蛇姫様
1959年2月25日(水)公開/1時間36分大映京都/カラーシネマスコープ
併映:「からくり雛人形」(西沢宣匠/島田竜三・岸正子)
製作 | 三浦信夫 |
企画 | 浅井昭三郎 |
監督 | 渡辺邦男 |
原作 | 川口松太郎 |
脚本 | 渡辺邦男 |
撮影 | 渡辺孝 |
美術 | 上里義三 |
照明 | 伊藤貞一 |
録音 | 大角正夫 |
音楽 | 山田栄一 |
助監督 | 西山正輝 |
スチール | 西地正満 |
出演 | 嵯峨三智子(琴姫)、近藤美恵子(お島)、中村玉緒(おすが)、林成年(新免重時)、黒川弥太郎(植原一刀斎)、河津清三郎(佐伯左エ門)、舟木洋一(大久保小太郎)、和泉千太郎(佐伯一郎右エ門)、浜世津子(腰元楓)、本郷秀雄(与助)、竜崎一郎(隠密山本)、荒木忍(米五郎)、香川良介(大久保佐渡守)、田崎潤(京極寛次郎) |
惹句 | 『舞台姿で悩ませて、若衆姿で斬りまくる 颯爽雷蔵の魅力のすべてを結集した豪華時代劇!』『歌に、小説に、芝居に、放送に、満天下を唸らせた恋と復讐の痛快物語、最高の適役で映画化』 |
★ 解 説 ★
★川口松太郎が昭和十四年十月から毎日新聞に連載、岩田専太郎の流麗な挿絵と共に大好評を博した、「蛇姫様」の原作に忠実な映画化であります。
★演出には娯楽映画をとらせてはナンバー・ワンの渡辺邦男監督があたり、大映スコープ・総天然色で、絢爛たる中に、千太郎の活躍を存分に描くものであります。
★かって東宝で衣笠貞之助監督の手で、長谷川一夫、山田五十鈴、原節子、黒川弥太郎で映画化され、空前のヒットを放ち、娯楽映画の名作として世に宣伝され、以来、放送に、舞台に、レコードにと一つのブームを作りあげたものであります。
★かっての作品は原作から離れてお島千太郎の哀愁を中心にしたものであったが、今度のこの作品は、原作の線に添って琴姫と千太郎の物語が中心になっております。
★堅実な演技で、とみに人気上昇の市川雷蔵が主人公千太郎に扮し、『弁天小僧』でその片鱗をのぞかせた彼の歌舞伎の演技修練を、この作品では三つの場面の劇中劇でファンにタンノウして頂くことになっております。
★ラストの幻想的な雷蔵・嵯峨のデュエットで藤間勘五郎振付のモダン舞踊を展開することになっており、新しい雷蔵の魅力を発揮するものと期待されます。
★雷蔵の千太郎に対し、名コンビとして既に定評のある嵯峨三智子が琴姫として出演するのも、この作品の見所である他、お島に近藤美恵子、千太郎の妹おすがに中村玉緒、植原一刀斎に黒川弥太郎、新免重時に林成年、敵役の佐伯左衛門に河津清三郎、京極寛次郎に田崎潤などが顔を並べ、作品に厚みを加えております。
★スタッフは製作に三浦信夫、企画に浅井昭三郎、脚本・監督渡辺邦男、撮影渡辺孝とベテランががっちりとかためております。
★物語は烏山三万石のお家乗っ取りをはかる悪家老のために父妹を殺された千太郎が、琴姫を助け、庶民のために、旅役者に姿をかえて復讐に起ち上がるという痛快無類の魅力篇であります。 ( 公開当時のパンフレットより )
★ 梗 概 ★
烏山三万石、大久保佐渡守は病床にあり、継嗣小太郎も病弱なのをもっけと、国家老佐伯左衛門は、藩政を壟断、御禁制の密貿易に手を出し私腹をこやす一方、お家乗っ取りの秘策をねっていた。この佐伯左衛門の圧政を見るに見かねた息女琴姫は、突然国入り、左衛門を詰問したが、その弁舌に要領をえない。琴姫の身を案ずる佐渡守は忠臣植原一刀斎を急行させ、蔭ながら姫の身の安泰と、左衛門の陰謀を探らせた。城中はさながら敵中の感ある中にあって、琴姫を慰めてくれるのは、烏山の名物ひのき屋の娘で横笛の名手おすがと、誠忠の臣新免重時であった。
