へ出発したあと。仕方なく弥次喜多両人は後を追って京へ向う。この貴薬・究理石横取りで一儲け企む舶来屋の浪人二人も久庵を追う。

 久庵に出会った喜多八は早速声が出るようになり大喜び。二人は、江戸は鬼門と無一文のまま西へと旅を続ける。だが道中師おこんにつきまとわれ、くだんの浪人組からスッた財布まで渡されビックリ。浪人組は山道で久庵を斬るが、究理石は駕篭の屋根の中。弥次喜多はこれを京は三条のお救い小屋へ届けることになるが争奪戦に巻きこまれ大迷惑。そんなてんやわんやの中、浪人組は与力藤川阿茶十郎に弥次喜多を久庵殺しと偽り後を追う。

 二人は関西料理の浪花屋が故郷へ戻るのにうまいこと合流し、弥次サンに惚れている女中おくみは大喜び。そこへ阿茶十郎が宿改めに来るが、新之助の真相あばきに浪人組は究理石を奪って遁走。おまけに浪人組は仙太郎らグレン隊の応援を得て京へ向う。ところが、あいにくと大水で川は関止めになり、一同揃って前景気に一杯やっている処に、弥次喜多両人に加え、浪花屋、おこんらが駈けつけ、二人は奇計で貴薬・究理石の包みを奪回、川越えも水中歩行で難なく通過するが、むりやり川越えを計った悪人どもは溺れて流され、ここに弥次喜多ご両人は京の救い小屋へ。かくて貴薬・究理石を持参した二人は人助けの一翼を担うこととあいなった。(キネマ旬報より)

 宵越しの金はタマキリ持たねぇという江戸っ子の見本みたいな弥次さん喜多さん、
借金で首が廻らなくなり、ついに江戸をドロン・・・
 ところが山道にさしかかると喜多さんお腹が痛いと弥次さんを困らせる。

 

 弥次さん喜多さん、山道でマンボ浪人と称する
悪者に出遭いホールドアップ。

                

 弥次さん喜多さん、“きつねの森”に迷い込んだ。
「このやろう、うまく化けやがったな」「さっさと尻尾を出しやがれ」
とお互いになぐり合いを始める。

                                   弥次喜多道中                               滝沢一

 “弥次喜多は二枚目が三枚目をやるところにおもしろ味が生れるもンや”といつかマキノ雅弘監督が筆者に語っていた。平素の二枚目役者がせいぜい三枚目振りを発揮して、罪のない珍演をみせるアトラクション的興味が「弥次喜多もの」の興行的ねらいという訳だ。その意味では、この弥次喜多は、雷蔵、成年という二枚目が余り三枚目的にくだけて踊らないところにおもしろ味が半減される。かえって光岡竜三郎、上田寛というところが泥くさい三枚目振りを示して、主役の二人を食ってしまうのがよくない。

 この他例によって、アチャコ、堺駿二、山茶花究など寅次郎一家の芸達者にも舞台を荒らされて、ますます主役二人の活躍の場が狭められ、その印象が薄くしているのも拙い。

 弥次喜多という、過去の江戸っ子の代表選手のような二人が、大いにオプティミズムを発揮して、のんきなお笑いをまきちらしてくれるとよかった。そういうのんきな気分がでないのもせちがらい時代のせいかもしれないが、といって弥次さん喜多さんを使って、現代オ世相風刺を試みるほどの徹底したアイデアもないので、ちょんまげ喜劇としては万事中途半端に終っている。さかんに映画題名なんかを使って笑わせようとするが、その当てきみが大部分の観客には通じない。これも映画の題名もじりという趣向を、同じやるからにはもっと徹底して使ってほしかった。ははんやっているな、と観客に判らせるのでなければ効果がない。

 さすがにアチャコの登場場面になると笑わせる。彼のいい加減な目明しが登場して、いい加減な犯人探しをやっているのが、何となく今日の警察をからかっているみたいで、「真昼の暗黒」だという題名もじりも効いてくる。アチャコの持味がものをいっている。そのちょんまげマンボを踊る場面など冗談音楽のセンスを感じられた。すべてこの調子で全篇を一貫してもらいたかった。興行的価値:雷蔵、成年の弥次喜多コンビ。東海道五十三次は剣難女難旅。飄々とした味もあり、適当のお色気もある。大人向の娯楽篇として手頃。(キネマ旬報より)

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