姫から一日の宿下りを願ったおすがは。兄千太郎と愛用の笛をかなでた。その時、日頃から酒癖の悪い家老の倅彦次郎が取巻き連中とやって来ていた。笛の音におすがの宿下りを知った彦次郎は執拗に酌を求めたが、酒癖の悪いのを知っている父米五郎は口実を設けて拒んだ。逆上した彦次郎は理不尽にも米五郎に一刀を浴びせた。この騒ぎに駈けつけた千太郎は、彦次郎の非を詰ったが彦次郎の耳には入らず、逆に千太郎に襲いかかる。だが町人ながらも植原一刀斎から免許を与えられている千太郎にはかなわず、逆に斬り伏せられてしまった。家老の倅を斬ってはただではすまない。重傷の米五郎、おすがに見送られて、千太郎は闇の中に姿を消した。
彦次郎らの負傷に憤った左衛門は、直ちに千太郎の跡を追わせた。厳重な警戒網をかいくぐり千太郎は、十蔵一座の旅役者たちにかくまわれた。下座を勤めるお島は、いわくあり気な様子の千太郎に、すべてを忘れ尽した。座頭十蔵はかって烏山での千太郎と顔馴染、一座の好意に甘え、千太郎は行を共にすることになった。旅のつれづれ千太郎も一役買い、今では十三郎と名乗る旅役者になり、一座になくてはならぬ存在となった。
一方、烏山城では、ますます佐伯左衛門の悪虐はつのり、琴姫の身辺にすら危険が迫って来た。左衛門と気脈を通じた腰元楓が姫の毒殺をはかったが、おすがの気転で難を免がれた。姫は事態の猶予ならぬに気付き、おすがに一書をもたせて、城下にひそんでいる植原一刀斎への連絡に当らせた。だが、これが彦次郎の手の者に発見され、哀れにもおすがは殺害された。文箱を奪わんとする彦次郎に不気味な烏蛇が鎌首をもたげた。ここへ一足おそく一刀斎が駈けつけ、おすがの無残な姿を発見した。
その頃、彦次郎らはひのき屋を急襲、火を放って米五郎をも殺害してしまった。千太郎の一刀を浴びて不気味な容貌になった彦次郎のひきつった顔は、復讐の喜びにひたっていた。
おすがの無事を祈る琴姫の前に、こつぜんと現れたのはその亡霊であった。アッ、と驚く琴姫の前に、その化身か妖しい烏蛇がとぐろを巻き、じっと姫をみつめている。琴姫は直ちに佐伯左衛門を究明したが、左衛門はぬけぬけと言い抜け、おすが、米五郎に非があったため斬り殺したのだと言いはり、今後、国政にいらざる口出しは無用ときめつけた。左衛門は、城下にひそんで探索をつづけている一刀斎逮捕に躍起となったが、その姿は杳としてみつからない。
当の一刀斎は三斗蒔山で密貿易用の陶器製造場付近に現われた。厳重な警戒で容易には近づけない。しかし、何かの手掛かりでもと、一刀斎は目をつけていた。そこへ、人夫として入りこんでいた幕府の隠密が報告書を携えて脱出してくるのにぶつかった。もしこの密貿易が明らかになれば、烏山三万石はお取潰しになることは必定。一刀斎は必死になって、これを阻んだ。
夢見に米五郎、おすがの無残な姿を見た千太郎の胸は、不安におののいた。何としても烏山に行きたい。千太郎はとりすがるお島の手をふりきって一座から別れようと決意した。だが今では一座にかけがえのない存在となっている彼に脱けられては、一座は芝居をうつことも出来ない。十蔵は一座の予定をかえ、烏山へ向うことで千太郎の同意をえた。千太郎にしても彦次郎らの手前、ぬけぬけと烏山へ足を入れることも出来ない。役者に身を変じていることが、もっけの幸いである。十蔵一座は千太郎の水もしたたる二枚目が評判を呼び連日大入りをつづけながら烏山に入った。そこで耳にしたのは、米五郎、おすがが琴姫の手にかかって果てたということである。千太郎は悲憤に涙した。日頃妹があれほど親しくしていた琴姫がどうしたというのだろう。主筋の姫といえど、そのままにすませてはおくものか、千太郎は復讐を固く心に決した。
涙かくした千太郎の舞台は、烏山でも大評判。たまたま宿下りした腰元の一人から、十三郎の面差しが、おすがにそっくり、との話を耳にした琴姫は無性に十三郎に会いたがった。姫の無聊を慰めるのに躍起の新免重時は、直ちに十蔵と交渉、城中で姫君に観劇させることになった。
時至る。千太郎は短刀をひそませ城中に入り、姫の御前で一心に芝居をした。琴姫もその噂のたがわぬのを目前にし、今更のようにおすがを偲んだ。その時荒々しく駈けつけて来た左衛門は、河原乞食を城中に入るなどもっての他ときめつけ、姫の無法を詰った。事の急変に、千太郎は慌しく城中を脱出した。このことが因となり琴姫は江戸へ送りかえされ、幕命をもって京極寛次郎との縁談がとりきめられた。
千太郎はお島と共に姫の跡を追って江戸へ、大久保下屋敷で、笛が縁で偶然にも姫に近付き、今しも一念を晴らさんとした時、千太郎の目に映ったのは、おすがの化身である烏蛇。姫から一部始終を聞いた千太郎は左衛門の悪辣さに眦を決した。姫のためにも、烏山の庶民のためにもこれ以上、左衛門らを放置出来ない。千太郎は直ちに烏山へ。
煙たい存在であった琴姫を追い返し、我がことなれりと喜んだ佐伯左衛門は、長崎奉行との連絡から帰ってきた長男一郎右衛門を中心に、最後の計画を練っていた。そこへ一両日中に琴姫国入りの報が入った。莞爾とした左衛門は、この時こそ姫君を亡きものにせんと、彦次郎に策を与えた。
那珈川まで出迎えた左衛門は、何喰わぬ顔で姫に挨拶し、渡し船へと導いた。その時、船中から姿を現わしたのは、船頭に姿を変えていた千太郎。千太郎は左衛門らが、この船底に仕掛けをし川の真只中で姫を葬り去ろうという陰謀をあばき、父と妹の仇と必死に立向った。左衛門もここまで手の内を知られてはこのままには出来ない。一挙に姫もろとも亡きものにせんと攻めたててきた。千太郎、新免らは姫を守って必死。そこへ、一刀斎を先頭に、三斗蒔山に幽閉されていた職人がどっと駆けつけて来た。一刀斎の鋭い太刀風に、左衛門、彦次郎らは一たまりもなく倒された。
かくて、さしもの左衛門悪虐も一掃、烏山城には春が蘇った。
京極寛次郎へ輿入れの琴姫の行列を送って、千太郎お島の一座が賑々しく道中を続ける。手をふる千太郎に、駕籠の中から琴姫が感謝に濡れた瞳を向けている。( 公開当時のパンフレットより )
「蛇姫様」の撮影に先立ち
舞台の千太郎を訪ねた 川口松太郎、市川雷蔵、扇雀と歓談
挿絵の美しさもあずかって俄然人気を沸騰した。支那事変から大東亜戦争へと暗雲低迷する社会にあって、この甘さ、色っぽさが世情にアピールしたのであろう。東宝では直ちに映画化に着手、衣笠貞之助監督、長谷川一夫、山田五十鈴、原節子の豪華な顔合せを行い、大ヒットを放ち、お島千太郎の哀切のメロディーは町々を風靡した。以来、舞台に、放送にと大衆娯楽の一つの典型として人の口の端に常にのぼるようになった。
この素材を、このところ堅実な演技で人気上昇の市川雷蔵が名コンビの嵯峨三智子と共に、娯楽作品をとらせてはナンバー・ワンである渡辺邦男監督で製作されることになった。製作に先立ち、市川雷蔵はたまたま大映京都に現れた原作者川口松太郎と共に大阪コマ劇場で目下上映中の東宝歌舞伎「蛇姫様」を見学に出かけた。
中村扇雀、小野道子の熱演を見学の後、楽屋に扇雀を訪れた川口松太郎を中心に、「蛇姫様」執筆の思い出話などに花を咲かせた。軍部がそろそろのさばり出した暗黒時代に、世相と逆行して、いろいろの弾圧に耐えながら筆をとった作品だけに、川口松太郎のこの作品への愛着も一きわである。当時川口松太郎の軟文学を掲載する新聞雑誌には用紙の配給はしない、とまでいわれる中で、岩田専太郎と共に、勇をふるって執筆したものである。現在の言論が自由でのびのび作家活動ができる時代からみれば夢のようである。うたた感懐にふける原作者を中心に、若い雷蔵、扇雀は、映画と舞台に別れて互いに腕を奮うことを約束しあうのであった。長谷川一夫、東千代之介と映画での先人に劣らず、市川雷蔵の魅力を大きく打ち出そう、雷蔵の胸中には満々たる斗志がみなぎっているようだった。( 公開当時のパンフレットより )
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★雷蔵デーの大映京都★
『蛇姫様』で千太郎に扮する雷蔵は、劇中劇として、近松門左衛門の「生玉心中」と「お軽勘平の道行」をみせることになった。歌舞伎出身の雷蔵がその手腕のほどをさきの『弁天小僧』で片鱗を示したのに続いてである。
「お軽勘平の道行」では、雷蔵はお軽に扮し、映画入り以来、二度目の女装をすることになった。所作はさすがに手馴れたもの。声色も本格的。演出の渡辺監督も、「よおう、日本一の女形」とひやかす始末。「A−2・ステージ」一杯に組みこまれた大舞台で、雷蔵扮するお軽は、お囃子にのってはなやかな雰囲気の中に演技は続けられる。この雷蔵の熱演を、琴姫に扮する嵯峨三智子が、セットの一隅からみながら、「雷ちゃん、なかなか色気が出ているよ」とへらず口を叩く。その傍に、折から『女と海賊』に出演中の長谷川一夫が、劇中劇の撮影と聞き寸暇をさいて現れ、なつかし気に、雷蔵の演技にみとれる。
まったくこの日の京都撮影所は雷蔵デーといった感じだった。( 公開当時のパンフレットより )
主題歌:ポリドールレコード
「千太郎笠」
作詞:藤田 まさと 作曲:渡辺 邦男 唄:東海林 和夫/多摩 幸子
一、 | |
雪も水も春来りや溶ける | |
なぜに溶けない この心 | |
にわか役者と笑われ乍ら | |
今日も涙の 牡丹ばけ 牡丹ばけ | |
二、 | |
世間知らずが浮世の風に | |
沁みてほんのり 夢ひとつ | |
ままになるなら 女房と呼んで | |
故郷の土産に するものを するものを | |
三、 | |
泣いて半年、笑って三月 | |
かたちばかりの 夫婦笠 | |
惚れた証拠が知りたいならば | |
見せてあげるよ、下総で 下総で |
「旅の投げ櫛」
作詞:藤田 まさと 作曲:渡辺 邦男 唄:多摩 幸子
一、 | |
酒はのんでも 飲まれちゃいけない | |
たとえやくざな女でも | |
生きる道理は知っている | |
なんで捨てよう 心まで | |
二、 | |
男ぎらいの この看板 | |
無理に外しておき乍ら | |
女房名ばかり 口ばかり | |
なぜに情がかけられぬ | |
三、 | |
恋と云う字を 三筋の糸に | |
乗せて意地づく何処までも | |
惚れりゃ女は目無し鳥 | |
丁もなければ半もない |
1959(昭和34)年2月、旧ドイツ資本と異なるグラモホンの「ポリドール」から大型新人が同時デビュー。「千太郎笠(藤田まさと作詩、渡辺邦男作曲、山田栄一編曲、東海林和夫・多摩幸子歌唱、ポリドールオーケストラ伴奏)」。力を入れた宣伝ほどのヒットにはならなかったらしく、東海林和夫の股旅歌謡はこの1曲だけという。東海林和夫=東海林太郎長男・和樹氏。多摩幸子=菊池章子実妹、東邦音楽学校出身。多摩幸子さんは、1961年ビクター発売『北上夜曲(菊池規作詩、安藤睦夫作曲、小沢直与志編曲、和田弘とマヒナスターズ・多摩幸子歌唱)』が大ヒット。『千太郎笠』がヒットとならなかったのは、意外なようで自然な感じも思う。「東海林太郎の息子」「菊池章子の妹」という話題性は、「歌そのもの」にあまり関連ないからだ。また、曲名だけを見ると映画主題歌のイメージが浮かぶ。映画主題歌ならば、映画が「歌の宣伝」にもなる。『千太郎笠』が純歌謡曲だったことから、肝心の「宣伝」が人々に伝わってなかったのだろう。
東海林太郎の最初の夫人は庄司久子(ソプラノ歌手)、長男・和樹氏、二男・玉樹氏。和樹氏が大阪、玉樹氏は秋田に住んでおられたようだ。京都KBS近畿放送ラジオ「なつめろ一番鶏」で月原史郎氏担当の頃、東海林和樹氏がゲスト出演。『千太郎笠』も放送されたのを覚えているが「音楽教室での近況」が話の中心だった。「東海林和樹音楽教室でレッスンを受けた」という方々がかなり多いらしく、検索で見掛ける。だが、東海林和樹の人柄について述べられている記事はどういうわけか殆ど出てこない。和樹氏の弟・玉樹氏は「東海林太郎の息子、と言われるのは照れくさくてね。飛行機乗りに憧れて海軍に志願したら、親父(東海林太郎)が猛反対。特攻隊で終戦は鹿児島、よく生きてこられたと思う。親父とはよく飲んだ。お互い強くて」。(Blog
にいちゃんの「なつめろダイアリー」“続・なつめろよもやま話
東海林太郎の息子”より)
昭和34年にポリドールレコードから「千太郎笠」が発売された、唄っているのは東海林和夫、多摩幸子の新人2人のデビュー盤でもある。多摩幸子は菊池章子の妹で後の吹き込み「北上夜曲」の甘え声とは全く違う。東海林和夫の声は東海林太郎に良く似ている、似ているはずで彼は長男の和樹氏である。
最初聴いた時は良く似た声だなーと思って東海林太郎が変名で唄っているのかとも思った、関西なつめろくらぶの重鎮に聞いてみたら「昔和樹氏に逢ったことがある、声がそっくりだった」とのこと。東海林太郎には和樹、玉樹という先妻の男の子が二人いて、高峰秀子の『私の渡世日記』にそのことが書かれている。(「父のこと母のこと」岩波書店 )
東海林和夫としての流行歌シングル盤レコードはこの一枚で終わっているようである。彼は大阪で音楽教室を開いていたようであるがいつの間にかその看板も無くなった。これは彼に逢ったことがある人のブログの記事。(東海林太郎のご子息東海林和樹さんのこと)
昭和57(1982)年NHKの「第14回思い出のメロディー」に東海林和樹が東海林太郎長男と紹介されて出演して「椰子の実」を歌っている。デビューから24年この時点で本名になっているから歌手東海林和夫は既に終わっているようである。(第十四回思い出のメロディー・曲目)
和樹氏は既に鬼籍に入られているが、歌手になりたい一念で新聞社を退社してまでしてやっと吹き込みできたのが「千太郎笠」、でもそっくりではやはり長続きはしなかったのか、父親の東海林太郎がこの時どうからんでいたのか記事がないので判らない、支援したとかの記事があってもよさそうなものなのに、東海林太郎は昭和32年にマーキュリーで「東京物語」を吹き込みしたあと以後の吹き込みは無く、昭和35年にゼネラルレコードで「風と行く男」を吹き込みしているが以後全く新曲の吹き込みが無く他の懐メロ歌手同様完全に過去の人扱いになってしまっていた。(魯人ブログ)
★映画評★
渡辺監督はスピーディな演出で事件の展開をみせ、手際よく作品のポイントを捕えている。ラストに千太郎の大立回りから琴姫とのモダン舞踊に持ち込むあたり、やや締りを欠き、全体に平板な演出だが色彩の娯楽作としては盛りだくさんで楽しめる。雷蔵は檜屋の若旦那から旅役者へと歌舞伎の二枚目風な演技で終始し、ラストで一刀斎免許の腕前を見せるが、一段と油の乗った感じだ。(大阪スポニチ S34/2/21)
琴姫に仕えている忠義な腰元おすがが、悪家老の刺客達によって斬り殺される。最後まで彼女がしっかり握っていた文箱にカラスヘビがからみついていて、刺客達をぎょっとさせる。そのヘビの怪が城内でおすがの身の上に案じている琴姫のもとへ現われる。また故郷を離れてたえず家のことやおすがのことが心から去らない兄の千太郎のもとへも現われる。いずれもおすががよくする笛に黒いヘビがまきついているのである。それが幻覚であるかは分からない。しかしいずれにしても非業の死をとげた美しい腰元の執念の象徴であることに変りない。この執念の表現見事であった。美しい色彩のなかでの黒い蛇身ののた打つさまはまことに不気味である。
しかもこのヘビの怪は一切の時空を超越して現われる。そしてこの象徴のヘビは一瞬にしておすがと琴姫と千太郎の魂をむすびつけてしまうのである。これは一つのストーリー・テリングの方法としてもおもしろい。円朝の怪談モノなどに洗練された話術として残されたものが、ここでは戦慄的な映画の表現として生きている。
この映画にはこうした描写のするどさがある。千太郎のために斬られる悪家老の息子が繃帯をとると、顔面に醜いひっつれとなった傷あとが現われるところとか、歌舞伎役者になった千太郎が心ならずも化粧前に向って眼に紅をいれるところとか、人間の憤りや悲しみが瞬間の描写のなかに的確にイメージを伴って定着されている。
渡辺邦男の作品が広い大衆層に支持されている理由はいろいろとあろうが、このような的確な映画のイメージがするどく観客のこころにもろもろの人情を刻みつけるところにあるのではないか。時代劇ではお決りの悪家老にしても、河津清三郎の恰幅と温容をもって容赦なく悪事をやらせてゆく。この容赦のない悪の表現の積重ねに観客の憎しみが集中されてゆく。そのためにこの悪家老と面と向って対決する嵯峨三智子のお姫さまがきわだって美しく見えるのである。
禁制の密貿易で私腹をこやす悪家老や、琴姫と千太郎、おすがの関係などいくらかプロットの判りにくさがあり、一刀斎がいつの間にか陶工の群のなかにしのびこんでいるような描写の粗さもありながら、これは人間世界の諸悪、諸欲のからくりが鮮やかにくりひろげられる興趣があって、楽しめる時代劇になっている。(滝沢 一 キネマ旬報より)
「蛇姫様」
野州烏山三万石大久保家のお家騒動に巻き込まれ、お家乗っ取りを図る悪家老のために父も妹すがをも殺された千太郎は、町人ながら免許皆伝の腕を持つ剣の達人。復讐を誓った千太郎は旅役者市川十蔵一座にかくまわれ、旅役者に姿を変え三味線弾きお島の手引きで仇を討とうとする。一方、すがの化身である烏蛇は、大久保家を守ろうと必死の琴姫の身辺を守護するかのように姫のそばを離れない。果たして、千太郎はめでたく敵を討つことができるのか、大久保家の行く末は・・・。
川口松太郎原作『蛇姫様』は、1939〜40年(昭和14〜15)「大阪毎日」「東京日日新聞」に連載された。戦前戦後を通じて何度も映画化され、人気を誇り1959年(昭和34)栃木県烏山町に「梅雨くらく蛇姫様の来る夜かな」の文学碑が建立されたくらいである。
尚、川口松太郎作『蛇姫様』は春陽堂文庫で読める。詳細は春陽堂HP。
「蛇姫様」
昔、烏山小町といわれた、ひのき屋の一人娘「すが」は、大久保家三万石の御城内新御殿に住む琴姫様に仕えていた。
その頃、家老の佐伯左衛門は城主佐渡守の留守をよいことにして、私腹を肥やすため密貿易などを企んでいた。この事は江戸幕府にも知られ隠密が烏山城下に入って来た上に、小田原の御本家でもこれを案じて、植原一刀斉と言う剣客を烏山へ遣わしてその動勢を深らせていた。琴姫もこのことを心配しながら、父佐渡守の留守を守っていた。
ある夜、姫はひのき屋に待っている植原一刀斉に大事な密書を「すが」に届けるよう命じた。「すが」は大切なお使いをわざわざ一人で、夜更けのお城を裏から抜け出し間道伝いに誰にも見つからないようにと、繁った木々を潜りながら山をおりて来た。家老の佐伯は自分の悪事を隠すために琴姫を監視したり、お城の内外に見張りをつけていた。その夜も倅源之助に見張らせていた。そこへ「すが」がおりて来たので遂に見つけられてしまった。
源之助は「誰だ!どこへ行くッ、お前の持っているものは何だ。それを渡せッ。」とどなりながら、抜いた刀で切りつけて来た。「すが」は肩のあたりを切られてそこに倒れてしまった。倒れても姫に頼まれた密書は絶対に離さない。源之助はそれを無理矢無にもぎとろうとした。するとその文箱に何か巻きついている?まっ黒い蛇だ。密書を取ろうとする源之助の手にその蛇がぬるぬると渡って来て、その腕に突然咬みついた。蛇は猛毒を持つ烏蛇だった。咬まれた源之助は、刺すような痛みに怯んで倒れたがそれと同時に「すが」の息も絶えてしまった。
集って来た家来たちに密書は奪われ、悪家老佐伯の手に渡ってしまった。城中の琴姫は深夜眠らずに「すが」の帰りを待ちわびていたが、姫がうとうととまどろんだ時、血にまみれて青白い顔の「すが」の姿が姫の前に・・・思わず姫は「すがッ」と叫んだ。その姿が消えた部屋の隅に、小さな黒い蛇が、じっと姫の顔を見上げていた。
それからと言うものは、姫の身辺に何時も一匹の烏蛇が見えがくれについていて、姫の身に危急が起ると必ずその蛇に助けられると言うことが度々だった。姫を思う「すが」の化身である烏蛇に守られている琴姫のことを誰言うとなく「蛇姫様」と呼ぶようになった。姫は、植原一刀斉や「すが」の兄千太郎たちの命がけの協力で、遂に悪家老佐伯左衛門一味を亡ぼすことができ、大久保家の安泰を成し遂げた。
(烏山観光協会パンフレットより)